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トラブル・ショッピング

 ────たかが薄布、されど薄布。



 それは、由々しき問題だった。

 キッチンで立ち仕事をしているミイムは、白い毛に覆われた尻尾をゆらゆらと揺らしながら、鼻歌を零している。ミイムと共にコンテナに詰められていた趣味の悪いドレスを解いて作った、派手なピンクのスカートを履いている。

 それは、やたらと短かった。膝上は二十センチはあろうかという短さで、生地も薄っぺらく、アンダーも着ていない。その上、下着を履いていない。ミイムが動くたびにちらちらと垣間見える素肌の太股と尻が、目に付いて仕方ない。

 マサヨシはリビングでコーヒーを啜りながら、ホログラフィー・ニュースペーパーの内容に必死に気を向けていた。ミイムが淹れたコーヒーは、今までの自分が淹れたものに比べれば天と地ほどの差があり、非常に美味しい。

 どこぞのコロニーの植物プラントで栽培されたコーヒー豆は同じはずなのに、香りも違えば味も大分違っていた。だが、その味が今一つ感じられなかった。世間の情勢や統一政府の動向を知らせる文章も、頭に入ってこない。

 それもこれも、ミイムのせいである。彼女、もとい、彼がこのコロニーにもたらしてくれたものはとても大きい。母親のいないハルの寂しさを埋め、マサヨシのいい加減な日常生活を正し、サチコとイグニスとも良い友人だ。見た目はどう見ても美少女だが実は男だという事実はかなり衝撃的だったが、今はそれに慣れるしかなかった。

 しかし、問題はそこではない。ミイムが男であると解った以上、下着を履かずに暮らすのは許し難いことだった。女であったとしても充分問題だが、男ならまた別の意味で問題だ。何より、ハルの教育に絶対良くないだろう。それに、マサヨシの精神衛生上にもよろしくなかった。

 男だと解っても、美しいものは美しく、また可愛らしいのだ。それがまた嫌だった。男だと解った途端に色々と興ざめしたのだが、そのおかげで余計な劣情は剥がれ落ちた。しかし、それでも初見の際に感じた感動に似た思いは未だに冷めておらず、ミイムの言動の端々が気に掛かる。これで女だったら、と思うことは少なくない。同性愛者ではないと言い切ったのに、このままでは揺らぎそうだった。

 それもこれも、ミイムが何も履かないのが悪い。マサヨシは精力が強い方ではないが、それでも男は男である。イグニスと組み、ハルと共にこの廃棄コロニーで暮らすようになってからは、今まで以上に女っ気がなくなった。しかし、何かしらの感情は溜まる。だが、ここ最近はめっきり落ち着いていたので、枯れたとばかり思っていた。枯れたはずの感情を呼び起こして掻き乱してしまうほどのミイムの美しさと愛らしさは、最早暴力にも等しかった。

「みゅ?」

 マサヨシの視線に気付いたのか、シンクで昼食の食器を洗っていたミイムは振り返った。

「なんですか、パパさん?」

「頼むから履いてくれ」

 マサヨシは生温くなったコーヒーを、テーブルに置いた。

「ふみゅー……」

 ミイムは泡だらけのスポンジを握り締め、悲しげに眉を下げた。その仕草だけでも充分愛らしいが、男だ。

「ボクの種族はぁ、あんなモノを身に付ける習慣はないんですぅ。それに、アレを履くとボクの尻尾がぁ……」

「じゃあ、穴でも開ければいいだろう」

「そういう問題じゃないんですよぅ」

 色白な頬を膨らませたミイムは、むっとして唇を尖らせる。

「お尻が気持ち悪いじゃないですかぁ! それに、がさがさするから嫌なんですぅ!」

「お前のアレが見えたらどうするんだ」

「だからそれはぁ、この間のピクニックの後に説明したじゃないですかぁ」

 ミイムはスポンジを置いて手を洗ってから、スカートを持ち上げた。だが、都合良くカウンターで隠れている。

「ボクのはちゃんと体の中に隠れるようになっていてぇ、使わない時は外へは出てこないんですぅ」

「だが、お前も排泄はするだろう。そういう時は外に出さなきゃならないだろうが」

「そりゃ、子供の時は外へ出さなきゃ出来ませんでしたけどぉ、ボクは大人になりましたからぁ、いちいち外に出さなくても排泄は出来ますぅ。それに、ボクのが外に出るのは発情期の間くらいなもんですからぁ」

 いつも出ているパパさんとは違いますぅ、とミイムは視線を下げた。マサヨシは、なんとなく目を逸らす。

「それは、そうなんだが」

「だからですね、ボクは下着なんて着なくても平気なんですぅ。ぶらぶらしませんからぁ」

「その顔でその表現をするな」

「パパさん、ボクのがそんなに気になるんですかぁ?」

 いやんえっちですぅ、と身を捩るミイムに、マサヨシはすぐさま反論した。

「違うったら違う!」

「じゃあ、どうしてそんなにボクに下着を履かせたいんですかぁ?」

「ハルのためにも良くないだろう、色々と」

「みぃ、そうですかぁ?」

 ミイムは長い睫毛を瞬かせ、首を傾げた。

「サチコじゃないが、良くないと断言出来る。君の種族はどうかは知らないが、人間の女は年頃に成長すると、生殖機能が発達して子供を作れるようになるんだが、受精しないと胎盤やら卵子が排泄される仕組みになっているんだ。それが、約一ヶ月周期でやってくる。ハルも時間が経てば大人の体に成長するし、女の子だから初潮が来るのが当たり前だ。だから、それに対処するためにも下着を付ける習慣がないとだな」

「垂れ流しってことですかぁ、みぃ」

「みなまで言わないでくれ」

 マサヨシはミイムの語彙の汚さに、少々呆れた。育ちが良いとばかり思っていたが、案外そうでもないらしい。

「ボクの種族の女性はそんなことはないんですけどねぇ、ふみゅうん」

 面倒な仕組みですぅ、とミイムは不思議がっている。これ以上続けると、ますます下世話な話題になりそうだ。そう思い、マサヨシは敢えて言葉を切った。ミイムに対して言いたいことが出てきたが、今のところは飲み下した。今、話題にしたいのはミイムとその同族の生殖機能と繁殖についてではなく、ミイム自身の下半身のことなのだ。

「とにかく、そういうわけだからパンツを履いてくれ。ハルに悪影響が出ないとも限らない」

 マサヨシが語気を強めるも、ミイムは引き下がらない。

「うみぃ、嫌ですぅ! ハルちゃんにその時が来たらぁ、ちゃんと教えてあげればいいだけじゃないですかぁ!」

「いや、だから、そうなる前にだな」

「なんだったら、それはサチコさんにお任せしてもいいじゃないですかぁ」

「サチコじゃよく解らないだろう。サチコは有能だが、生身の感覚まではさすがに理解出来ないからな」

「みゅうー……」

 機嫌を損ねてしまったのか、ミイムは拗ねた。

「確かにボクはハルちゃんのママになるって言いましたしぃ、ママのお仕事はとっても楽しいですしぃ、ハルちゃんは可愛いし元気だから大好きですぅ。でも、だからといって、ボクにパンツを強要しないでほしいですぅ」

「母親に限らず、親ってのは子供の手本になるのが基本じゃないか」

「そんなに言うんだったら、パパさんが履けばいいじゃないですかぁ」

「俺は既に履いている」

「みゅうーん……」

 ますます機嫌を損ね、ミイムは頬を膨らませて長い耳を下げた。すると、リビングの外からイグニスが言った。

「全く面倒だなぁ、炭素生物ってのはよ」

「ああ。ミイムが履いてさえくれたら、事はすんなり収まるんだが」

 マサヨシが首を横に振ると、ミイムは意地になってそっぽを向いた。

「ボクはパンツなんて絶対に履きませんからね!」

 外で胡座を掻いているイグニスは、肩を竦めた。

「パンツってのはあれだろ、洗濯物の中に混じってる、あのちっせぇ布きれのことだろ? あんなの大した重量でもねぇんだから、いっそ履いちまったらどうだ。慣れたらいいもんかもしれねぇぜ?」

「イギーさんまでそんなことを言うんですかぁ!」

「それに、まかり間違ってマサヨシに襲われたらどうするんだよ。それこそ大事だぜ、ミイム」

 イグニスの軽口に、マサヨシは頬を引きつらせた。

「お前はまだ俺をホモだと思っているのか、イグニス」

「だって、なぁ」

 にやにやしているイグニスに、マサヨシは少し苛立ちながらも言い返す。

「案ずるな、男を襲うほど飢えてもいなければ堕ちてもいない」

〈ハルちゃん、いい子にお昼寝したわよ〉

 換気のために開け放していたリビングの扉を抜け、サチコの操る球体状のスパイマシンが室内に入ってきた。サチコはにやけた笑いを零すイグニスと渋い顔をしているマサヨシと拗ねているミイムを、じっくり見比べた。

〈……何なのよ、この訳の解らない空気は〉

「聞いて下さいよサチコさぁん、パパさんってばひどいんですぅ! ボクにパンツを履けって言うんですぅ!」

 ミイムはすかさずサチコに泣きついたが、サチコは冷淡だった。

〈マサヨシは一般常識を説いているだけよ、ミイムちゃん。だから私は、マサヨシの意見に全面的に賛成だわ〉

「みゅう、サチコさんってばパパさんの味方なんだからぁ!」

 不愉快そうなミイムに、イグニスは素っ気なく言った。

「それは今に始まったことじゃねぇだろ」

〈でも、ミイムちゃんの意見も尊重するべきじゃないかしら〉

 サチコの言葉に、ミイムは途端に機嫌を戻した。

「うみゅ、そうですよねぇ、ボクだって皆さんのお友達で家族なんですからぁ!」

「おい、サチコ」

 やっとこの話題が収束すると思っていたのに。マサヨシは僅かに苛立ちながらサチコに向くと、サチコは言った。

〈ここは一つ、ミイムちゃんの気に入るパンツを探すというのはどうかしら〉

「なんでそうなるんだよ、電卓女」

 今回は完璧に他人事だからか、イグニスは面白がっている。サチコはイグニスを無視し、マサヨシに向いた。

〈きっと、ミイムちゃんはマサヨシの手持ちのパンツが気に入らないのよ〉

「そりゃ、そうだろうな」

〈だから、宇宙ステーションのショッピングモールにでも行ってミイムちゃんの気に入るパンツを探すべきだと思うわ。それと、ミイムちゃんの服も買うべきね。マサヨシのお下がりとコンテナにあったドレスを改造した服だけじゃ、ミイムちゃんの生活に支障を来してしまうもの。それに、ハルちゃんの服も何枚か増やすべきだし、生活用品も大分消耗したし、食料品だって心許なくなってきたわ。ミイムちゃんが加わって人数が増えた分、消耗する速度も早まったのよ。このままだと、持って一週間ぐらいかしら〉

「つまり、ミイムの服を探すついでに買い出しにも行けってことか」

〈さすがはマサヨシ、ご明察ね〉

 サチコは滑らかな動きでマサヨシの前にやってくると、平面のホログラフィーを投影して文字を並べた。

〈これが生活用品と食料品を並べたリストと予算よ。もちろん、マサヨシの所持金に収まるように計算してあるわ〉

「だが、ミイムの服の代金はどうやって捻出するつもりだ? この予算表には含まれていないようだが」

〈それについても考えがあるわ〉

 サチコはくるりと回転し、窓の外で座っているイグニスに向いた。

〈イグニスのクレジットカードから捻出しましょう〉

「おい、電卓女! それは理不尽を通り越して非常識だぞ、非常識! 解ってんのか!」

 イグニスは身を屈めて窓に詰め寄り、声を荒げた。サチコは、悠長にくるくると回転している。

〈先月末に、浪費しすぎて困窮していたあなたのエネルギー代を立て替えてあげたのはどこの誰だったかしらね? すぐに返すって言っていたわりに二十日が過ぎても0.1クレジットも返さないのは、どこの誰かしら? その三ヶ月前にもマサヨシに六万五千二百クレジットも借りたくせに〉

「解った解った、わーかったあ!」

 イグニスは大声を上げてサチコの言葉を遮り、渋々承諾した。

「払えばいいんだろ、払えば。だが、期待するんじゃねぇぞ」

 イグニスは、サチコのスパイマシンに自分のクレジットカードのシリアルナンバーとパスワードを送信した。

〈あら、なんて寂しいのかしら。月初めなのに、たったこれだけしかないなんて。計画性がないって嫌ね〉

 イグニスの口座の残高を確認したサチコが嫌みったらしく笑うと、今度はイグニスが拗ねる番だった。

「次の仕事で金が入ったら、すぐに返せよな。相棒にたかるなんざ、相棒甲斐のない野郎だぜ」

「その言葉、そっくりお前に返してやるよ」

 マサヨシの皮肉に、イグニスは顔を逸らした。

「……ああ、どうせ俺はろくでなしだよ。どうとでも言いやがれ、この野郎」

 自虐的にぼやいたイグニスは、リビングに背を向けてしまった。だが、ミイムはそれとは逆に機嫌を直していた。理由はどうあれ、新しい服を買ってもらえることが嬉しいようだった。そうしてはしゃぐ姿は、どう見ても女だった。けれど、男だ。男同士で買い物に、それも下着を選ばなければならない、というのはある意味拷問にも近しかった。

 だが、これはハルのためなのだ。そしてマサヨシ自身のためだ。これ以上、男の尻や太股に戸惑いたくなかった。万が一間違いを起こしたら、本当に取り返しが付かない。それこそ、マサヨシの父親としての沽券に関わってくる。

 この買い物は、ある意味では戦いだ。



 そして、翌日。

 マサヨシはスペースファイターにハルとミイムを同乗させ、買い物のために木星の宇宙ステーションへ向かった。サチコによって残り少ない有り金を巻き上げられてしまったイグニスは、留守番として廃棄コロニーに残してきた。

 それには、一応理由がある。イグニスを同行させると、ただでさえ低い愛機の輸送能力が大幅に削られるからだ。マサヨシのスペースファイターは小型故に航行速度こそ速いが、戦闘能力を高めるために輸送能力を犠牲にした。よって、イグニスのような大荷物を運ぶには向いていないのだが、彼と組む際に無理矢理左翼を改造したのだ。宇宙空間で自在な動作が可能な機械生命体、イグニスと組んで戦うのは非常に有利だが、弊害はいくつもある。だが、それらを差し置いてもイグニスと組むことは利点が大きい。なので、十年以上も付き合いが続いている。

 マサヨシのスペースファイターは、サチコの的確なナビゲートによって木星のガニメデステーションに到着した。ガニメデステーションは太陽系内の宇宙ステーションの中でも抜きん出て商業施設が多く、どんなものでも揃う。

 統一政府の系列にある真っ当な店から、明らかに闇ルートで入手した品物を並べている怪しげな店まで様々だ。当然、ハルの気に入りそうな子供服の店もあれば、ミイムに着せても遜色のない女性向けの服の店もあった。

 スペースファイターを宇宙船用パーキングに停めたマサヨシは、ステーション移動用のエアカーをレンタルした。宇宙ステーションやコロニーの中は、政府の法律で車輪を使って移動する乗り物は使えないことになっている。まかり間違って事故を起こせば大規模な惨事が起きかねないので、常に浮遊している乗り物を使うのが義務だ。エアカーやエアバイクなどは基本的には搭乗者が操縦するが、事故を起こしそうになったら外部から制御される。または緊急回避装置が作動し、自機を停止する。おかげで、今までエアマシン同士の事故は一度も起きていない。

 マサヨシの借りたエアカーは四人乗りで、操縦席にはマサヨシが座り、後部座席にはハルとミイムが座った。サチコはいつものスパイマシンに意識を移し、助手席にいた。彼女のナビゲート能力は、どんな時も欠かせない。宇宙ステーションの血管とも言えるチューブ状の移動用通路は、常に空気が循環しているので、風が強かった。だが、エアカーは自動慣性制御が付いているので、風に煽られたとしても反動を付けてすぐに姿勢を戻していた。

 長いトンネルに似た移動用通路内を行き交う様々な車種のエアカーが物珍しいのか、ハルははしゃいでいた。ミイムもまた、大きな金色の瞳を開いて眺めていた。マサヨシはその様子を横目に見つつ、頬を緩めていた。ミイムの一件は差し置いても、ハルが喜んでくれたのなら何よりだ。

 逆に考えれば、なんでもないことなのだ。ミイムにパンツを買うついでにハルの服を買うのではなく、ハルの服を買うついでにミイムのパンツを買うのだ。そう思えば、大したことではないだろう。マサヨシはハンドルタイプの操縦桿を回して、エアカーを左折させた。巨大な血管から派生している毛細血管のような細い移動用通路に入ると、店舗の広告や看板が一気に現れた。

 ブティックが一塊りになっている商業ブロックに入ったマサヨシは、エアカーのパーキングに入って駐車した。エアカーを借りた時に渡される駐車許可証を使ってロックを掛けると、反重力装置が作動し、車体が重くなる。エアカーの重量は増し、地面に吸い付いた。こうすれば、宇宙ステーションの自転で車体が流されることもない。

 エアカーから降りた一行は、まず最初の目的であるミイムのパンツと服を探すため、ブティックに向かった。ハルもハルで時間が掛かると思われたので、マサヨシはハルの見張りをサチコに任せてミイムと共に行った。太陽系一の店舗数を誇る宇宙ステーションだけあって人通りが多く、気を抜けば人の波に紛れてしまいそうだ。派手な服や装飾品が並ぶブティックが面白いのか、ミイムはきょろきょろしていて今にも迷子になりそうだった。

「ほら」

 迷子になると後が面倒だ、と思ったマサヨシは、ミイムに手を伸ばした。

「みぃ?」

 ミイムはきょとんとしたが、気恥ずかしげに頬を染めた。

「ふみぃ、そんな、恥ずかしいじゃないですかぁ」

「俺だって男と手を繋ぎたくはない。だが、迷子になったら困るのはお前だろう」

 マサヨシはげんなりしながらも、ミイムの手を取った。肌も薄ければ肉も薄い、ほっそりとした手だった。

「みぃ! パパさん、優しいですぅ!」

 ミイムは少女のように溌剌とした笑顔で、マサヨシの腕に縋ってきた。

「だから、勘違いするな!」

 マサヨシはミイムを押し退けてしまいたかったが、ミイムの腕の力は思った以上に強く、押し退けられなかった。マサヨシは他の客から注がれる視線が痛かったが、それを振り払い、ミイムを引っ張るようにして歩き出した。

「ほら、さっさと行くぞ! 用件を済ませたらハルとサチコと合流して、食料の買い出しに行くんだからな!」

「でも、ボク、やっぱりパンツは嫌ですぅ」

 ミイムはマサヨシに引きずられて歩きながら、頬を膨らませた。

「いいから行くんだ。俺だって、好きで行くわけじゃないんだから」

 マサヨシは込み上がる羞恥心と戦いながら、足を進めた。周囲の店は派手さを増し、並ぶ品物も派手になった。それは、ランジェリーショップばかりが並ぶ通りだった。当たり前だが、こんなところ、今まで入ったことはない。

 ウィンドウに立つマネキンはどれもこれも艶めかしいポーズを取っていて、面積の小さい下着を身に付けている。擦れ違うのは女性ばかりなので、マサヨシは尚更恥ずかしくなってきたが、ここまで来てしまっては引き返せない。マサヨシはなるべく周囲を見ないようにしながら、適当な店舗を見定めると、ミイムを引きずりながら入店した。

 いらっしゃいませ、との明るい声が掛けられ、マサヨシはようやく足を止めた。だが、すぐさま後悔に襲われた。棚という棚に、ラックというラックに、所狭しとランジェリーが並べられており、店員の服装も相応に派手だった。マサヨシは引き返したかったが、我慢した。ここで自分が挫けてしまっては、ミイムを引きずってきた意味がない。

「なんでもいいから、さっさと選べ」

 マサヨシはミイムを店内に押しやってから、背を向けた。だが、ミイムはまたマサヨシの腕を掴んだ。

「みぃ、パパさんも来て下さいよ。だってぇ、ボクはどんなのがいいか解らないんですもん」

「俺だって解らない。とにかく早く選んでくれ」

「みゅう……」

 ミイムは店の中を見回していたが、ある一点に目を留めた。

「じゃあ、あれが見たいですぅ!」

「どれだ?」

 マサヨシはあまり見たくなかったが、仕方なくミイムの指す方向を見た。そこは、アダルトな下着の一角だった。遠目に見るだけでも、まともな機能を持っていない下着ばかりだった。ミイムのコンテナに入っていたものと近い。ほとんど紐だけで股に当てる布がないものや、おかしな位置に穴が空いているものや、透けているものばかりだ。

「うみゅ! あれだったらぁ、まだ許せるかもしれないですぅ」

 ミイムは短いスカートの下で、尻尾をぱたぱたと振る。

「あれだけはやめてくれ、お願いだから!」

 マサヨシが懇願すると、ミイムは眉を下げた。

「みぃ? パパさん、なんでもいいって言ったじゃないですかぁ」

「なんでもいいが、そういうのは良くない!」

「だって、ボクは布地が多いパンツは嫌なんですぅ」

「確かにその基準には当て嵌まるかもしれないが、俺の常識の範疇からは外れている!」

「じゃ、どんなのがいいんですかぁ? パパさん、教えて下さいよぉ」

「教えるも何も、俺は女じゃないから解らないんだ!」

「じゃ、なんでパパさんが一緒に来たんですかぁ?」

「お前を見張るためだ、ミイム。迷子になったら困るし、おかしなものを買わないか心配なんだ」

「おかしなものって、なんですかぁ?」

「つまり、なんだ」

 マサヨシが言葉を濁していると、ミイムは先程のアダルトな下着と併設されたアダルトグッズの棚を指した。

「ああいうモノのことですかぁ?」

「解っているなら聞かないでくれ」

 マサヨシは居たたまれなくなって、顔を逸らした。ミイムは、マサヨシを見上げてくる。

「パパさんはぁ、ああいうのって使ったことがあるんですかぁ?」

「あるわけがないだろう!」

「ということは、パパさんってば」

 マサヨシはミイムがその先を言う前に、ミイムの腕を振り払ってその背を押した。

「いいから、とにかく行ってこい! そしてさっさと会計してこい!」

「みぃ、乱暴にしないで下さいよぉ」

 何歩か前に出たミイムは、やけにしおらしい態度で振り返った。

「ボクにそんなにパンツを買わせたいなんて、パパさんったら本当にえっちですぅ」

「そういう意味じゃないと何度も言っているだろう」

 マサヨシはミイムに振り回されるのに辟易し、背を向けた。ミイムは、渋々パンツの並ぶ棚に向かった。

「解りましたよぉ、買ってくればいいんでしょ、買ってくればぁ」

 ミイムが比較的まともな下着のある棚に向かったことを確認し、マサヨシは安堵と気疲れで深くため息を吐いた。店員や他の女性客の視線が突き刺さるようで、マサヨシは居たたまれなかったが、逃げ出すわけにはいかない。初めてハルの子供用の下着や衣服を買った時も恥ずかしかったが、今回はその非ではないほど恥ずかしかった。いい歳をして何を意識している、傭兵なのに度胸がない、と自分でも思うが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

「パパさぁーん、これならどうですかぁ?」

 しばらくして、ミイムは両腕一杯に下着を抱えて戻ってきた。

「恋人同士じゃあるまいし、わざわざ俺に見せに来ることもないだろう」

 マサヨシは困惑しながらも、駆け寄ってきたミイムと向き直った。

「ほら、これなんかすっごく可愛いですよぉ!」

 そう言ってミイムが取り出したのは、黒のレースのガーターベルトだった。

「これなら、ボクも許せますぅ」

「それはパンツじゃないから却下だ」

 マサヨシは赤面しつつ、そのガーターベルトを取り上げた。ミイムは、むっとする。

「なんでもいいって言ったじゃないですかぁ」

「パンツ限定だ!」

「じゃ、これはぁ?」

 次にミイムが取り出したのは、向こうが透けて見えるほど薄いピンクのスリップだった。

「却下だ!」

 こんなものを着られたら本当に困る。マサヨシは、またもやそれを引ったくった。

「じゃ、これならどうですかぁ? パンツですよぉ」

 ミイムが掲げたのは、全てが紐で出来ているパンツだった。

「却下!」

 これもまた、マサヨシは引ったくった。

「だったら、これならどうですかぁ?」

 少しむっとしつつ、ミイムはサイズの大きい紫のブラジャーを取り出した。

「却下! というか、付ける必要がないだろう!」

 マサヨシがそのブラジャーも引ったくると、ミイムは苛立たしげに眉を吊り上げる。

「選べって言っておきながら、全部却下なんてひどいじゃないですかぁ!」

「お前の選ぶ基準が問題なんだ!」

「じゃ、これならどうですかぁ?」

 そう言ってミイムが取り出したのは、ガーターベルトで吊り下げるタイプの白いストッキングだった。

「却下に決まっている!」

 マサヨシはそれも引ったくってから、羞恥心を堪えて、手近な棚からパンツを何枚か取ってミイムに押し付けた。

「もういい、お前には選ばせないからな! ほら、これでいいだろう!」

「みぃー……」

 ミイムはマサヨシの押し付けたパンツを見下ろしていたが、そのパンツをマサヨシに投げつけた。

「パパさんなんて嫌いですぅ!」

「……は?」

 ミイムが怒り出した理由が解らず、マサヨシはパンツにまみれて立ち尽くした。

「ボクだって、ボクだって一生懸命なんですよぉ!? 正直言ってパパさん達との生活に慣れるだけでも大変なのに、サチコさんから太陽系のお料理を教わって味付けだって工夫しているのに、ハルちゃんのお世話だって頑張っているのに、お掃除だって、お洗濯だって、毎日毎日精一杯やっているのに、それなのにぃ!」

 涙ぐんだミイムはマサヨシを睨み付け、怒鳴った。

「パンツを履かないのがそんなに悪いことですかぁ! ボクのことが、そんなに嫌いなんですかぁ!」

「いや、嫌いとか、そういう問題じゃなくてな」

 マサヨシは戸惑いながら言葉を掛けるも、ミイムは泣きながら店を飛び出した。

「ふみゃああん! パパさんなんて、パンツと結婚すればいいんですぅ!」

 意味不明な捨てゼリフを残し、ミイムは人通りの多い通りに駆けていった。マサヨシは、呆気に取られていた。ミイムがなぜそこで怒るのか、よく解らない。とりあえずこれをなんとかしよう、と散らばった下着を拾い集めた。丁重に謝りながら店員に全ての下着を返してから、マサヨシはランジェリーショップから出て、通りを見渡した。だが、既にミイムの姿はなかった。このまま放っておくのは良くない、とは思うが、どこをどう探すべきなのか。

 マサヨシとしては、正しいことを言っているつもりだった。パンツを履かせたい理由も、きちんと説明したのだ。なのに、なぜミイムは怒ったのだろう。首を捻りながらマサヨシは歩いていたが、ふとサチコのことを思い出した。

 こういう時は、サチコに探してもらえばいい。ミイムには情報端末を持たせているから、すぐ探し出せるはずだ。マサヨシはポケットから情報端末を取り出し、ハルのお守りをしているサチコを呼び出しながらため息を吐いた。

 パンツのことで、こんなに気疲れするとは思わなかった。



 十数分後。マサヨシは、ハルとサチコと合流した。

 ハルとサチコはランジェリーショップの一角からそれほど離れていない子供服の店で、新しい服を選んでいた。マサヨシが到着すると、丁度会計を終えた頃だった。上機嫌なハルは、買い物袋を引きずるようにして持っていた。サチコは、その傍で浮遊していた。

 マサヨシはハルの荷物を持ってやり、二人に事の次第を掻い摘んで話した。だが、パンツを投げつけられたくだりだけは省いた。色々な意味で情けなさすぎたので、話したくなかったのだ。ハルはマサヨシに買ってもらったイチゴミルク味のソフトクリームを舐めていたが、話を聞き終えると口を開いた。

「パパ、ママのこと怒っちゃったの?」

「怒った、というか、まあ強く出たのは確かだな」

 マサヨシは身を屈めると、ソフトクリームでピンク色に汚れたハルの口の周りを拭いてやった。

「そうでもしないと、俺の言うことを聞いてくれそうにないと思ったんだ」

「パパ、ママのこと、怒っちゃダメだよ」

 ハルは指に付いたソフトクリームを舐めつつ、マサヨシを見上げた。

「だって、パパ、おっきい声を出すと怖いんだもん」

〈マサヨシは優しくて頼り甲斐があって格好良くて強くてとっても素敵なんだけど、怒ると結構怖いのよねぇ〉

 サチコは、マサヨシの肩の上に浮かんだ。マサヨシは、横目にサチコを見やる。

「そうか? 俺はそうは思わないんだが」

「ママ、どこに行ったのかなぁ」

 ハルはソフトクリームを舐めるのを止め、不安げに周囲を見回した。マサヨシは、ハルを撫でる。

「大丈夫だ。サチコがいるんだ、すぐに見つけ出せる」

〈だけど、見つけ出したとしても、ミイムちゃんとマサヨシはもっとこじれちゃうかもしれないわね〉

 サチコの言葉に、マサヨシは困りながらも返した。

「だが、俺は間違っていないぞ。それが最良だと思ったからだけであってだな」

「ママ、一人で寂しくないかな」

 ハルは、不安げに呟いた。サチコは宇宙ステーション内をサーチし、マサヨシに報告する。

〈マサヨシ。ミイムちゃんの居所が解ったわ。ここから三ブロック離れた第二十七ブロック内を、徒歩で移動しているみたいね。エアカーを飛ばせば十五分以内に接触出来るわ〉

「そうか。だが、俺は悪くない。だから、謝る理由もない」

 マサヨシがぼやくと、ハルはソフトクリームのコーンを囓りながら言った。

「パパ、ママのことが嫌いなの?」

「いや、そうじゃない。それに、俺の主張は間違っていないんだ。適応しようとしないミイムが我が侭なだけで」

 マサヨシが苦笑いしていると、ハルは首を傾げた。

「パパ、ママは我が侭じゃないよ。ママはね、毎日おいしいごはんを作ってくれるし、お姉ちゃんがいない時は一緒にお昼寝してくれるし、私が泣いても怒らないでいい子いい子ってしてくれるもん」

「まあ……そうだな。というか、それが母親の仕事だからな」

 マサヨシが言葉を濁すと、ハルは穢れのない青い瞳で父親を見つめた。

「でも、ハルのママになる前は、ママはママじゃなかったんだよね?」

「それは、そうだが」

 マサヨシはハルの視線から、目を逸らした。言われてみれば、ミイムの過去についてマサヨシは一切知らない。ミイムと初めて顔を合わせた時にその断片を僅かに聞いたぐらいで、過去について問い詰めたことはなかった。

 必要とあれば聞き出すが、今のところはその必要がないと判断したので、その過去については問い詰めていない。だが、ミイムは確かに言った。皆に見せる明るく溌剌とした笑顔とは懸け離れた、全てを諦めた顔で言ったのだ。ボクの居場所は宇宙のどこにもない。だから、帰りたくないし、帰ってはいけない、という、重たい言葉だった。

 だから、ミイムは過去を捨ててすっかり開き直ったので、廃棄コロニーでの家族ごっこに早く慣れたのだろう。だが、彼はれっきとした異星人であり、全く違う文化の社会で暮らしていたのだ。些細な相違や摩擦は発生する。ミイムもミイムなりに、悩んでいたのかもしれない。その摩擦が膨らんで、今回のような事態が起きたのだろう。

 クニクルス族と新人類の価値観の相違点がパンツだというのは少々頂けないが、そればかりは仕方ないだろう。はっきりとした過去を知らないのは、イグニスも同じだった。だが、お互いに譲歩しているので上手くやれている。それは付き合いが長いからこそ出来上がった関係であり、ミイムとの付き合いが浅いのでそこまで至っていない。

 となれば、この場合はどちらかが折れるしかない。だが、マサヨシもマサヨシなりに譲れないので折れなかった。ミイムもミイムで自星の文化と習慣が抜けていないので、地球人の文化を受け入れるのは難しいから折れない。けれど、このままでは埒が明かない。マサヨシが考え込んでいると、ハルは両手を拭ってから父親の袖を引いた。

「パパ、ママも一緒じゃなきゃやだ! お買い物だって、ママがいた方が楽しいもん!」

「しかし」

 マサヨシは少々躊躇ったが、ハルの悲しげな顔を見ていると、躊躇う余地はなくなってしまった。

「……そうだな。とりあえず、今はミイムを探す方が先決だ」

〈そうと決まれば、行動は早い方がいいわね。マサヨシ、パーキングまでの最短距離を案内するわ〉

 サチコはマサヨシの前に出ると、細い路地に入っていった。マサヨシはハルを肩車し、その後を追う。

「さあ、行こうか」

 マサヨシはサチコを追って歩きながら、考えていた。ミイムの心境を捉えるため、その状況を思い出していた。宇宙のどこにも居場所がないと言い切るほどの過去の末、犯罪組織に誘拐され、商品として売られそうになった。コールドスリープで眠らされ、コンテナに詰め込まれ、ただの物に成り下がり、知らない星系まで連れてこられた。

 それが心細くないわけがない。明るく笑うのも、マサヨシらに嫌われたくない一心での行動だったのかもしれない。今更ながら、マサヨシは罪悪感に駆られていた。マサヨシにパンツを投げつけたミイムの表情は、痛々しかった。

 男であろうと何であろうと、ミイムは家族であり母親なのだ。



 どこをどう歩いたのか、解らなかった。

 ミイムは様々な人種が行き交う歩行用通路をふらふらと当てもなく歩きながら、必死に流れる涙を堪えていた。だが、堪えきれなかった。泣くまいと決めていたはずなのに、いつのまにか心が緩んでいたらしく泣いてしまった。自分でも、あれぐらいのことで泣くとは思わなかった。もっと辛い目に遭った時には、泣かなかったというのに。泣いたら惨めになるだけだ、泣いたところで何にもならない、と思うが、一度決壊してしまった堰は直らなかった。

 大通りと言える太い通路から引っ込んだ細い道に入り、ミイムは壁にもたれると、バッグからハンカチを出した。頬を伝う涙を拭ってから、ハンカチを噛んで声を殺す。あんなに些細なことで怒ってしまった自分が、情けない。

 マサヨシの言うことも理解出来る。子供ではないのだから、郷には入れば郷に従え、ということぐらい知っている。だが、こんなに優しくしてくれるのだから、自分の言い分を聞いてくれるのかもしれないと思って、調子に乗った。

 心を開けることが嬉しかったから、気を許せる相手が見つかったのが幸せすぎたから、過ぎたことをしてしまった。マサヨシにもひどいことを言ってしまった。自分の身元を引き受けてくれた恩人なのに、なんてことをしたのだろう。

「ママ!」

 その声に、ミイムは顔を上げた。振り向くと、細い路地の先に三人が立っていた。

「ママ、ここにいたんだね!」

 ハルは頼りない足取りで、ミイムの元に駆け寄ってきた。ミイムは目元を拭ってから、三人に向き直った。

「みぃ……」

〈急にいなくなっちゃうんだもの、心配したんだから〉

 サチコは、ハルの傍にやってきた。ミイムは口からハンカチを落とすと、震える唇を歪めた。

「なんで、ボクなんか探したんですかぁ」

「そんなこと、決まっている。お前はうちの家族だからな」

 マサヨシはミイムの前に屈むと、ミイムの腕を取った。だが、ミイムはそれを振り払った。

「でも、ボクなんかぁ……」

「いいから」

 マサヨシはミイムを立ち上がらせると、その華奢な肩に手を置いた。

「今回は俺が悪かった。お前の気持ちも考えずに強く言いすぎた。だから、今日はミイムが欲しいものを買おう」

「でも、パンツは……」

「それについてだが、俺に考えがある」

「考えってなんですかぁ?」

「スカートを長くすればいいんじゃないのか? そうすれば、尻尾は自由に動かせるし、パンツを履かなくても中身は見えないと思うんだ。だから、パンツじゃなくてスカートを探しに行こう」

「ママ、一緒にお買い物しよう。お姉ちゃんと一緒でも楽しいけど、パパとママと一緒ならもっと楽しいもん」

 ハルはミイムの手を引いたが、ミイムは眉を下げる。

「でも、ボク、我が侭ばっかり言っちゃってぇ……」

「ハルの我が侭に比べたら、大したことはない」

 マサヨシの言葉に、ミイムは俯いて涙を落とした。

「パパさん、ボクを許してくれるんですかぁ? パパさんにあんなにひどいこと言ったのにぃ……」

「俺達は家族だが、まだ成り立てだ。行き違わない方がおかしいんだ。今回は、それがパンツだったってだけだ」

「パパさぁん……」

 ミイムは涙で濡れた顔を上げると、感極まってマサヨシにしがみついた。

「うみゃあん、ごめんなさいぃー!」

 マサヨシはよろけたが、踏み止まってミイムを支えた。

「時間はいくらでもある。だから、時間を掛けて家族になっていけばいいんだ」

「ふみゃああああん」

 動物の鳴き声に似た声を出して泣きじゃくるミイムを、マサヨシは子供をあやすような手付きで宥めてくれた。それがまた嬉しくて、ミイムは泣いた。今までの心細さと申し訳なさが相まって、涙がなかなか止まらなかった。この人は、優しいだけじゃなくて大きいのだ。

 そう思うと尚更嬉しくなって、ミイムはマサヨシに縋って泣き続けた。泣いているミイムが心配なのか、ハルはミイムの短いスカートの裾を掴んで、ママはいい子だよ、と言ってくれた。それもまた、とても嬉しくてたまらなかった。種族こそ違っているが、自分を必要としてくれる相手がいるのだから。

 そして、ミイムの心身を落ち着かせるために近くのカフェテリアで休憩を取ってから、四人は買い物を再開した。今度は四人一緒になって、ミイムの新しい服を探して回った。パンツではなく、長いスカートを求めて歩き回った。それが終わると、今度は食料品と生活用品を買いに行った。今日の買い物は、いつになく楽しく満ち足りていた。

 それは、皆が皆、同じだった。



 翌日。

 ミイムはキッチンで忙しく働いていた。エプロンの下に履いたスカートは、膝丈のフレアースカートになっていた。これなら尻尾も邪魔にならず、中も見えない。もう少し長い丈のスカートも買ったが、足払いが良いのは膝丈だ。

 スカートと一緒に買ったブラウスも着心地が良い。それまで借りていたマサヨシの服では、袖が余っていたのだ。だが、今度は腕の長さも肩幅も体に合っているので邪魔にならず、家事も今まで以上に捗るようになっていた。

 鼻歌を漏らしながら、ミイムは昼食の準備をしていた。水耕栽培プラントから採ってきた野菜を、小さく切った。先日の買い物で買い込んできた調味料を混ぜ合わせてドレッシングを作る傍ら、湯を沸かして茹でる準備をする。ハルは生野菜のサラダを作ってもあまり手を付けないのだが、温野菜のサラダにするときちんと食べてくれる。

「おい、ミイム」

 窓越しに話しかけてきたのは、イグニスだった。ミイムは、ボウルの中のドレッシングを掻き回す手を止める。

「みぃ? なんですかぁ、イギーさん」

「金返せ!」

 急に怒鳴ったイグニスに、ミイムはぎょっとした。

「なっ、なんですかあ!」

「何もクソもあるか! 俺の有り金をほとんど使いやがって、残高は三桁もねぇじゃねぇかよ!」

「だって、パパさんもサチコさんも使っていいって言ったんですぅ! ボクは悪くありませんよぉ!」

「だが、限度ってもんがあるだろうが! 人の金だぞ、ちったぁ遠慮しやがれ!」

「でも、イギーさんのお金の使い道はほとんど無駄遣いだってサチコさんが言ってましたぁ。大して性能も変わらないのにビームバルカンの部品を細々と交換したり、レーザーブレードのジェネレーターを次から次へと買い込んだり、スペースデブリよりも質の悪いジャンク品を買ったり、って。だから、ボクが使った方が余程有意義だって」

「そりゃ電卓女の基準で俺の基準じゃねぇ! 俺はな、自己投資してんだよ!」

「ふみゅ、そうなんですかぁ?」

「そうに決まってんだろうが! ビームバルカンの部品交換だって、レーザーブレードのジェネレーターの改造だって、必要だと思うからこそ金を注ぎ込むんじゃねぇか! マサヨシもスペースファイターのカスタマイズには大分金を使ってるくせして、そっちには何も言わねぇなんて理不尽にも程がある!」

「部品とジェネレーターって、あれですか、あのイギーさんのお部屋の壁にみっちりと詰まっている……」

「そう、それだ!」

 大きく頷いたイグニスに、ミイムは冷めた目を向けた。

「てっきり、あれは粗大ゴミだとばかり思っていましたぁ」

「おっ、お前までそんなことを言うのかぁ!」

 イグニスは憤慨し、声を張り上げた。ミイムは、つんと顔を逸らす。

「埃だらけで油まみれなんですからぁ、ゴミに決まっているじゃないですかぁ」

「あれは俺の大事な財産でありコレクションなんだぞ! それをお前らはゴミだゴミだと……」

「みゅーん。大事なものだったら、もっと綺麗にしておくものですよぉ」

 ミイムはイグニスをあしらいながら、湯の沸いた鍋の中に一口大に切った野菜を入れて茹で始めた。

「俺はあれでも大事にしているんだ! それはそれとして、とにかく金返せよな!」

 いきり立つイグニスに、ミイムは眉を下げて悩ましげに身を捩った。

「みぃ……。悪い人に誘拐されて売り飛ばされそうになっていたボクに、そんなお金があるわけないじゃないですかぁ。でも、どうしてもって言うなら、ボクの体でお支払いしますけどぉ……」

「やべぇ、本気で気色悪い」

 媚びを振りまくミイムがおぞましくなり、イグニスは後退った。ミイムはイグニスに背を向け、舌を出した。

「じゃ、ボクはイギーさんにお金を返さなくていいんですねぇ?」

「なんでそうなるんだっ!」

 イグニスが喚くと、ミイムは首を左右に振りながら甘えた声色を作った。

「みぃーん、イギーさんがボクをいじめますぅー」

「人聞きの悪いことを言うんじゃねぇっ! つうか、なよなよしててキモいんだよお前って野郎は!」

「ふみゃあーん、怖いですぅー」

「だぁからっ!」

 窓ガラスが震えるほどの怒声を上げたイグニスに、ミイムは悪戯っぽく微笑んだ。

「みぃ、冗談ですぅ。いつかお金が出来たらぁ、ちゃーんとイギーさんにお返ししますぅ」

「だったら、いいんだけどよ」

 イグニスは拍子抜けして、引き下がった。ミイムは笑顔のまま、程良く茹で上がった野菜をザルの中に入れた。湯切りをしてから皿に並べて、その上に作ったばかりのドレッシングを掛けてやり、ダイニングテーブルに運んだ。

 既に出来上がっていたオムレツにもトマトソースを掛け、今朝焼いたばかりのパンが入ったバスケットも並べた。三人分のスープ皿を出して、その中に出来上がったばかりの野菜スープを注ぎながら、ミイムは頬を緩めていた。食後のデザートにと作ったチョコレートプリンも冷蔵庫で冷えているし、コーヒー豆は挽き立てで味も香りも良い。マサヨシとハルが喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。ミイムはうきうきしながら、三人分のスープ皿を食卓に並べた。

 捨てられた時、宇宙のどこにも居場所はないと思っていた。だが、思い掛けない偶然でこの家に辿り着いた。必要としてくれる人がいて、大事に思ってくれる子がいて、気が強いが憎めない同居人達がいる、温かな家だ。

 この居場所を、守らなければ。

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