Ⅲ(5)お届け物です
真込さんの来訪から二日後。
火口家から訪問を認められた私達は、蘇芳さんの運転する車で隣の市へ向かっていた。
「……よ、よかったんでしょうか……? 私までついてきてしまって……」
後部座席でちぢこまっている私に、千晶さんが優しく声をかける。
「もちろんだよ。立花さんもうちの店の一員なんだから」
その言葉はとても、とても嬉しいけれど、だからこそ何か粗相をしたりしないかと心配なのだ。
そんな私に蘇芳さんが問う。
「この品がどうなるのか――依頼が無事果たせるか……気にならねぇのか?」
「きっ、気になりますっ!」
即答する私に、蘇芳さんは淡々と返した。
「じゃあお前の目で見届ければいい。それだけだろ?」
その言葉にハッとする。
真込さんの想いがこもったバレッタは、厳重に梱包された状態で後部座席――私の隣に置かれている。
真込さんは『私達』を信頼してこの仕事を依頼してくれたのだ。
だったら、こんな風におどおどしながら「私なんて」って顔をして行くべきじゃない。
きゅっと唇を引き結んで、深呼吸。
それを見てルームミラー越しの蘇芳さんが、少しだけ微笑んだような気がした。
「着いたぞ」
蘇芳さんはそう言って運転席側の窓を開ける。
目の前にあるのは、立派な門構えの家――というか、これはもうお屋敷と言った方がいいような規模だろう。
まさかこれが火口家? こんなところに普段着で飛びだしてしまって大丈夫なのだろうか?
スーツを着た男性が、蘇芳さんに何事かを告げた。身振り手振りから察するに、駐車場所を案内しているのだろう。
大きな門がゆっくりと音もなく開き、車は庭先の広いスペースにおさまった。
蘇芳さんと千晶さんが、続々と車を降りる。ビビッてなかなか動けないでいる私に、千晶さんが優しく声をかけた。
「行こうか」
「は、はい……」
私は情けない声と共に、ようやく車から降りる。
千晶さんが後部座席から贈り物の入った箱を取り出す。梱包をといて、緩衝材の中から取り出した純白の箱には、赤いリボンがかかっていた。真っ赤というよりは、少し黄味がかった茜色――これはもちろん茜さんの名前にちなんだものだ。真込さんに選んでもらった。
それを丁寧に贈呈用の袋に入れると、千晶さんは改めて私達の顔を見て、言った。
「それじゃあ、行こうか」
私達はこくりと頷いて、千晶さんに続く。
「こちらにお願いします」
さきほどのスーツ姿の男性が私達を先導した。
立派すぎる庭園から玄関の道を歩いている間に、どんどん緊張が高まっていく。
「おあがりください」
目の前に置かれた三組のスリッパ。そのうちの一組をありがたくお借りして、私たちは火口家の屋敷を奥へ奥へと進んだ。
その途中で見かけたインテリアの中にも、「これは真込家のものだな」というものがいくつかある。
――これを見るたびに、茜さんは、真込さんのことを思い出したりするのかな……。
ふとそんな考えが頭をよぎるが、すぐに思い直す。
真込さん自身が言っていたではないか。
――『この恋をどう扱うかは、彼女が決めること』か……。
だったらここで、私があれこれ妄想を繰り広げるのも違うだろう。
「――ここまでです」
スーツの男性は、慇懃無礼な口調で短くそう言った。
「婚儀の前の女性は、家の者以外の男性との面会を禁じられています」
「!」
なんて時代錯誤な……! という言葉を慌てて飲み込む。名家だからなのか魔法使いの家系だからなのかはわからないけれど、このひとたちが「そういうもの」だと言うのなら「そう」なのだ。
「ということは、僕達は……」
「茜様とはお会い頂けません」
短くきっぱりとした言いぶりから、それが覆るということは到底なさそうだった。
「――家の者以外の『男性』、って言ったか?」
蘇芳さんが片眉を上げながら尋ねる。
「左様です」
男性の返答を聞いた蘇芳さんと千晶さんが、じーっと見つめていたのはほかならぬ私だった。
「……女性なら……?」
「問題はありません」
ダメ押しとばかりに尋ねた千晶さんに、男性が頷く。
「――頼んだぞ」
蘇芳さんが言うのに合わせて、千晶さんが『お品』の入った袋を私に手渡す。
「え、ええっ⁉ わ、私ですか……っ⁉」
動転している私を勇気づけるように、千晶さんがふわっと優しく笑いかける。
「立花さんにしか、できない仕事だ。……お願いできるかな?」
これは本当に文字通り、『私にしかできない』ことだ。
こんなに重要なことを、千晶さん、蘇芳さん……そして真込さんが、任せてくれた。
――ここで何もできなかったら、本当の役立たずになってしまう。
「わ……わかりました……!」
必死に自分を奮い立たせながら、頷く。
まだ状況が完全に飲み込めていない私に構うことなく、スーツ姿の男性は「それではこちらへ」とずんずん前に進んでいく。
渡り廊下のような場所を通って、別の建物にたどり着いた。茜さんはどうやら現在、こちらの離れにいらっしゃるらしい。
「茜様」
男性はおもむろに障子の前にひざまずき、言った。
「例の、贈呈品を持った使いの方がいらしております」
男性は真込さんの「ま」の字すら出さない。
「入って頂いて」
障子の奥から、少し低めの女性の声がする。
男性が静かに障子を引き、私に先を促した。
半洋室――とでも言うのだろうか。和のテイストを基調にしながら、室内を飾る家具はモダンなものが多い。
広い部屋の半分ほどを、向かい合わせに配置されたソファとローテーブルのセットが占めていた。
「遠いところをわざわざありがとうございます」
ソファに腰かけそう微笑んでいるのは、艶やかな黒髪をハーフアップにした女性だった。
すっと通った目鼻立ちに形の良い唇は、まるで女優か何かのよう。
身にまとっているベージュのひざ丈ワンピースは、皺ひとつなくとても品が良かった。
ひと目で「ただものではない」ことがわかるその姿に圧倒され、言葉が詰まる。
「こちらこそ……っ! お忙しい中、お時間を頂いて……っ!」
しどろもどろになりながら、なんとかそれだけ口にすることができた。
女性――茜さんはにこりと笑うと、「どうぞ、おかけになって」と私に着席を促す。
私は思わずスーツの男性の顔色を伺った。……無表情なのが逆に怖い。
恐る恐る着席した私の思いを察したのだろうか。茜さんがスーツの男性に言う。
「少し外してもらえないかしら」
今度はわかりやすく男性の顔に動揺が浮かんだ。
「しかし……」
「お願いです。ほんの少しでいいの」
『お願い』の形をとってはいたが、口調は存外強い。
「――承知致しました。何かありましたら、すぐにお声かけください」
男性はそう言って部屋を出る。おそらくは障子のすぐ向こうに控えているのだろう。
「……これで、少しは落ち着いてお話ができるかしら」
茜さんはそう言って、ソファの上で姿勢を正した。
「私は、火口 茜と申します。このたびはようこそおいで下さいました」
そう言って丁寧に頭を下げるものだから、こちらが恐縮してしまう。
「ほ、宝石花店、アリーヴェデルチの……立花 リカといいます」
ここに来るまでの間に、何十回も頭の中で唱えたセリフだ。なんとか噛まずに言えた。
「こ、こちらを……お届けにあがりました……!」
そう言って私は、持ってきた袋をテーブルの上に置く。
「――わざわざ、ありがとうございます」
少しの感慨と共にそう言った茜さんは、僅かにきゅっと目を細めながらテーブルの上の袋を見つめた。
「……開けてみても、いいかしら?」
「も、もちろんです……っ!」
私の言葉を待ってから、茜さんは袋に手を伸ばした。
中から取り上げた純白の箱と茜色のリボンに目を細め――細い指で丁寧にそれをほどく。
そして箱をゆっくりと開けた瞬間――私は見てしまった。彼女の目尻を、一筋の涙が伝うのを。
「――……」
しかし茜さんは、声をあげることも、わかりやすく呼吸を乱すこともなかった。――強いひとだ。
「……とても素敵なお品を、ありがとうございます」
彼女はそう言って、再び深々と礼をした。
そして次に顔を上げた時、彼女の頬を伝っていた涙はどこかに消えている。
数十秒ほどだろうか。少しの沈黙が、室内を満たす。
「――……ほんとうに……自分のこととなると不器用で……でも、とても優しいひとでした」
茜さんが発したその言葉が、誰のことを指しているのかは明白だった。
「――もっと我儘になってくれてもよかったのに……こんな風にされたら、私は、もう……」
再び茜さんの睫毛を濡らした涙は、こぼれることなく白いハンカチに吸い取られた。
お化粧が落ちないように丁寧に目元をぬぐってから、茜さんは顔を上げる。
「本来なら、私からあの方への返礼は禁じられています」
真剣な表情で私のことを見つめた後、茜さんはふっと表情を寛げた。
「だから……これは独り言です。聞いていてくれるかしら?」
「……はい」
私は静かにそう言って頷く。
「どうか、幸せになって――と……。できることならそう、伝えたいの。私にそんなことを言う資格なんて無いのだけれど」
なんて言ったらいいのかわからなくて、私はただただ黙りこくっていた。
「でもね……。――ここからは、私とあなただけの秘密よ?」
そう言って茜さんは少しだけ笑う。
「それと同じくらい……忘れられてしまうことが寂しいの。あのひとの中に、ずっと残っていたいと思ってしまっている。酷い女でしょう。これから他のひとのところへ嫁ぐっていうのに……」
そう吐き出した茜さんは、泣くのをこらえているようにも見える。
今までは作り物みたいに綺麗なひとだと思っていたけれど、こういう表情をしていると、まるで幼い少女のようだ。もしかしたら私が想像していたのよりもお若いのかもしれない。
「……ごめんなさい。恥ずかしいところを見せてしまったわ」
そう言って茜さんは少しだけ微笑んだ。
「このたびはありがとうございました。一緒にいらした方々にも、そうお伝え頂けるかしら?」
「はい、もちろんです……!」
私の答えに微笑みを返した茜さんは、おもむろにソファから立ち上がった。
「――貴方にお礼がしたいの」
茜さんがそう言って、棚の引き出しから何かを取り出した。
「大したものではないけれど、もらって頂けるかしら? 立花の家のお嬢さん」
茜さんにそう呼びかけられて、目を見開く。
「花屋さんに『草花』の家の娘さんなんて、おあつらえ向きよね」
微笑みを浮かべたままの茜さんに、なんと答えたらいいのかわからない。
だって私には、魔法が使えないんだから。
「――これなら、『今の貴方』にも使えると思うの」
しかし茜さんは、私の思考を遮るようにそう言った。
そして手の中に持っていた、小さな赤いきんちゃく袋を私に向かって差し出す。
――『今の貴方』とは、一体どういう意味だろう……?
訝しがっている私の手の中に、茜さんがきんちゃく袋をにぎり込ませた。
手の中の袋は、そこまで重くない。何か丸っこいものが入っているようだった。
「あらためて、本日はご足労頂きありがとうございました。……一緒に来て下さった方にも、そうお伝え頂けるかしら」
艶やかに微笑む茜さんに、勢い込んで答える。
「はい……! あ、あと、独り言の方も……!」
私の言葉に茜さんは微笑むと、唇の前に人差し指を立てる。
そうだ。茜さんから真込さんに何かを伝えることは、本来ならばできないのだ。
「よかったらまたいらして。今度はお茶でも頂きながら、ゆっくりお話しましょう」
茜さんのその言葉を待ち構えていたかのように、障子が音もなく開いた。部屋の外に控えていた、例のスーツ姿の男性がやったのだろう。
「ありがとう、ございました……!」
「こちらこそ、本当にありがとうございました」
茜さんの綺麗な礼で見送られた私は、スーツの男性と母屋までの道を歩く。
隔てていたのは障子一枚だ。きっとこの男性には何もかも筒抜けだっただろう。
けれど何も言わない。このひとにがこのひとなりに、思うところがあるのだろうか。
「――立花さん!」
千晶さんと蘇芳さんは、母屋の応接間に通されていたようだった。
「……ありがとう。お疲れさま」
そう言って柔らかく笑う千晶さん。
「ぶ、無事に、お渡しできました……!」
たどたどしく報告すると、蘇芳さんが椅子から立ち上がりながら言う。
「顔見りゃあわかる。……よくやったな」
蘇芳さんからの褒め言葉は、千晶さんからのそれとはまた違った感情を呼び起こす。なんていうかこう、レアなものに遭遇した、的な。
そうして改めて三人でほっとしたのもつかの間。
「あんまり長居しても申し訳ないし」
「退散すっか」
こうして私たちは火口家を後にした。
「このたびは、ご足労頂きありがとうございました」
最後まで見送ってくれた男性のお辞儀が、帰りはこころなしか深かったような気がする。……もちろん、私の気のせいかもしれないけれど。




