Ⅳ(4)吐露
「それ……私がやってみてもいいですか?」
戸棚からティーセットを取り出した千晶さんに、勇気を出して言ってみた。
「……うん。どうぞ」
千晶さんは一瞬の沈黙の後頷いて、流し台の上にティーポットとスプーンを置く。
たしか、こう……だったっけ?
右手で持ったスプーンを、ティーポットのふたの部分にあてがった。学校の試験よりよっぽど緊張している。
そのままスプーンでふたを軽く叩いてみた。チン、という軽やかな音がして――ポットはどうなったのだろう。
私は恐る恐る、左手でポットに触れてみた。てのひらに伝わるひやりとした感触。……やっぱり、だめだったか。
「――、私……」
いざその事実を口にしようとなると、喉の奥がひりつく。
「……魔法が使えないんです」
その言葉に、千晶さんが一瞬だけ手を止めた。
しかしすぐにお茶の支度は再開される。
静まり返った小部屋の中、かろうじて聞こえている千晶さんの身じろぎの音。
人数分のカップを並べて、茶葉の入ったボトルを取り出して。
千晶さんの動きには、もうよどみがない。そのことが、私の中で張り詰めた何かを少しだけ緩めてくれていた。
「――僕たちはね」
千晶さんが初めに返した言葉は、私が予想していたものとはどれも違っていた。
「仕事柄、魔法使いの家の事情には詳しい方なんだ。ほら、お客様になるかもしれない方々だからさ」
そこでようやく、千晶さんと目が合う。
「貴方の噂も、聞いてはいた。蘇芳なんか、同じ草花の家系だから、特に気にしていてね」
——『そっちはそっちで、なにかしら事情がありそうだ』
そういえば、初めて会った時にそう言っていたのは蘇芳さんだった。
「ごめんね。隠していたわけじゃないんだけど」
「いえ! そんな……」
申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする千晶さんに、慌ててそう返す。
私は、流し台の上に必要なものを並べ終えた千晶さんにスプーンを渡した。
千晶さんがそれで一度ポットのふたを叩き、触れて温度を確かめる。
きっと問題なくあたたかくなったのだろう。千晶さんは流れるように次の動作に移った。
「あ、あの……!」
そう切り出した私は、茜さんからもらったあの玉のことについて話し始める。
――恐らくは真込家の手がけた品であろうそれを、自分が使えたこと。
――それを渡す時に茜さんが口にした、不可解な言葉について。
「……なるほど……。そんなことがあったんだね」
ひととおり話し終えた後、千晶さんはそんな風に言って考え込んでいるような素振りを見せた。
その間も、お茶の支度をする手が止まっていないのはさすがだ。
「――……この話、蘇芳にしてもいい?」
そうやって許可をとってくれるのが千晶さんらしいと思う。
もちろんです、と頷いてから、私は四つのカップをおぼんの上にのせた。
両手でそれを支えながら、蘇芳さんと碓氷さんが待つ広間へと向かう。
◆
四つのカップをテーブルに並べ、依頼人である碓氷さんに私達が向き合う形で着席する。
「それでは、改めて」
千晶さんがそう切り出した。
「ご依頼についてお聞かせ頂けますか?」
そう言って真っすぐに碓氷さんの方を見る。
「昨日言った通り。私は両親に――碓氷家に渡す、手切れの品を探してる」
碓氷さんは昨日私たちに告げた言葉を繰り返した。
「――『枯れない想い』を届けるには、まず貴方の想いを理解することが重要です」
千晶さんの口調はあくまで柔らかかったけれど、そこには揺るがない強い芯のようなものが感じられた。
「だから、できる限り話してほしいんです。貴方の口から、貴方の言葉で……ここに至るまでの心の変遷を」
そこで初めて、碓氷さんは躊躇うような素振りを見せる。その視線が注がれているのは、私だ。
「……あの、私、席を外した方が……」
同い年で……いけ好かない存在であろう私がいたら、彼女も話しづらいのではないか。
「変に気を回さないで。あんた、ここの従業員なんでしょ」
躊躇いがちに口にした提案は、碓氷さん自身によって却下された。
形の良い唇をきゅっと噛んでから、彼女は静かに話し始める。
私にできるのは、ただ黙ってそれを聞くことだけだった。
「――多分、生まれた時からあのひとたちの望むような子供じゃなかった。特別美人なわけでも、頭がいいわけでもない。でも、負けん気だけは人一倍強くて……『可愛くない子』ってよく言われてた」
その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅーっと痛くなった。
冷静さを装ってはいるが、彼女は話しながら、昔の痛みをなぞって再び傷ついている。昨日知り合ったばかりの私にもわかるくらいあからさまに。
その事実が、私の心臓をぐっと鷲掴みにしていた。
「一番大きな転機だったのが、多分、桐央中に落ちたこと」
わかりやすく碓氷さんの声のトーンが一段下がる。
桐央中というのは多分、名門お嬢様学校と言われている桐央学院中等部のことを指しているのだろう。
「工場とかでさ、できあがった品物を検品してて、エラーが見つかったら、ぽいって脇に捨てられるでしょ。あんな感じ。あの日あたしは、あの人たちの思う『正規品』のルートを外れたんだ」
自嘲気味な告白が、昨日の『不良品』という発言に繋がっているのだろうことは想像に難くない。
私は知らず知らずのうちに、ぎゅっと両手の拳を握りしめていた。
「だからそこからは徹底的な商品管理が始まった。毎日分単位で生活を監視されて、それ通りにしてないと、金切り声で怒鳴られてさ」
心底憎々しげな口調で碓氷さんは言う。
「――だからあたしは『不良品』らしく、徹底的に非正規のルートをいくことにしたんだ」
うつむき気味な切れ長の瞳に、睫毛の影が落ちている。おそらくマスカラで伸ばされているだろうそれに、ラメののった瞼。
うちの学校で、あからさまにメイクをして登校している子はそう多くない。よく言えば穏やか、悪く言えば地味な校風の中で、彼女はかなり目立つ存在だ。
ワルイ子とか、コワイ子とか、そんな噂を聞きかじったことも正直あった。
だけど今ならわかる。あのメイクは碓氷さんにとって護身用のナイフみたいなものだ。
もしくは、私の胸元のスミレみたいな。自分を自分たらしめる何か――。
「でも最近じゃ、あたしが何をしても知らん顔してるからさ。いわゆる無関心ってやつ? だからこの際、さっさと縁切って他人になってやろうかと思って」
碓氷さんはそうやってニヒルな笑みと共にハッと笑い飛ばしてみせるけれど。
彼女の心がもう見ていられないくらい傷だらけなことは、私にも――恐らく千晶さんや蘇芳さんにも――わかっていた。
「……お話を聞かせて頂き、ありがとうございます」
千晶さんがそう言って軽く礼をした。
「それで? 品物は用意してもらえるの?」
昨日までの自分だったら、棘のある口調で尋ねる碓氷さんのことを『ツンケンしていてイヤな感じ』と思っていただろう。
でも、 今は違う。語尾にぎゅっと押し隠された必死さが伝わってきてしまう。
「――私達でよろしければ、ぜひ協力させて下さい」
千晶さんがそう言った瞬間、碓氷さんと一緒に私までほっとしてしまった。
「準備がありますので、少々お待ち頂けますか?」
千晶さんはそう言うと、蘇芳さんと一緒に席を立つ。真込さんの時と同じ流れだ。
こくりと頷いて了承の意を示す碓氷さんを、ちらりと横目で盗み見る。
このままいくと、彼女と二人で少し待つことになるだろう。
千晶さん達が来るのを待っていた時とは、また違った気まずさだ。
彼女の『一番知られたくないこと』を知ってしまった今、彼女もまた、私に対して気まずさを感じているだろう。
つかつかと千晶さん達が広間を立ち去る。
遠ざかっていく足音を最後に、だだっ広い空間は再び沈黙で満たされしんとしていた。
――このまま黙っていることも、できるけれど。
それではいやだ、と意志をもった言葉たちが喉の奥からせりあがってくる。
今の私にできる最善の選択肢は……。
「あの……私……っ!」
切羽詰まった声をあげた私に、碓氷さんの視線が突き刺さった。
訝しむような目は、私の次の出方を伺っている。
「昨日は……無神経なこと言って……ごめん。私、碓氷さんのこと、何にも知らないで……」
「謝らないで。みじめになるでしょ」
私の薄っぺらい謝罪を、碓氷さんは気持ちよくバッサリ斬ってくれた。
「――でも……」
しかしここからが予想外。碓氷さんはそう言いながら、わずかに眉尻を下げてこちらを見た。
「あたしも、あんたのことよく知らなかったから。その……この間まで、長く休んでたんでしょ」
ごにょごにょと続けられた言葉はよく聞き取れなかったけれど、多分碓氷さんは、私が学校を休んでいた理由――母さんが亡くなったこと――を誰かから聞いたのだろう。
しん、と再び沈黙が広間を満たす。でも、今度の沈黙はさっきほど気まずくない。
「――だから……ごめん」
静寂を破ったのは、碓氷さんの小さな小さな謝罪だった。
「……謝らないでいいよ」
なんていうか、お互いさまだし。
そんな思いを込めて返した。
「……若干マネすんなし」
「してないよ」
ぶすっとした碓氷さんとそんな問答をしているうちに、二人分の足音がこちらに近づいてくる。
両手に荷物を抱えた千晶さんは、室内に入るなり驚いたように目を見張った。
それから私達二人を見比べて、ふわっと花が綻ぶみたいに笑う。ただ、それだけ。
「――では、始めましょうか」
水を打つような千晶さんの声によって、話は次の段階へと進もうとしている。
私はごくりと唾を飲み込み、千晶さんと蘇芳さんと――彼らが携えたトランク型のケースをじぃっと見つめた。




