Ⅲ(4)予期せぬ依頼
「実はみなさんに、お願いがあります」
カップの中のお茶が底をつきそうになった頃、真込さんは改めてそう切り出した。
私達はじっと真込さんを見つめて、言葉の続きを待つ。
「――さきほどの品を、火口家に……茜さんのところに、届けて頂きたいんです」
思ってもみなかった真込さんの言葉に、私達三人は息を吞む。
「……私は、もう火口家に足を踏み入れることはかないません。……私が直接出向くのは、彼女のこれからのためにも、よくないことでしょう」
真込さんの話しぶりは落ち着いていたが、その言葉の端々からは強い意志が感じられた。
「無理を言っているのは承知しています。――もしかしたら皆さんに、ご迷惑をおかけするかもしれない。……けれど私は、できることなら貴方がたにお願いしたいんです。私の想いに真摯に向き合って下さった、皆さんに」
私達に向けられた真込さんの視線に迷いはない。彼が本気でそう言っているのだということがすぐにわかった。
――本当に、私達が……?
果たして千晶さんは何と返事をするのだろう?
私と真込さん、二人分の視線が千晶さんに集まる。
「――貴方にとってそれが最善であるのなら……お引き受けいたしましょう」
静かな声で千晶さんが言った。
「何が最善なのかは……正直私にもよくわからないんです。ただ、後悔はしないと思います。それが今できる最良の選択肢だと思っていますから」
真込さんの意志は固いようだった。
それを聞いた千晶さんはしばらく考え込んでから、こくりと頷いた。
そこからは、火口家とのコンタクトの取り方など、具体的な調整の話に入る。
聞いていても、私にはよくわからない単語も多くてなんとなく手持無沙汰だ。
私はなんとなく、千晶さんのそのまた隣に座っている蘇芳さんの様子を伺う。
今日の蘇芳さんはいつもに比べて口数が少ない気がする。お客様の前では、いつもこんな感じなのだろうか。
蘇芳さんの顔は、まっすぐに前を向いていた。けれどその視線は、隣にいる千晶さんに注がれている。
見守っている――というのとも少し違う、気づかわしげな視線。
この感じを、私はこれまでに何度か見たことがあった。
「――お手紙などをお預かりすることもできますが」
千晶さんの問いかけに、真込さんは少し考えた後、首を振る。
「……彼女の門出にふさわしい言葉を……私はまだ、持ち合わせていません」
自嘲気味な笑みと共に吐きだされた言葉からは、未だに断ち切ることのできない茜さんへの強い思いが感じられる。
当たり前だ。理解ることと納得するということは、似ているようでまるで違う。
「それではこの辺りで、私は失礼致します」
必要事項をあらかた話し終えたらしい真込さんは、そう言って立ち上がるとスーツの襟をしゃんと正した。
「――貴方達にお願いできて、よかった。本当に、ありがとうございます」
深々とした一礼は、まるでお辞儀のお手本みたいに綺麗だ。
私達三人も立ち上がり、部屋の入口まで真込さんを見送った。
「ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました……っ!」
お礼の言葉とともに頭を下げる千晶さん。私も慌ててそれに続く。
蘇芳さんは、どうやら外まで真込さんを送るようだ。真込さんより半歩先に立ち、長い廊下の向こうへ消えていく。
コツ、コツ、と遠ざかっていく足音が完全に消えた瞬間、一気に気が抜けてしまった。
――こうして、私にとって『初めてのお客様』の対応は終わった。まるで夢をみていたみたいだ。
未だに足元がふわふわしていて、およそ現実感というものがない。
でも、不思議と確かな実感があった。この出来事によって、私の『これから』が変わっていくのだという。
「――どうだった? 宝石花店のお仕事は」
千晶さんが、微笑みながらそう尋ねる。
「……なんだか……すごかったです……」
もともと無い語彙力はさらに残念なことになっている。私がふわふわした気持ちのままそう口にすると、千晶さんはくしゃりと笑った。
「……そうだね。……すごいことをさせてもらってると、思う」
その言葉は私のものと同様、どこか現実感を伴っていないように思える。
「させてもらってる、じゃなくて、すごいことをしてるんですよ……! 千晶さんが……!」
さきほど味わった感動を伝えたくて、思わず言葉に熱が入る。
けれど千晶さんに、私の言葉はあまり響いていないようだった。
「――この店のお客様は、みんな蘇芳が連れてくるんだ。さっきの、真込さんも含めてね」
「えっ?」
千晶さんの言葉に、思わず声がでる。
そういえば、今日、真込さんに最初に対応していたのは蘇芳さんだった。
そして街を駆けずり回っていた私を、この屋敷に導いてくれたのも……。
「――いつも、難しい顔してパソコン触ってるでしょう? あれは、お客様やお客様になりそうな人の対応をしてくれているからなんだよね」
なんと、この店の営業担当は蘇芳さんだったらしい。
――ここはもしかしたら、思っていたのよりさらにずっと、特殊な職場なのかもしれない。
「ちなみに、この店を始めようって言って、僕を引っ張り出してくれたのも蘇芳」
「ええっ⁉」
今度はさらに大きい声が出た。
「引っ張り出す、って……」
「……僕、ちょっと前まで引きこもってたから」
千晶さんはそう言って笑う。へらっという擬音をつけるには、ちょっと痛々しい笑みだ。
先日千晶さんの心の傷を垣間見た私は、なんと言ったらいいのかわからずに黙りこくっていた。
「――だから、蘇芳には本当に、感謝してるんだよ」
呟かれたその言葉は、きっと千晶さんの胸の中で長いこと大事に温められてきたものだったのだろう。
それを口にした時の千晶さんは、まるで宝物をその手に抱いているような顔をしていた。
それを見て私は安堵する。千晶さんは、きっと大丈夫だ。まだ完全に「大丈夫」とは言えないかもしれないけど、きっとそうなっていく。
広間があたたかい沈黙に包まれたタイミングで、蘇芳さんが帰って来た。
「――んぁ? なんだ?」
そう言って顔をしかめながら私達の方を見る。
やばい。無意識にニヤニヤしていただろうか。
「――別に。なんでもないよ」
千晶さんはくすっと笑ってからそう言って、蘇芳さんの方に向かって歩いていく。
すれ違いざま「さっきのは、秘密ね」と囁くものだから、思わず盛大に頷いてしまった。
「やっぱ何かあんじゃねぇか」
そう言って憤慨している蘇芳さんに、「何もないって」と笑いながら言う千晶さん。
その光景がなんだかあたたかくて、私は勤め始めて数日しか経っていないこの職場に、早くも居心地の良さを感じていた。




