春色ピクニック
────ほんの小さな、行き違い。
ミイムが家族に加わってから、一週間が過ぎた。
母親を切望していたハルはもちろんのこと、マサヨシもイグニスもミイムがいる日常に徐々に慣れつつあった。それまでは朝方は冷え冷えとしていた家に料理による熱が広がって空気が暖かくなり、いい匂いも漂っていた。
造ったはいいがあまり使われていなかった物干し場には、綺麗に洗われた洗濯物が何枚も翻るようにもなった。仕事の忙しさで疎かになっていた掃除も行われたので、部屋の隅に溜まっていた綿埃や砂埃が一切なくなった。使い切れなくて余ってばかりいた食料や出来の悪い野菜も美味しく料理され、マサヨシとハルを満たしてくれた。
ミイムは本当に家事が好きらしく、みぃみぃと鳴き声のような口癖を繰り返しながら、忙しそうに立ち回っていた。イグニスとは異星人同士なのでそれなりに話が合うようだったが、サチコは未だに機嫌を直してくれていなかった。ナビゲートコンピューターが機嫌を損ねるという話は今まで聞いたことはなかったが、現にサチコは拗ねている。
マサヨシはサチコの機嫌を取ろうと思ったが、放っておけば元に戻るだろう、とも思い、敢えて手を出さなかった。機嫌を損ねたといっても、彼女はれっきとしたコンピューターなのだから、時間が過ぎれば処理を終えるだろう。そう思っていたのだが、三日過ぎても四日過ぎてもサチコの不機嫌は収まらず、日に日にひどくなる一方だった。
そして、七日目もサチコは不機嫌だった。マサヨシは、リビングテーブルの充電スタンドに乗った球体を見た。サチコの本体であるナビゲートコンピューターのメインプロセッサーは、マサヨシのスペースファイターの中にある。よって、サチコはコロニー内部で活動する際には、スペースファイターの偵察用のスパイマシンを使用している。
スパイマシンは用途別にあるのだが、サチコが最も気に入っているのは、最も小型の球体型スパイマシンだった。その理由は、ただ単にエネルギー消費量が少ないから、というだけであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。そんな理性的で効率的な手段を好むサチコが、エネルギー消費量の大きい感情回路を酷使し続けるのは妙だ。
「サチコ」
マサヨシが声を掛けると、銀色の球体は充電スタンドの上でくるっと半回転した。
〈なあに、マサヨシ〉
「いつまで拗ねているんだ」
〈誰も拗ねてなんかいないわよ〉
「じゃあ、どうしてそんな態度を取るんだ」
〈だから、誰も怒ってもいないし拗ねてもいないって言っているでしょ?〉
「いい加減に機嫌を直してくれ。でないと、危なくて仕事にも出られないじゃないか」
〈ご安心を。私はどこかの誰かと違って、私情を仕事に挟むほど低レベルなAIは持っていませんから〉
「だが、ずっとその調子だと俺もやりづらいぞ」
マサヨシはサチコに近付き、その冷ややかな表面に触れた。サチコはぐるりと回転し、レンズを向けてくる。
〈それぐらい、私にだって判断が付けられるわよ。予測プログラムは常に最新版にアップデートしてあるんだから〉
「じゃあ、どうして機嫌を直さない」
〈そんなこと言われても……。困っているのは私もなんだから〉
サチコはレンズを下げ、目を伏せるような格好をした。すると、庭からミイムの声が聞こえた。
「洗濯物、全部乾きましたよぉー! ふっかふかですぅー!」
ぱたぱたとサンダルを鳴らしながら、ミイムは洗濯物の詰まったカゴを抱えてリビングに戻ってきた。
「みぃ、パパさん、サチコさんとお取り込み中でしたかぁ?」
「いや、大したことじゃない」
マサヨシがミイムに向くと、ミイムは明るい笑顔を見せた。
「じゃ、ボクはこれからハルちゃんと洗濯物を畳みますぅ。ハルちゃん、ボクのお手伝いをしたいんですって」
「よろしく頼むよ、ママ」
「みぃ!」
張り切ったミイムは、足早にハルの部屋に向かっていった。長いエプロンの下で、短いスカートの裾が翻った。スカートの下から伸びる白い尻尾は、上機嫌に揺れている。ミイムの機嫌は、サチコとは正反対のようだった。
〈またノーパンだったわね〉
「見えるのか? というか、見たのか?」
マサヨシが聞き返すと、サチコは経口の大きいレンズを動かしてみせた。
〈ええ、もちろんよ。私の目は一級品よ、撮影出来ない映像なんてないんだから〉
「スカートの下に何も履かないのは、尻尾を出しておくためだって説明されただろうが。俺も最初は驚いたが」
〈素直な感想を言ってもいいかしら〉
「なんだ」
〈品がないわね〉
「まあ……それは間違いないな。俺の感性では、まず理解しがたい」
〈じゃ、マサヨシは嫌いじゃないの?〉
「好きとか嫌いとか、そういう問題か?」
〈だって、あの子が来てから随分楽しそうなんだもの〉
「そりゃそうだろう。経緯は普通じゃないが、俺達に家族が増えたんだからな。それも、母親役が」
〈ということは、マサヨシの奥さんってことになるのよね。ノーパンだけど〉
「いや、なぜそこでノーパンを強調する?」
〈強調すべき事項だと判断したからよ。マサヨシ、まんざらでもないみたいね〉
「そう見えるか?」
〈見えない方がおかしいわ〉
サチコの口調は硬く、冷淡になっていた。元々電子合成音声なのだから、暖かみがあるわけがないのだが。だが、普段の柔らかい口調ではなくなっていた。あからさまな苛立ちが込められていて、怒りが見え隠れする。ハルの前ではさすがに柔らかい口調で喋っているのだが、マサヨシやイグニスの前となると途端にこれだった。正直、やりづらかった。イグニスだけならまだしも、マサヨシにまでそんな態度を取られると対処に困ってしまう。
二人だけのリビングは、居心地が悪かった。
イグニスは、増築用の資材を運んでいた。
住人が増えたとあっては、部屋を増やさなければならない。そのために、宇宙ステーションで資材を買い付けた。少々足が出てしまったが、この際は仕方ない。留守番が増えた分だけ仕事を増やして、補填すればいいだけだ。
家の増築は、造る時と同じくイグニスの仕事だった。人の手では数週間掛かるが、イグニスなら半日程度で済む。建築用ロボット代わりに使われていることは少々不愉快だが、出来ることは実行するのが共同生活の基本だ。それはコロニー暮らし以前の軍隊時代も同じことで、割り当てられた仕事は全力を尽くすのが義務であり使命だ。
なので、今回もそうだった。家の周囲は真っ平らなのでどこにでも増設出来るが、ミイムの希望は南側だった。廃棄コロニーは完全循環型で小型の地球を再現したようなものなので、一応、東西南北もないわけではないのだ。だが、既に南側はハルの部屋になっていたので、隣の南西側に部屋を増設することでミイムは納得してくれた。
イグニスは担いできた鉄骨や資材を置き、サチコが造った設計図のホログラフィーを増設する場所に投影した。サチコの設計図は事細かで、寸法も0.1ミリ単位で書かれている。彼女の几帳面さに、イグニスはげんなりした。だが、これに従わなければどうなるか解ったものではないので、今ばかりはサチコの言う通りにするしかなかった。
「おじちゃーん!」
イグニスが土台を造るために地面を掘り返そうとしていると、ハルの弾んだ声が聞こえた。
「ハル、何してたんだ?」
イグニスは大型のシャベルを地面に突き刺すと、身を屈め、ハルの部屋に近付いた。
「うん、あのね、ママのお手伝い!」
窓を開けて身を乗り出したハルは、畳まれた洗濯物とミイムを指した。だが、その半分はぐちゃぐちゃだった。だが、もう半分は寸分の隙もなく折り畳まれている。ぐちゃぐちゃになっている方が、ハルの仕事なのだろう。ハルのベッドに座って手早く洗濯物を折り畳んでいたミイムは、窓の外にいるイグニスに気付くと、会釈してきた。
「みぃ」
「ん、そうか。えらいぞ、ハル」
イグニスが褒めると、ハルはふにゃっと顔を緩めた。
「えへへへ」
「イギーさんはぁ、何のお仕事ですかぁ? みゅみゅうん?」
洗濯物を畳む手を止め、ミイムもイグニスを見上げた。イグニスは、愛称で呼ばれたことに若干戸惑った。
「ん、ああ、お前の部屋を造ろうと思ってな。いつまでもリビングで寝てるわけにはいかねぇだろ」
「みぃ。ボクは平気なんですけどぉ。ここのソファー、柔らかいですからぁ」
「まあ、気にしてんのは俺じゃなくてマサヨシの方なんだがな」
イグニスは、窓の外で胡座を掻いた。ミイムはほんのりと赤らんだ頬を、そっと押さえた。
「そんなぁ、ボクの身元を引き受けて下さっただけでも充分なのに、みぃ……」
「良かったね、ママのお部屋も出来るんだ。ありがとう、おじちゃん!」
ハルの明るい笑顔を向けられ、イグニスは弛緩した。
「これぐらい、どうってことねぇよ」
「だったら尚のこと、ボクは一生懸命働かなきゃならないですぅ! みゅみゅう!」
ミイムは両手を胸の前で組み、微笑んだ。格好こそ所帯じみているが、その微笑みは慈母の如く美しかった。姿形だけでなく、表情の一つ一つも完成されていた。洗濯物を畳んでいた手付きさえ、どこか気品があった。だが、イグニスは微妙な気持ちでそれを見ていた。ミイムの美しさを、素直に受け止めることが出来なかった。しかし、最近のマサヨシはいつになく表情が緩んでいる。内心では、少しどころかかなり喜んでいるのだろう。仮初めの母親を得たハルが幸せそうだから、なのかもしれないがマサヨシ自身もミイムが気に入っているようだ。
それはそれでアリなのかなぁ、とイグニスは思った。付き合いは長いが、彼の全てを知っているわけではない。だから、知らない一面があったとしても、不思議ではない。むしろ、そうであると考えた方が自然かもしれない。
「ね、おじちゃん」
イグニスは思考に浸っていたが、ハルに呼ばれて現実に引き戻された。
「なんだ、ハル」
「私、ピクニックに行きたいな」
「なんでまた急に」
「だって、ママとは行ったことがないんだもん。お弁当持って、一緒に山に登りたいの!」
ハルは窓枠に手を掛け、上半身を乗り出した。それが危なっかしく思え、イグニスは手を差し伸べた。
「おいおい、窓から落ちるなよ」
「山って、あれのことですかぁ?」
窓枠から落ちてしまいそうなハルを後ろから抱え、ミイムは窓の外に見えるこぢんまりした山を指した。
「でも、ここってコロニーなんですよねぇ? ボク、中に山があるコロニーなんて初めてですぅ、みぃ」
「だが、それだけじゃないんだぜ。山の他にも、川やら海やら森やらとあるんだ」
「みぃ! ボク、見てみたいですぅ!」
ハルを抱えたまま、ミイムは尻尾をぱたぱたと振った。
「山の上からだと全部見えるんだよ。私、どこに何があるか全部覚えているんだから!」
得意げなハルに、イグニスは顔を近寄せた。
「だが、その前にマサヨシに話を付けねぇとな。ついでにサチコもだ」
「うん。それにね、お姉ちゃんに元気になってほしいんだ」
ハルはミイムのエプロンを付けた胸に縋りながら、イグニスを見上げた。
「お姉ちゃん、なんだか調子が悪そうだから。一緒に遊べば、元気になってくれるかなって思ったの」
「ありゃ調子が悪いっつーよりも、ただの嫉妬っつーかなんだがな」
イグニスは苦笑いしつつ、頬杖を付いた。
「要するに、あいつは面白くねぇんだよ。自分の居場所をミイムに取られちまったようなもんだからな」
「ふみゃあん、ボクのせいですかぁ?」
困惑するミイムに、イグニスは肩を竦める。
「それ以外に考えられるかよ。電卓女のクセして、一人前に母性なんか持ちやがってよ。全く、難儀な女だぜ」
「でも、私はお姉ちゃんもママも大好きだよ? なのに、お姉ちゃんはママのことが嫌いなの?」
悲しげな顔をしたハルを、イグニスは見下ろした。
「気に食わないってのは確かだな。だが、このままギスギスされたんじゃ、仕事に支障が出ちまう」
「ボクはサチコさんのことは嫌いじゃないですぅ。パパさんの大事なパートナーなんですからぁ、仲良くしたいですぅ。でも、ボク、ナビゲートコンピューターとお友達になったことはありませんから、どうしたらいいか……ふみゅ……」
しょんぼりと長い耳を下げたミイムは、今にも泣き出してしまいそうだった。
「ここは一つ、ハルの作戦を頂こうじゃねぇか」
イグニスが言うと、ハルはきょとんとした。
「さくせん?」
「チームワークを養うためには共同作業を行うのが一番だ、って教官どのも仰っていたしな。サチコの下らん嫉妬を抜きにしても、全員で山登りをするのはいい考えだと思う。山っつっても、標高は五百メートルぐらいだけどな」
「あ、それはボクも解りますぅ、イギーさん。集団行動の大切さは学校で教わりましたからぁ」
「なら、話は早いな」
イグニスがハルに目線を向けると、ハルは窓枠に小さな手を掛けた。
「つまり、皆でピクニックに行けば、お姉ちゃんとママは仲良しになるってことだよね!」
「俺の計算上ではな」
「じゃ、私、パパにお願いしてくる!」
ハルは床に下ろしてもらうと、部屋を出て足早にリビングに向かった。程なくして、マサヨシを呼ぶ声が聞こえた。マサヨシは渋るどころか快諾していたが、サチコの態度は芳しくなかった。やはり、ピクニックに行く必要がある。イグニスはマサヨシとサチコの間に広がる温度差を感じ取りながら、事の現況とも言えるミイムに目線を向けた。
「なあ……」
「みぃ?」
イグニスの問い掛けに、ミイムは金色の瞳を丸めて首をかしげた。
「いや……なんでもねぇ……」
イグニスは発声回路まで出かかった言葉を飲み下し、はぐらかした。ミイムは、なんだか訝しげな目をしていた。だが、イグニスがそれ以上問い掛けてこないと解ると、畳んでいる途中だった洗濯物を畳む作業にまた戻った。
これでいいのだろうか。イグニスは久し振りに深く思い悩んでいたが、今、自分がやるべきことを思い出した。とりあえず、今はミイムの部屋を造ることが重要な仕事であって、現状について悩むことは後回しにするべきだ。そう思ったイグニスは地面を掘り返し、鉄骨や建材を埋め込み、土台を造り上げ、壁や窓を手際良く填め込んだ。
やはり、悩むよりは体を動かす方が性に合っている。
そして、翌日。
マサヨシがハルの提案を快諾したため、五人揃ってコロニーの中にある山にピクニックに出掛けることになった。朝からミイムが張り切って作った弁当を持ち、家の北東側にそびえている新緑に包まれた頂を目指して出発した。
山、と言っても、その中身は土や岩ではない。その正体は、廃棄コロニーの自然環境を整える植物プラントだ。地表には土や砂利が敷き詰められ、草木が生い茂っているが、五メートルほど掘り返せば合金プレートが現れる。だが、合金プレートの表面は平らではなく凹凸が付いているので、木々の根が絡み、土が滑り落ちることはない。
山の内部には水を濾過する循環装置や大規模な空調装置が備えられており、それは日々休みなく稼働している。山を覆い尽くしている草木は、かつて地球に存在していたものだが、温暖な空調に合わせて広葉樹が多かった。ハルが長らく眠っていたコールドスリープのポッドは、この山のふもとにあった。そこで、マサヨシらと出会ったのだ。
随分前にイグニスが整地した歩道には、新たな木々が張り出していた。この木々は遺伝子操作で成長が早い。その代わり、枯れるのも早い。擬似的に季節を造り出して循環させるためには、枯らすこともまた必要なのだ。一家の先頭を行くのは、イグニスだった。歩くのに邪魔な木の枝や枯れ木を取り払いながら、大股に進んでいく。
「昨日のうちに刈っとくんだったな……」
戦闘時よりも低出力のレーザーブレードを振り回して、伸び放題の木々やツタを払いながらイグニスは呟いた。
「ハルが急に言い出したことだからな。まあ、仕方ないさ」
弁当や水筒を詰めたリュックサックを背負ったマサヨシは、忙しく立ち回るイグニスの背に言葉を掛けた。
「うみゅうん……。なんだか、植物が可哀相な気もしますぅ」
イグニスの豪快な伐採を見つめながら、ミイムは細い眉を下げた。マサヨシは、後方のミイムに向く。
「ここの植物は、切り倒したところで一週間もすれば再生するものばかりなんだ。だから、こうして多少切ったところで、なんてことはないんだ」
「そういうこった。だから、気にする必要もねぇよ」
イグニスは歩道に根を張った木の幹に狙いを定め、腰を落とした。その先にも、まだ何本も木が生えている。
「さあて、一気に片付けるとするか」
「下がっていろ、ハル」
マサヨシが言うと、その傍にサチコが漂った。
〈衝撃波を受けたくなかったら、私の後ろにいなさい。イグニスって、いつもいつも乱暴なのよ〉
「衝撃波ってなんですかぁ?」
不思議そうなミイムに、ハルはその手を取って引き寄せた。
「おじちゃんってね、凄いんだよ。でもね、だからちょっと危ないの」
「みぃ?」
ミイムは訝りながらも、前を向いた。すると、サチコは内蔵されているシールドジェネレーターを作動させた。サチコを中心にして半径三メートル程度の半球状のシールドが生成されると、取り巻く空気が軽く電気を帯びた。
〈ケガをしたくなかったら、大人しく見ていることね〉
サチコの感情の籠らぬ物言いに、ミイムは耳を下げた。少なくとも、サチコからは好かれてはいないようだった。それがありありと解って、ミイムは悲しくなってきた。こちらは仲良くしたいのに、歩み寄りづらいのは切なかった。ハルは悲しげな母親とつんとした態度の姉を見比べていたが、頷いた。今日は、二人のためのピクニックなのだ。だから頑張って仲良くさせよう、とハルは意気込みながらも、イグニスの放つ攻撃が怖いので父親に駆け寄った。ハルが手を握ると、マサヨシは顔を緩めた。ハルの柔らかくも小さな手は、マサヨシの頼れる大きな手に包まれた。
「よおし、じゃあ行くぜ!」
イグニスは横たえたレーザーブレードにエネルギーを込めると、地面を踏み切って飛び出した。
「一刀両断っ!」
イグニスが背部のスラスターを作動させると、強烈な熱が噴出したが、シールドのおかげで四人は無傷だった。煙と粉塵に覆われ、一瞬視界が失せた。その中を、両手両足にファイヤーペイントを施した巨体が駆け抜けた。
イグニスは横たえたレーザーブレードをそのままに、地面に膝が擦れるすれすれの高度を最加速して移動した。地面と接する寸前まで下げたレーザーブレードの超高温の光の刃は、呆気ないほど簡単に木々を切り倒した。その木々に絡むツタや歩道を埋め尽くしていた雑草も切られ、巻き上げられ、細かな砂利と共に舞い上がった。
イグニスが膝を付けたのは、山頂だった。膝を擦りながら速度を落とし、振り返ると、歩道は一掃されていた。そして、隠れていた歩道が露わになった。綺麗な傾斜が付いた斜面を這うようにして、道が山頂まで続いている。だが、乱暴に一掃されたために、歩道の両脇には切り捨てた木々や雑草が散らばり、山の景観は台無しだった。
「うはははははははっ、どうだ、手っ取り早いだろう!」
自慢げにレーザーブレードを掲げるイグニスに、シールドを解除したサチコは言い放った。
〈仕事が済んだなら、さっさとそこから降りてきなさい。今日はピクニックなんだから、一緒に登らなきゃ意味がないのよ。ねえマサヨシ?〉
「まあな。しかし、相変わらずだな」
マサヨシはまだ落ち着いていない粉塵を払いながら、ハルの手を引いて歩き出した。
「おじちゃん、早くおいでよー!」
ハルはマサヨシと繋いでいる手とは逆の手を挙げ、イグニスに向けて振った。
「今行くぜ、ハルぅー!」
レーザーブレードの刃を消してから装甲に格納したイグニスは、スラスターを作動させて高く飛び上がった。そして徐々に高度を下げながらふもとまでやってくると、今度は列の一番後ろに着地して、軽く地面を揺らした。
「みゃうっ」
その衝撃と木々の残骸に足を取られたミイムは、よろけてしまった。
「あ、悪い」
イグニスは手を差し出してミイムを支えるが、ミイムはイグニスの巨大な手の中に突っ込んでしまった。
「うみゅっ!」
イグニスの指先に引っ掛かったミイムは、勢い余って前のめりになってしまい、下半身が大きく浮き上がった。驚いた拍子に白い尻尾がぴんと立ち、ただでさえ短いスカートが全部めくれあがって、白い素肌が露わになった。愛らしい尻尾の生えているすぐ下には程良く肉付きの良い尻があり、マサヨシは反射的に目を逸らしてしまった。
「みぃー……」
イグニスの指に縋りながら体を起こしたミイムは、照れくさそうに長い耳を下げた。
「みゃふう」
ミイムは照れ笑いをしながら、マサヨシらの元に戻ってきた。
「ふみゅうん。ボクってば、格好悪いですぅ」
「おじちゃんってでっかいから、よくあることだよ。一緒に行こう、ママ」
ハルは空いている左手を、ミイムに差し出した。ミイムは、その手を握る。
「みゅんみゅーん」
マサヨシはミイムに対して言いたいことが色々と思い付いたが、ハルの前なので、今は飲み込むことにした。履かないのなら履かないで、もう少し長いスカートにすればいいのではないのか。というか、履いてほしかった。そうしてくれなければ、目の毒であり、ハルの教育にも良くない。だが、ミイムは絶対に下着を履こうとしない。
ハルと言葉を交わしながら、ミイムはぱたぱたと尾を振っている。そのせいで、短いスカートが揺れ動いている。マサヨシは先程の光景が目に焼き付いているため、それが気になって仕方なかったが、なんとか気を逸らした。それが無意識に顔に出ていたのか、サチコの視線がいつになく冷ややかで、マサヨシは居たたまれなかった。
だが、気になるものは仕方ない。
サチコの視線が冷たい以外は、順調なピクニックだった。
イグニスが力任せに薙ぎ払ったおかげで歩道は一応綺麗になり、景観はぐちゃぐちゃだが歩きやすかった。近頃はマサヨシとイグニスの仕事が忙しく、一緒に遊べる時間が少なくなっていたので、ハルは大喜びだった。
緑地の多い惑星の出身であるミイムは植物が近くにあることが嬉しいのか、ハルと同じようにはしゃいでいた。イグニスもイグニスで、ミイムに先程の攻撃の威力を褒められたのが嬉しいのか、それなりに浮かれていた。だが、マサヨシだけは気まずかった。サチコの鋭い視線が背中に突き刺さり、素直に状況を楽しめなかった。
相手はコンピューターなので、マサヨシの思い込みと言えばそれまでなのだが、今日の彼女は口数も少ない。それ故、サチコからは無言のプレッシャーを感じてしまい、マサヨシは苦笑いするしかなかった。
振り返ってみると、サチコは珍しくイグニスに近付いていた。というよりも、マサヨシから離れているのである。後退に後退を重ねた末、イグニスに接近しただけだ。サチコのスパイマシンとの間には、距離が出来ていた。その距離が、やけに深く広く思えた。
マサヨシは浮気が見つかった夫の心境を味わいながらも、前に向いた。そもそもサチコとは婚姻関係ではないし、相手はコンピューターなのだから、別に気を遣う必要もないのだが。イグニスと同様、サチコがあまりにも人間臭すぎるために、本来抱くはずのない感情を抱いてしまったのだろう。
「んで?」
イグニスに声を掛けられ、サチコはきょとんとした。
〈で、って、何よ〉
「ミイムが気に食わないのは仕方ないとしても、それはマサヨシに冷たくする理由にはならないと思うぜ?」
イグニスの言葉に、サチコは素っ気なく返した。
〈別に冷たくしていないわよ〉
「強がるなよ。いつもマサヨシにべったべたしてる女がそんなことを言ったって、説得力の欠片もねぇよ」
〈何よ、気色悪いわね。あなたに気遣われたって、嬉しくもなんともないんだから〉
「まあな。俺もお前なんかに気遣われたら、気色悪くてどうしようもねぇ」
〈だったら、話しかけないでくれる?〉
「だが今は、俺もお前もハブられてんだ、そういうわけにはいかねぇだろうが」
〈ハブ……って、まあ、そりゃあねえ〉
「だからといって、マサヨシにつんけんするのはお門違いだぜ」
〈解っているわよ、それぐらい〉
「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうなんだ」
〈私に命令しないでくれる?〉
「今更、お前はマサヨシに気を遣うこともないと思うんだがね」
〈指示のない時は待機しているのが私の役割なんだから、それが当たり前なのよ〉
「だからって、お前は言いたいことも言わないのか?」
〈だから何よ、くどいわね!〉
「電卓女は電卓女らしくしとけってんだよ」
イグニスは指先でサチコのスパイマシンを突こうとしたが、その前にサチコは飛び退いた。
〈私に触らないでよ!〉
「……結構傷付くぜ、そういうの」
イグニスは手を下げると、歩調を緩めた。最初から好かれていない女でも、激しく嫌悪されると少々心が痛む。ナビゲートコンピューターが人間臭いというのは便利ではあるのだが、負の感情も覚えてしまうのは厄介だった。パイロットや仲間に対しての好意や愛情を覚えさせるためには、対極である感情もプログラムする必要がある。色彩の白を知るためには黒を並べなければ見えないように、感情というものは上下させなくては理解出来ない。
それ自体はイグニスも覚えがある。生まれたばかりで経験の浅かった頃は、感情も希薄で戦闘能力も甘かった。だが、年月を重ねて精神的にも肉体的にも成長するに連れて物事が理解出来るようになり、感情も豊かになった。
それはハルもまた同じで、この廃棄コロニーでマサヨシらと暮らし始めたばかりの頃は、彼女も表情が少なかった。しかし、今ではどうだ。愛らしい笑顔と可愛らしい仕草で皆の心を和ませて、拙い愛情を家族に振りまいている。けれど、サチコはそうではない。付き合いが深まれば深まるほどイグニスに冷たくなり、罵り合いの頻度も増えた。
「ああ、やれやれ」
イグニスは嘆息し、頭の後ろで手を組んで上体を反らした。
「これだから女ってのは面倒だぜ」
〈ねえ、イグニス〉
「んだよ」
イグニスがやる気なく返すと、サチコはイグニスに向き直り、コンピューター言語を含ませた電波を送信してきた。人間的な表現で現せば、耳打ちのようなものだ。イグニスはその内容を読み取ったが、げんなりしつつも返した。サチコの言うような懸念は、イグニスも抱いている。だが、それが真実である確証は、今のところ得ていなかった。しかし、それを裏付ける材料も少なくない。イグニスが電波にノイズを混ぜて言葉を濁していると、サチコは言った。
〈イグニス。私、どうしたらいいのか、よく解らないのよ〉
「まあ、俺もだ」
イグニスはマサヨシの後ろ姿を見つめながら、肩を竦めた。
「だが、俺からはどうも切り出しづらくてな。付き合いが長いと、長いなりに気が引けてくるもんでな」
〈このコロニーでハルちゃんを見つけ出した時は、身元不明の子供を保護した際の対処法をデータベースからダウンロードすることで対処出来たけど、今回はどのデータベースを検索しても有効な情報が得られないの。マサヨシに対する態度もどうすればいいのか判断が付けられなくて……〉
「俺の知る最も有効な作戦を教えてやろう」
〈嫌よ。どうせ知能レベルの低いアイディアでしょ?〉
「そう言うな。行き詰まった時は、当たって砕けてみるのが一番簡単なんだぜ」
〈やっぱり低レベルじゃないの〉
「うっせぇ黙れ!」
イグニスは無性に気恥ずかしくなって、声を荒げた。サチコに気を遣ってしまったことが、自分でも嫌になった。しおらしいサチコのことを女らしいと思ってしまったことも屈辱だと感じてしまって、尚のこと頭に熱が昇ってきた。怒声に気付いたハルにイグニスは怒られてしまい、余計に情けなくなってきてイグニスは段々歩調が弱まった。すると、サチコはイグニスを完全に無視してさっさと先に行ってしまった。サチコもサチコで、嫌になったのだろう。
やはり、二人は水と油なのである。
山頂に着いたのは、それから約二時間後のことである。
全く持って歯応えのない山なので、山と称するべきではない気もするのだが、コロニーの設計図では山なのだ。故に、山と呼ばなくてはならない。塩分のないただの水溜まりのことも、海と称さなければならないのと同じだ。
山の頂上からは、コロニー全体が見渡せた。ミイムは尾を盛大に振りながら、目を輝かせて全景を見ていた。ハルも、何度となく見ているはずの景色に見入っている。マサヨシは、そんな二人の姿を眺めて頬を緩めていた。
「あれが海だよ、ママ」
ハルはミイムの手を引き、家族の住む家が建っている平地の先にある、ブーメラン型の水溜まりを指した。
「でね、あれが畑と、おじちゃんが作ってくれた公園」
ハルの指先は下がり、広場を指した。そこには、こぢんまりとした畑とイグニス手製の遊具が並ぶ公園がある。
「で、あれが川」
今度は、山の北西側を指す。そこからは細い川が流れ出しており、海へと続いている。
「んで、あっちが森」
そして、家のある平地とは反対側の山の斜面を指した。ごちゃごちゃに生えた木々が、密集している森だった。ミイムはうんうんと頷きながら、ハルの示したものを見ていた。高いところから見ると、初めて解ることが多かった。
この廃棄コロニーは、全体的に卵形をしていた。緩やかな曲線を描いている楕円で、山の部分が膨らんでいる。平地にいる時は見えなかったが、目を凝らせば空を映し出しているスクリーンパネルの繋ぎ目もうっすら見える。
スクリーンパネルの中心に当たる部分には、太陽と月を兼ねた巨大なライトがあり、今も燦々と光を注いでいる。風を造り出す空調装置はスクリーンパネルの隙間に上手く隠されており、雨を造り出すスプリンクラーも同様だ。
「みゅうみゅう、良く出来たコロニーですねぇ」
ミイムが感心していると、サチコが近付いてきた。
〈このコロニーの土台と外壁を成している小惑星の全幅は約五十キロ、全項は約三十キロと、小惑星型のコロニーとしては小型から中型の間ぐらいのサイズね。私達がこのコロニーを発見した際には、データバンクからは主要なデータやメモリーが削除されていたから、建造したのが誰かは解らないけど寸分も隙のない完全循環型コロニーね。さっき、マサヨシが言ったように、植物は成長が早いけどその代わり枯れるのも早いんだけど、それにもきちんと理由があるわ。枯れた植物は風で巻き上げられて川や海に落ちると、循環装置に取り込まれて酵素で分解され、燃料や肥料となって植物プラントを活性させているわ。そして、堆肥となって土に混ざるようになっているから、どこで畑を作っても栄養価の高い野菜が採れるようになっているの。水はたまに氷塊を運んできて補充しなければならないけど、ほとんどは濾過されて循環しているわ。その水も、定期的に雨となって降り注ぐようになっているし、春が終われば夏が始まって、秋が訪れれば冬が来るの。あのちっぽけな海にも、種類と数は少ないけどプランクトンや魚類が生息しているのよ〉
「ふみゅん、サチコさん、よくご存じですねぇ」
ミイムが笑顔を向けるも、サチコは淡々と返した。
〈それが私の仕事だもの。情報収集と分析はナビゲートコンピューターの本領なんだから、当然よ〉
「うみゅう……」
ミイムはちょっと臆し、顔を伏せた。すると、ハルが割り込んできた。
「お姉ちゃん、ママ、あっちに行こう!」
〈わっ、ちょっと!〉
ハルにスパイマシンを奪われ、サチコは戸惑った。
「いーからいーから!」
ハルはサチコを脇に抱えてミイムの手を引っ張って、あまり広くない山頂を駆けていき、南西側へと向かった。そこは木がまばらで、日差しが多く差し込んでいた。そのため、小振りながらも彩りの良い花が咲き誇っていた。ハルはサチコのスパイマシンを手狭な花畑の中に置いてから、ミイムを座らせると、二人と向かい合って座った。
「お姉ちゃん」
ハルは背負っていた小さなリュックを下ろすと、その中から袋を取り出してサチコに差し出した。
「はい、あげる」
〈でも、これは〉
サチコはレンズを上向け、ハルの差し出した袋を見上げた。それは、ミイムがおやつに作ったクッキーだった。
「ママが作ったお料理もお菓子も、とってもおいしいんだ。だから、お姉ちゃんにも食べてほしいの」
〈だけど、私は〉
「だって、私ばっかりがママを独り占めしちゃいけないでしょ?」
にこにこと笑うハルに、ミイムは笑みを返した。
「みぃ、ボクは別に気にしてませんけどぉ」
〈いいのよ、ハルちゃん。私はナビゲートコンピューターだから、ママは必要ないのよ〉
「でも、お姉ちゃん、寂しそうだったよ」
ハルは花畑に這い蹲り、サチコのスパイマシンと目線を合わせた。
「私が寂しいなって思うのは、ママがいなかったからだもん。パパもおじちゃんもお姉ちゃんもいたけど、ママだけがいなかったから、そう思ったんだ。だから、お姉ちゃんにもママがいれば寂しくないでしょ? それに、ママは私だけのママじゃないんだもん」
〈だけど……〉
「私ね、お姉ちゃんのことが大好きなんだ。パパはとっても強いし、おじちゃんはとってもでっかいし、ママはとってもお料理が上手だし、お姉ちゃんは色んなことをいーっぱい知っているから大好き。だから、お姉ちゃんが寂しそうにしてるのを見ると悲しくなるの」
「みぃ」
ミイムは頷き、ハルと同じようにしてサチコと目線を合わせた。
「ボクは、このコロニーに来てから日が浅いですぅ。だから、知らないことだらけですぅ。だから、ボクに色々なことを教えてほしいですぅ。ハルちゃんのことも、パパさんのことも、イギーさんのことも、もちろんサチコさんのことも」
〈……そうね〉
少々間を置いてから、サチコは答えた。
〈でも、その前に、解決しておくべき問題が一つあるわ〉
「うみゅ?」
ミイムは、首をかしげた。サチコはするりと浮かび上がると、マサヨシに近付いた。
〈この一週間、私はこの問題を解決させようと自分なりに努力してきたわ。感情回路を使わなければ理解出来ない、処理出来ない事項だと判断して感情回路をフルに活用し、あらゆるデータバンクから情報を検索してダウンロードし、様々なパターンを構築してシミュレーションを行い、的確な判断を下そうと努めてきたわ。けれど、具体的な打開策が見つかることもなければ出来上がることもなかったから、私は処理に困っていたの。たまらなく不本意だけど、本当なら受け入れるのも嫌だけど、イグニスの提案が最も有効だと判断したからこそ、マサヨシに進言するわ〉
「なんだ、サチコ」
サチコの仰々しい物言いに、マサヨシは若干動揺した。サチコは、ずいっとマサヨシの目前に迫った。
〈統一政府の法律では、原則的に同性同士の婚姻は認められていないのよ!〉
「……は?」
訳が解らず、マサヨシは後退った。それをサチコが追う。
〈もちろん、例外はあるけど条件が厳しいわ! ハルちゃんのことを本当に思うのなら、この辺りで身を固めるべきだと思うわ。あなたも今年で三十五歳になるし、傭兵としての稼ぎは大したことないけど比較的安定している部類に入るし、少しどころか重大な問題を抱えているけど戦力的には充分な仲間もいるけど、それだけじゃダメなのよ。やっぱり最終的には婚姻を果たさなければ、社会的地位はおろか統一政府からの援助も得られないわ。でも、あなたが選んだ相手は同性なのよ、同性! けれど、私はナビゲートコンピューターでしかないから、自分のマスターに法律違反を犯せとは言えないのよ! でも、ハルちゃんの幸せとマサヨシの幸せを望むのなら……〉
次第にテンションが上がってきたサチコを、マサヨシは強引に押さえ付けた。
「ちょ、ちょっと、ちょっと待てサチコ、今、お前はなんて言った?」
〈でも、ハルちゃんの幸せとマサヨシの幸せを望むのなら〉
「いや、その前だ、前」
〈けれど、私はナビゲートコンピューターでしかないから、自分のマスターに法律違反を犯せとは言えないのよ!〉
「いや、だから、最初だ、冒頭だ」
取り乱しながらマサヨシが聞き返すと、サチコは会話の冒頭部分を全く同じ抑揚で繰り返した。
〈統一政府の法律では、原則的に同性同士の婚姻は認められていないのよ!〉
「それは本当なのか、サチコ」
マサヨシがやや声を上擦らせると、サチコではなくイグニスが答えた。
「あれ? 知らなかったのか、マサヨシ?」
「そうなのか、ミイム」
マサヨシは否定されることを願いながら、事の中心人物に問うた。ミイムは、きょとんと目を丸くした。
「何を言っているんですか、パパさん」
そうだよな、絶対に女だよな、とマサヨシが返そうとした時、ミイムは見惚れるほど美しい笑みを浮かべた。
「ボク、男の子ですよぉ?」
え、とハルが唖然としたのが視界の隅に入った。青い瞳をまん丸に見開いて、小さな唇を半開きにしている。マサヨシも、自分がそんな顔をしているのが解った。こんなに驚いたのは、ハルを見つけた時以来かもしれない。イグニスは身を屈めてマサヨシの表情を覗き込んだが、マサヨシのあまりの驚きように、げたげたと笑い出した。
「なんだよマサヨシ、物を知らねぇんだな!」
「……そうなのか?」
「そうだよ。最初に見た時に解るだろうが、普通」
あー腹が痛ぇ、と人間のようなことを言いながら、イグニスはミイムの髪を指した。
「クニクルス族ってのはな、男の髪がピンクで女の髪がブルーなんだよ。でもって容姿が綺麗なのが男で、そうでもないのが女なんだ。簡単に言っちまえば、新人類とは逆なんだよ」
「みゅみゅうん!」
両手で頬を押さえるミイムの仕草はとても愛らしかったが、男だと思うと途端に気色悪く見えた。
「ハルちゃんやパパさんのためにぃ、ボクは成人男子としての本分を果たしますぅ!」
「ってことは」
マサヨシがげんなりしながらイグニスを見上げると、イグニスは上半身を反らすほど笑い転げていた。
「そうそう、立場もそっくり逆なんだよ! やっと気付いたのかよ、マサヨシ、お前って凄ぇ馬鹿じゃねぇのか!」
「他星系の事情に疎くて悪かったなあ!」
笑われすぎて腹が立ってきたマサヨシは、イグニスに言い返した。イグニスは背を折り曲げ、笑い続けている。
「なんだよ、てっきり俺はお前が同性愛に目覚めたのかと思ったぜ」
「そんなわけがあるか!」
マサヨシはむきになって、声を張り上げた。男を相手に、少しでも欲情しそうになった自分がたまらなく情けない。
「男だと知っていたら、ママになれなんて頼むか! スカートなんて履かせるか! というか、知っていたのなら指摘しろ! 相棒の間違いを正すのも相棒の仕事だろうが、イグニス!」
「ホモでも俺に無害なら問題ねぇよなーって思ったから、つい」
「放置したってのか?」
「うん」
「あのなぁ……。というか、俺は同性愛なんかじゃないからな。断じて違う。付き合いが長いから解るだろうが」
「長いからこそ知らない面もあるよなーって思ったから」
「思うなよ!」
マサヨシはイグニスに強く言い返してから、肩を落としてため息を吐いた。
「そうか……男か……」
道理でサチコの視線が冷たいわけだ。彼女はミイムが男だと知っていたからこそ、ああも素っ気なかったのだ。当然、立場を奪われた寂しさもあったのだろうが、男が母親役をしている違和感を受け止めきれなかったのだ。ミイムが家族に加わった当初のイグニスの歯切れの悪さも、そういった背景を考慮すればすんなりと納得出来る。
〈……知らなかったの?〉
サチコにまでも言われ、マサヨシはこの場から逃げ出したくなったが意地で踏み止まっていた。
「悪いか」
〈いえ……悪いなんてことは……〉
あら、そうだったのね、とサチコは態度を取り繕うが、非常にばつが悪そうだった。
「まずは事実を述べてくれ、サチコ。それが君の仕事じゃないか」
マサヨシはサチコに強く命じてから、ほんのりと頬を染めているミイムに向き直った。それがまた、気色悪い。
「そしてパンツを履いてくれ、ミイム。男なら尚更履かなければ落ち着かないだろう」
「みぃ、そんなことはないですぅ。ボクのはですねぇ」
ミイムはスカートを広げて生々しい説明を始めようとしたので、マサヨシは慌ててミイムを押さえた。
「それは今話すな! 家に帰ってから話してくれ!」
「うみゅう」
ミイムは少し残念そうに、スカートの裾を下ろした。女だと思っていたからこそ許せた擬音語も、男だと許せない。マサヨシは無知を馬鹿にされた恥ずかしさと男を相手に照れてしまった自分が許せなくなってきて、頬を歪めた。男だと知っていたら、あんなに優しくしなかったのに。様々な後悔も迫り上がってくるが、今更取り消せなかった。
「でも、ママはママでしょ?」
一人、状況に付いていけなかったのか、ハルはマイペースに笑っていた。
「……男だぞ?」
マサヨシが聞き返すも、ハルは笑顔のままだった。
「ママはママでしょ?」
どうやら、ハルは状況を理解することを諦めたらしい。マサヨシには、その気持ちも解らないこともなかった。そして、その後、とりあえずピクニックは終わった。目論見通り、サチコとミイムの関係はぎこちなさが抜けた。しかし、他の関係がぎくしゃくしてしまった。
ミイムが男だと判明したため、マサヨシは大いに混乱してしまった。それは家に帰ってからも続き、ピクニックを終えてからの一日は、マサヨシの態度がぎこちなくなってしまった。パイロットの精神的不調は戦闘に著しく支障を来すので、当然ながら、傭兵の仕事も請け負えず終いだった。
ママだと思っていた相手が男だと判明した当初、混乱するあまりに現実逃避をしたハルも、しばらく変だった。だが、そこは子供なのでマサヨシよりも遙かに順応性が高く、三日も経てば男でもママだと思えるようになった。
ミイムも二人の戸惑いように若干遠慮していたが、ハルが再び心を開くと、これまで以上に立派なママになった。最初から事の真相を知っていたイグニスとサチコは、マサヨシの性癖が普通だと知ると態度は元に戻してくれた。
しかし、絶好のからかいの種を得たイグニスは、悪戯を覚えた少年のようにマサヨシをからかっては怒らせた。そんなイグニスを押さえ付けようとサチコが叱るも、サチコもまたからかわれて、やり込められる時すらあった。最終的に取り残されてしまったマサヨシは、ミイムが男だと受け入れられるようになるまで一週間は掛かった。
その一週間は、マサヨシの生涯で最も恥辱に満ちた一週間だった。




