フリージング・ビューティー
────それは、一輪の花の如く。
撃破した海賊船の内部は、悲惨だった。
最前線で戦っていたイグニスにはやりすぎるなと言っておいたはずだが、その忠告は役に立たなかったようだ。もっとも、後衛であるマサヨシも敵のスペースファイターを一機残らず撃墜したので、人のことは言えないのだが。
海賊船の装甲には無数の弾痕が付き、翼と機関部にはレーザーブレードによる致命的な損傷が加えられていた。搭乗員はさっさと待避していたために救命ポッドは空っぽで、司令室と操舵室にも生体反応は残っていなかった。レーダーの片隅には逃げ延びた宇宙海賊達と思しき反応が写っているが、今は深追いしている場合ではない。
今回、マサヨシとイグニスが依頼された仕事は宇宙海賊の盗伐が名目だが、本当の狙いは盗品の奪還だった。そういった仕事を依頼されるのは、これが初めてではないが、普段はあまり請け負わないタイプの仕事だった。
イグニスとマサヨシはどちらも戦闘屋であり、奪還や救出といった細かい仕事にはそれほど向いていないのだ。どちらも戦闘にこそ長けているが、特殊技能は大したことはない。軍で受けた訓練も、戦闘技術ばかりだった。だから、サチコが選んでくる仕事も専ら戦闘ばかりだったので、今回のような仕事を選ぶのは珍しい。きっと、条件が良いからだろう。
成功報酬は相場よりも四割増しだったが、それだけ危険だということでもある。今し方まで戦っていた宇宙海賊はとある犯罪組織の末端だが実働部隊も兼ねており、装備も相応に派手だった。だが、それは一般的な装備のスペースファイターや機動歩兵の場合で、マサヨシとイグニスなら充分相手になる。サチコはそれも計算した上で、この仕事を請け負ったのだ。案の定、マサヨシとイグニスは手堅く勝利を収めた。
傭兵の仕事は基本的には依頼されるものだが、マサヨシとイグニスの場合はサチコがどこからか探してくる。こういったあまり真っ当ではない仕事を請け負い、統括する組織もあるが、性に合わないので所属していない。なので、組織の下で働く傭兵に比べれば条件が悪いが、サチコのマネージメント能力のおかげで長らえている。そういった意味でも、サチコは優秀な助手であり仲間だ。彼女がいなければ戦闘はおろか生活も成り立たない。
マサヨシはサチコの操るスパイマシンの映像を、モニターで見ていた。抉れた船体の奥には、闇が広がっている。モニターの右側にはビームバルカンを手にしたイグニスの半身が映り、破片が漂う通路を慎重に移動していた。
イグニスが船体の機関部にダメージを与えた際に電気系統は吹っ飛んでしまったらしく、照明は全て消えている。だから、その底なしの暗闇を少しでも薄めてやるべく、マサヨシは船外からライトを浴びせて船内を照らしていた。マサヨシのライトと遙か遠くから注がれる太陽光で煌めく金属塊やパイプや部品は、どことなく内臓じみていた。
『んで、倉庫ってのはどこにあるんだ?』
無線越しに話しかけてきたイグニスに、マサヨシは返した。
「サチコが引き抜いた情報に寄れば、センターブロックの第七倉庫にあるそうだ」
『そこに先方のご注文の品もあるってわけか。壊すだけなら楽なんだが、探すのは面倒でたまんねぇや』
自身が壊した内壁に手を掛けて進みながら、イグニスはぼやいた。
『どうせなら、海賊連中の稼ぎを掻っ払っちまおうや。その方が割に合う』
〈略奪者から略奪するのもれっきとした犯罪なのよ? 馬鹿なことを言わないでよ〉
サチコの小言に、イグニスは肩を竦めた。
『戦場だったら、敵兵を仕留めたらその持ち物を奪ってもいいんだがな』
〈ここは戦場なんかじゃないし、太陽系統一政府はどこの星系とも星間戦争を始めたことなんてないし、新人類が宇宙に進出して国家も言語も文化も統一されてからは戦争なんて起きた試しはないんだから、あんたのルールは一切適応されないんですからね!〉
『だったら、どうして宇宙軍なんてあるんだよ? どことも戦わないなら、軍隊なんて必要ねぇじゃねぇか』
なあ、とイグニスに話を振られ、マサヨシは苦笑いする。
「宇宙軍の役割は他星系との戦闘じゃなくて、最低限の自衛と自星系の治安維持のためだ。少なくとも、建前はな」
『ほらな、マサヨシもそう思うだろ? ここの平和は俺も嫌いじゃないが、どうもきな臭いところがあるんだよ』
〈じゃあ、具体的な懸念を言ってみなさいよ、イグニス〉
イグニスに言い返されたことが面白くないのか、サチコの声色は拗ね気味だった。
『こんな仕事をしていると、嫌でも宇宙軍の黒い噂を聞くからな。まあ、話せば長くなるんだが……』
会話を続けながらイグニスは通路を進んでいたが、急に言葉を切った。通路の床の一部が、砲撃で抉れていた。
『っと、それはまた今度かな。電卓女、この中が目的の倉庫じゃねぇのか? 見取り図と照らし合わせてみてくれ』
〈はいはい、やればいいんでしょ、やれば〉
不本意そうだったが、サチコはイグニスの送ってきた画像とハッキングして入手した船の見取り図を照会させた。イグニスが辿った通路のルートと船体の構造を重ねて確認すると、確かにこの穴の真下が目当ての倉庫だった。
『それじゃ、ガサ入れと行こうじゃねぇか』
イグニスは倉庫内に飛び降り、着地の瞬間にビームバルカンを構えた。自身の目から出すライトで、中を照らす。舐めるように倉庫の内部を照らすが、見えるのは戦闘の衝撃で破損したコンテナやその内容物の箱ぐらいだ。生体反応も熱反応もなかった。
突入した際にメインコンピューターも破壊したので、防衛システムも沈黙している。だが、まだ油断は出来ない。イグニスは分厚く大きな銃口を上げたまま、足元に転がっていた箱を蹴り飛ばした。ゆったりと浮かび上がった箱は倉庫の中を漂い、壁にぶつかって蓋が開き、保存食のパックが大量に零れ出た。
『んだよ、しけてんな。海賊共は、金目の物だけは逃げる時に持ち出しやがったみたいだ』
イグニスのぼやきに、すかさずサチコが口を挟んだ。
〈下らないことを考えている暇があったら、さっさと仕事をしなさいよ!〉
『言ってみただけじゃねぇか』
〈言うだけでも充分良くないわよ!〉
『あーうるせぇうるせぇ』
イグニスはサチコの操る球体のスパイマシンを手で払ってから、太い銃身でコンテナをひっくり返した。
『こいつの番号はNO.44021だから、違うな。壁際のはNO.80003で、天井に浮かんでるのはNO.58011で、マサヨシの流れ弾でぶち抜かれちまってるのはNO.21770で……やっぱり違うな。おい、NO.31603のコンテナなんてどこにも見当たらねぇぞ』
「変だな。俺達が奪還しろと言われているコンテナは、ここにあるはずなんだが」
〈もしかしたら、海賊が持ち去ったのかもしれないわね。依頼者が傭兵を雇ってまで奪還を望むぐらいなんだから、相当な価値があるものに違いないわ。だとしたら、もう手遅れかもしれないわね〉
『どういうことだよ、電卓女』
〈海賊以下に成り下がった人にはなーんにも教えてあげないんだから〉
『まだ何もギッてねぇだろうが!』
「それで、何の情報を掴んでいるんだ、サチコ」
マサヨシはサチコを宥めるため、口調を柔らかくした。すると、サチコは態度を一変させた。
〈マサヨシにだったら、なんだって教えてあげるわよ。今し方、宇宙軍のアステロイド遊撃警備隊から本部への報告があったんだけど、その通常無線をキャッチしたのよ。もちろん合法よ。アステロイド遊撃警備隊の報告に寄れば、私達がいいところまで追いつめたけど取り逃がした宇宙海賊の全員を確保したんですって。まあ、それがあの人達の仕事だから、当然と言えば当然よね。宇宙海賊達の略奪品も宇宙軍に押収されたはずだから、いずれコンテナは持ち主の手に戻ると思うわ。だから、私達の仕事はこれまでのようね。依頼の半分は完遂したんだから、報酬もそれ相応にもらえるはずよ〉
『おい、電卓女!』
〈そうと解れば、後は補給して帰還するだけね。今日は木星のエウロパステーションが近いわよ〉
『人の話を聞きやがれ!』
〈イグニスの声なんて、磁気嵐のノイズにも劣るわ。だから聞き取る価値もないのよ〉
「その辺にしてやれ、サチコ。イグニスもだ。撤収するぞ」
マサヨシが仲裁に入ると、サチコは渋々引き下がった。イグニスはまだ文句を言っていたが、船外に出てきた。マサヨシがスペースファイターの左翼からイグニス専用のハンドルを出してやると、イグニスはそれに掴まった。
少々荒っぽいが、大型の宇宙船を持っていないマサヨシがイグニスを輸送するためには、この方法しかないのだ。イグニスにも飛行能力はあるのだが、元々空戦に秀でた機械生命体ではないので、飛行速度はあまり速くない。
宇宙空間での移動速度もそんな具合で、マサヨシの操る高速型スペースファイターに追い付くことは不可能だ。かといって、加速用ブースターを付けると戦闘では邪魔になる上に燃費も悪いので、彼自身を運ぶのが最適だ。
マサヨシはイグニスとサチコの仲の悪さに辟易しつつも、どうして仲良くなれないのか、未だに不可解だった。二人は生まれと役割こそ違うが、種族は近いはずだ。
かたや機械生命体で、かたやコンピューターなのだから。だが、あまりにも仲が悪い。人間と動物の間には決して理解出来ない隔たりがあるように、二人にもあるのだろう。どちらが動物かと言われると、それはイグニスの方だろう。
戦闘の才能もあって頭も悪くないが、気が強すぎる。戦闘時は理性的な行動を取るが、それ以外では落ち着きがない。性能的には、サチコよりも上のはずなのだが。機械生命体は機械でありながら生命体と称されるほど構造が複雑で、確固たる人格が在ることが最大の特長だ。だが、彼は人間臭すぎる。他人への友情も愛情も持っており、感情の起伏も大きいが、それ故に仲違いもする。
度が過ぎている、と思わないでもないが。
そして、三人は廃棄コロニーへの帰路を辿った。
サチコの案内で木星衛星軌道上のエウロパステーションに赴き、三時間の休息とエネルギーの補給を行った。今回の仕事を依頼した依頼者には事の次第を説明したところ、若干渋ってはいたが納得してもらった。
だが、依頼された仕事を完遂出来たわけではないので報酬は三割減になり、結局いつもと稼ぎは変わらなかった。しかし、収入がないよりはいい。いつものようにエネルギー代や整備費で削られたが、ある程度は手元に残った。
廃棄コロニーへの帰還ルートは、常に変えていた。いつも同じルートでは、何が起きるか解ったものではない。宇宙海賊の盗伐などという物騒な仕事ばかり請け負っていると、おのずとその手の連中に目を付けられてしまう。
実際、数年前には銀河規模の犯罪組織に目を付けられてしまい、マサヨシとイグニスは襲撃されたことがあった。以前から帰還ルートは変えていたのだが、それ以降は更にパターンを増やし、今では数十種類にもなっている。いずれもサチコが考案したもので、その日の宇宙軍の警備状況や宇宙海賊の出没状況でルートを選択していた。
今日もまた、サチコが選択したルートを辿っていた。アステロイドベルトに入り、小惑星の間を通り抜けていた。マサヨシのスペースファイターが小型で軽量だからこそ通れるルートであり、大型船では航行不可能なルートだ。
無数の小惑星や巨大な岩石がモニター一杯に広がっているが、あまりスピードを出さなければ難なく回避出来る。操舵の半分はサチコに預けているが、マサヨシも操縦桿を握っていた。宇宙では、何が起きるか解らないからだ。
廃棄コロニーまでもうしばらく、という頃、小惑星の太い帯の中に見慣れない物体が浮いているのを発見した。マサヨシがスピードを落とすと、イグニスが飛び立った。数分してから、イグニスはその物体を抱えて戻ってきた。それは、小型のコンテナだった。一般的に使われるものよりも機密性が高いタイプで、箱自体も分厚く、頑丈だ。
『これ、デブリだよな? な? 間違いないよな?』
未開封だけど、とイグニスは三立方メートル程の大きさのコンテナをひっくり返し、眺め回している。
〈……あら?〉
ふと、サチコが訝った。
「どうした、サチコ」
マサヨシが尋ねると、サチコは答えた。
〈そのコンテナ、ナンバリングされていない?〉
『あ、本当だ』
コンテナの正面を見たイグニスは、その番号を読み取った。
『NO.31603……って、これって、まさか、アレじゃないよな?』
〈でも、あの海賊船の倉庫にあったコンテナと同系列の製造ラインで造られたコンテナだし、ナンバリングの字体も同じだし、だけど、そんな偶然が起こるのは天文学的な数値の確率で……〉
「とりあえず、持って帰ってみるか?」
マサヨシの言葉に、サチコはぎょっとした。
〈マサヨシまでイグニスみたいなことを言わないでよ! 万が一、危険物だったらどうするのよ!〉
『おお、いいねぇ! せっかくだから何が入っているか確かめようぜ、な!』
〈マサヨシがいいって言ったって、私は反対ですからね! 宇宙海賊の略奪品を自分の物にするなんて最低よ!〉
「なんだったら、サチコが徹底的に調べてから運ぼう。それなら文句はないだろう?」
マサヨシが優しく語り掛けると、サチコは怯んだ。
〈そりゃ……ハルちゃんに危険が及ばないようにするためには、当たり前のことだけど、でも……〉
『何が出るかな、何が出るかなーっと』
うきうきしながらコンテナを抱えて戻ってきたイグニスは、左翼のハンドルを掴んで姿勢を整えた。
「早く帰ろう、サチコ。ハルが待っているんだから」
マサヨシはモニターの端を指先で叩くと、サチコは不機嫌そうだったが返事をした。
〈はぁーい……。マサヨシにそう言われちゃ、逆らえないのよねぇ……〉
『コンテナってのは夢があるんだよな! 何が入っているか解らねぇし、コンテナ自体が良くても中身がしょぼいってことも多い! つーか八割がそうだった! だが、開けるまでは何が入っているか解らないのが素晴らしいんだよ! 廃棄宇宙船に潜る時みたいなドキドキワクワクがあってだなー』
熱の籠ったデブリ語りを始めたイグニスは、コンテナを軽く叩いた。
「こら、乱暴に扱うな。開ける前に破損したら、全部台無しになっちまうだろうが」
マサヨシが注意すると、イグニスは平謝りした。
『ん、すまん。だがな、これでデブリの素晴らしさってのをお前らが解ってくれたらいいと思うんだ!』
〈そんなもの、絶対に解らないんだから。ねーマサヨシ?〉
マサヨシがイグニスに味方したことが面白くないのか、サチコの声色はいじけていた。
「それはそうだがな。そう拗ねるな、サチコ。たまにはこういうことだってある」
〈どうせ私は、ただのナビゲートコンピューターですよーだ〉
『うははははははは、ざまぁみやがれ電卓女ー!』
〈黙らっしゃい!〉
調子に乗っているイグニスを叱り飛ばした後は、サチコは完全に機嫌を損ねてしまい、黙り込んでしまった。マサヨシが宥めてもなかなか機嫌が戻ってくれず、それとは逆にイグニスは浮かれっぱなしで高笑いしていた。サチコはマサヨシが略奪品を持ち帰ると言ったことが嫌なのではなく、イグニスに賛同したのが面白くないのだ。付き合いが長いと、それぐらいのことは解る。
サチコは確かにコンピューターだが、それ以前に一人の女性だ。女性心理は扱いづらいものだが、それが可愛げでもある。マサヨシは対照的な二人の姿に、つい笑ってしまった。
相変わらず、どっちもどっちだ。
サチコは反対し続けたが、結局、コンテナはコロニーに運び込まれた。
ハルの待つ廃棄コロニーに戻った三人は、居住スペースである最下層内に入れる前に徹底的に検査を行った。だが、これといった問題は見当たらず、爆発物の危険性もなければエネルギー反応もほとんど感じられなかった。それすらも面白くないのかサチコの機嫌は更に悪くなる一方だったのだが、仕事自体はきちんとこなしてくれた。
危険物ではないと判断した末、マサヨシらはコンテナと共にエレベーターに乗り、最下層の居住スペースに降りた。もちろん、コンテナはイグニスが運んだ。浮かれているので弄びそうになるので、マサヨシは注意を繰り返した。
そして、コンテナは自宅前に置かれた。三人の帰りを待っていたハルは、見慣れない箱を興味深げに眺めた。何度もコンテナの周りを歩いて眺め回し、正面に書かれている数字や文字を舌っ足らずな声で読み上げていた。
「とりあえず開けようぜ、これ!」
イグニスはコンテナの前に腰を下ろし、にやけた声を出した。
〈ちょっと待ちなさい。電子ロックが掛かっているから、まずはそれを解除するのが先よ〉
サチコは不愉快さを露わにしつつも、イグニスとコンテナの間に球体のスパイマシンを滑り込ませた。
〈こんなの、十秒で開けてみせるんだから〉
サチコはスパイマシンの下部からケーブルを伸ばし、コンテナの扉のカードリーダーのジャックに差し込んだ。それからきっちり十秒後、高い電子音が鳴り、コンテナの扉をロックしていたシリンダーが次々に抜けていった。
「ありがとう、サチコ」
マサヨシに感謝され、サチコは少し機嫌を戻した。
〈マサヨシにそう言ってもらえると、どんなに小さな仕事だってやりがいがあるのよね〉
「ねえパパ、この中には何があるのかな?」
ハルは興味津々で、コンテナに近付いた。マサヨシはベルトに差していた熱線銃を抜き、ハルを制した。
「まずは俺が確かめる。ハルはそれから入ってくれ」
「うん、解った。じゃあ私は、パパの次に入るね」
ハルは素直に従い、イグニスの元に駆け寄った。イグニスはハルの背後に膝を付き、身を屈める。
「本当は俺も中に入りたいんだが、この図体だ、見るだけにしておくとするさ」
〈他のデブリも見るだけだったら無害なのにね〉
サチコは尖った言い方をしたが、イグニスはへらへらしているだけだった。
「負け惜しみにしちゃあ切れが悪いぜ」
〈何よ何よ、ちょっとマサヨシに味方されたぐらいで調子に乗らないでよね!〉
サチコがイグニスに突っかかると、ハルは精一杯背伸びをして声を上げた。
「お姉ちゃんとおじちゃん、またケンカしてる! 仲良くしなきゃダメだよ!」
「お、おう、そうだな。ごめんな、ハル」
イグニスが情けないほど呆気なく引き下がったので、サチコも引き下がるしかなかった。
〈はぁーい……〉
「お喋りはそれぐらいにして、本題と行こうじゃないか」
マサヨシは三人に言ってから、コンテナの扉に手を掛けた。頑丈だが、素材は軽量なので手応えも軽かった。そのため、マサヨシの力でも楽に開いた。熱線銃の銃口を挙げて中に向けていたが、程なくしてそれを下げた。
コンテナの中には、奇妙なものが詰め込まれていた。派手なデザインのワードローブと鏡台、造花の飾りなどだ。ワードローブには旧時代の貴族が好むような装飾が施され、鏡台のフレームにはバラの模様が刻まれていた。内部にはバラをメインにした飾りが付けられ、薄布も下がっていて、煌びやかというよりも不気味だ。
いわゆる少女趣味と貴族趣味がない交ぜになっているが、どっちつかずで、高貴さよりも安っぽさが先に立つ。まるで、この中にお姫様でも閉じ込めたかのようだった。マサヨシが顔をしかめていると、ハルが歓声を上げた。
「わあ、素敵! 綺麗だね、パパ!」
「俺はそうは思わん。見た目は派手だが、作りは安っぽいからな」
「えー。私は素敵だって思うのにー」
むくれながらコンテナに入ってきたハルは、ワードローブに近付いて背伸びをしたが、取っ手に手が届かない。
「パパぁー、開ーけーてぇー」
「解った解った」
マサヨシはハルを後ろに下がらせてから、ワードローブを開いた。すると、中にはドレスが大量に詰まっていた。ハルは頬を染めて、うっとりとした眼差しでドレスを見つめている。だが、これもまた、ただ派手なだけでしかない。見た目は綺麗だが触ってみると素材は悪く、色もきつい。どう見ても、本物の上流階級が着るドレスではなかった。
胸元がやけに広かったり、模造宝石がごてごてと付いていたり、やけにスリットが深かったり、透けていたり、と。言ってしまえば、娼婦が着るドレスだ。引き出しの中に入っている下着類も、機能を成さないものばかりだ。だが、それだけではこのコンテナを奪還したがる理由が解らない。ここにあるドレスは、どれも安物なのだから。となれば、何かしらの訳があるに違いない。マサヨシはきゃっきゃとはしゃぐハルを横目に見つつ、中を見渡した。
このコンテナの天井から垂れ下がっている薄布は、コンテナの奥を覆い隠すように何重にも重なり合っていた。マサヨシはその薄布を引き千切って、放り投げた。するとその奥には、二メートル程の大きさのポッドがあった。全面が強化ガラス製の円筒で、ポッドの後部にはコールドスリープに必要な冷却装置と生命維持装置があった。
「悪趣味だな」
コンテナの中を覗き込んでいたイグニスが、吐き捨てた。マサヨシは、冷え切ったポッドの表面を撫でる。
「道理で先方が欲しがるわけだ。貴重な商品だからな」
ポッドの中では、小柄な人物が眠っていた。体の線が透けて見えるほど薄い、下着を一枚着せられていた。だが、それ以外は何も着せられていなかった。大方、この人物は、人身売買で売られる途中だったのだろう。
今日倒した宇宙海賊が攫ってきたのか、或いは運び屋として動いていただけなのかは、定かではなかったが。マサヨシとイグニスは、重大犯罪の片棒を担がされる途中だったらしい。珍しいことではないが、気分は悪い。
ポッドの中で眠る人物は、人形のように美しかった。生命維持装置がなければ、本当に人形だと思っただろう。腰まで伸びた長い髪はピンクで、毛先が緩やかに波打っている。両側頭部からは、獣の耳が垂れ下がっていた。その耳は地球で言うところのウサギの耳に酷似していて、全体が繊細な純白の体毛にふんわりと包まれていた。腰の後ろ、つまり臀部の上からは耳と同じ白い毛色の長い尾が垂れ下がっていて、見るからに柔らかそうだった。
目を閉じていても、その美貌は陰らなかった。細い顎は白い首筋に繋がり、二の腕は頼りないほど華奢だった。控えめを通り越して平坦な胸の下には薄く肉の付いた腹部と腰が続き、太股には張りがあり、足はすらりと長い。睫毛も驚くほど長く、白い肌はきめ細かく滑らかだ。一枚の絵画のように見えるほどの、出来過ぎた光景だった。
「どうする、起こすか?」
イグニスはコンテナに顔を突っ込み、マサヨシに尋ねた。マサヨシは少し考えてから、答えた。
「いや、このまま眠らせておいて軍に引き渡そう。面倒が起きたら困るからな」
〈そうね。それが賢明だわ〉
サチコはマサヨシの傍に浮かび、頷くように上下した。
「……ママ?」
ハルはポッドの中の人物に見取れ、浮ついた足取りで近寄った。
「だって、これ、私と同じだもん。私も、こんなふうに筒の中で眠っていたんだよね。ママだ、ママなんだ!」
「ハル、この子は」
マサヨシがハルを止めようとするも、ハルは駆け寄ってポッドに縋り付いた。
「絶対ママだよ! ずっといい子でお留守番をしてたから、ママが来てくれたんだよ!」
「ハル、そいつはお前のママでもなんでもねぇ。ただ、俺達が拾っちまったってだけなんだよ」
イグニスが首を横に振るも、ハルは譲らない。
「パパがいるんだもん、だからママだっているはずだよ!」
〈ハルちゃん……〉
サチコは痛ましげに、声色を弱めた。
「ハル」
マサヨシはハルに近寄るも、ハルは一歩も引かなかった。
「やっとママに会えたんだ、だから、これからパパ達みたいに一緒に暮らすんだもん!」
「聞き分けてくれ、ハル。その子はお前のママなんかじゃない。悪い人に誘拐されて、売られそうになっていたんだ。だから、軍に引き渡して、元いた場所に帰してやらなければならないんだ」
「やだ!」
ハルは目元に涙を浮かべ、必死にポッドにしがみついた。
「パパ達がお仕事でいない時、ずっと神様にお願いしてたんだ。ママに会えますようにって、一緒に暮らせますようにって、一杯お願いしたの。だから、神様がお願いを聞いてくれたんだよ」
時折声を詰まらせながら、ハルは強く言った。
「ハル!」
マサヨシが声を張ると、ハルはびくっと身を震わせたが、離れようとしなかった。
「だって……だってぇ……」
〈ハルちゃん。マサヨシの言うことを聞きなさい。その人は、本当にあなたのママじゃないんだから〉
ね、とサチコが優しく諭したが、ハルは涙を零しながら首を横に振る。
「違うよ……ママだよ……。本当に本当に、ママなんだもん……」
「ああ、心が痛いぜ……。回路にぎしぎし来らぁ……」
イグニスはハルの必死さに居たたまれなくなったのか、コンテナの中から頭を引き抜いて顔を背けてしまった。
「ね、ママなんだよね? お姉ちゃんは、ハルのママなんだよね?」
ハルは涙で濡れた頬を引きつらせて笑顔を作りながら、うっすらと結露を帯びたガラスの円筒を見上げた。
「ハル」
マサヨシはハルの背後にしゃがむと、抱き締めた。ハルは顔を覆い、泣き出した。
「パパの意地悪!」
「解ってくれ、ハル。俺達は、決して意地悪を言っているわけじゃない。ハルにも母親は必要だと思う。だが、この子は悪い人に攫われてしまったんだ。だから、この子を家族や友達の元に帰してやらなければならないんだ」
「でも、でも……」
しゃくり上げるハルを、マサヨシは優しい手付きで撫でた。
「ハルだって、俺達の傍から引き離されたら嫌だろう?」
「うん……」
「だから、帰してやるんだ。それがこの子のためなんだ」
「このお姉ちゃんは、私のママじゃないの……?」
「残念ながら。だが、いつか、ハルはママに会えるさ」
「本当? 嘘じゃない?」
「宇宙は広い。だから、どこかにハルのママはいる」
「本当に本当?」
「本当に本当だ」
マサヨシはハルの涙や鼻水を拭ってやり、抱き上げた。
「いつか必ずママに会える。それまでは、色気が足りなくて悪いが、俺達だけで我慢してくれ」
「俺はハルのママにはなれねぇかもしれないが、ハルのためだったらどんなに強い敵だって倒してみせるぜ」
マサヨシに抱かれてコンテナから出てきたハルに、イグニスは顔を近寄せた。
〈さあ、お部屋でお昼寝しましょう。私もママにはなれないけど、ママみたいなことなら出来るから〉
サチコはマサヨシの腕の中にいるハルに近付き、寄り添った。
「いい子だ、ハル」
マサヨシはハルを抱き締め、頬を寄せた。ハルはくすぐったげに身を捩ったが、抗わなかった。
「約束だよ、パパ。いつか、ママに会わせてね」
「約束するよ」
マサヨシは笑顔を浮かべながらも、内心は複雑だった。ハルには、産みの母親がいるとは到底思えなかった。コールドスリープで眠らされたハルは、アステロイドベルトに廃棄されたコロニーと同じように捨てられていたのだ。だが、コロニーの周辺はもといハルの眠っていたポッドの傍にも、誰かが近付いた痕跡は何も残っていなかった。
恐らく、ハルは人工的に産み出された子供だが、何かしらの理由でコロニーと共に遺棄されてしまったのだろう。それを誰も探そうとしないところを見ると、ハルの存在は既に抹消されてしまった後であり、家族など存在しない。だが、それをハルに告げることは出来ない。ハルに過酷な事実を言えば、どれほど傷付いてしまうことだろうか。だから、隠しておくしかない。マサヨシは心苦しくてたまらなかったが、笑顔を取り戻したハルに笑いかけていた。
そして、四人は家に入った。和やかな家族の団欒の傍らでコンテナは沈黙していたが、中で異変が起きていた。マサヨシが放り投げた薄布が冷却液の流れるパイプに引っ掛かり、その端は冷却装置の上に引っ掛かっていた。パイプに引っ掛かっていた薄布は氷結したが、自重で剥がれ、その拍子に冷却装置のスイッチが動いてしまった。それから、五時間程度の時間が過ぎた。コロニー内部の時間は夕方になり、ハルは眠り、家も静まり返っていた。人工の空を造り出すスクリーンパネルは藍色に染まり、偽物の星座が瞬く中、コンテナの中では動きがあった。
ガラス製のポッドの後ろでメルティング完了を示すランプが点灯し、薄暗いコンテナ内部を赤く染め上げていた。原色の明かりを浴びながら、小柄な人影は歩み出した。閉ざされていた瞼を開き、長い髪を揺らし、声を発した。
「……みぃ?」
小さな寝息は、穏やかだった。
マサヨシの腕の中で眠るハルの丸い頬には涙の筋がいくつも付いていて、枕にもたっぷりと染み込んでいた。あの後、昼寝をさせて夕食を摂らせたら機嫌は治ったが、また寂しくなったのかマサヨシにべったりと甘えてきた。
近頃は一人でもちゃんと眠れるようになっていたのだが、今日は我慢出来なかったのか、ベッドに潜り込んできた。寝入るまでの間、ハルはマサヨシに謝りながら泣いていた。強がってはみたものの、やはり母親が恋しいのだろう。
マサヨシはハルの傍にいてやり、優しい言葉を掛けて宥めてやった。それぐらいしか、出来ることがなかったのだ。図らずもハルに嘘を吐いてしまったことがやるせなく、また、許せなかった。もっと、他に言い方があっただろうに。
マサヨシはいつになく慎重にハルから腕を外し、体を起こした。ずれてしまった布団を、少女の肩に掛け直した。ハルは小さく声を漏らしたが、眠り込んだままだった。マサヨシは僅かに頬を緩めたが、罪悪感は消えなかった。
「ごめんな、ハル」
マサヨシは、すっかり眠気が消えていた。元々眠りが深い方ではないが、今日はまた一段と寝付きが悪かった。だからといってハルの傍で酒を引っかける気にもなれないし、かといって、薬に頼って眠りたいほどでもなかった。
ガレージを窺うと、イグニスも休眠しているようだった。どこまでも人間臭い彼は、習慣までもが人間臭いのである。ベッドサイドにはサチコの端末である球体のスパイマシンがあったが、サチコもまたスタンバイモードのようだった。彼女はコンピューターだが、負荷が掛かれば疲労も生じる。戦っていない時ぐらいは、ゆっくり休ませてやりたい。
仕方ないので、マサヨシはサチコのスパイマシンに触れないように気を付けながら手を伸ばし、情報端末を取った。だが、それを手の中に入れなかった。代わりに枕の下に入れておいた熱線銃を取り出すと、引き金に指を掛けた。
廊下に人の気配がある。足音こそ殺しているようだったが、かすかな衣擦れの音と床の軋みが聞こえてきた。マサヨシはベッドから降りると扉の脇に回り込み、壁に背を当てた。足音は近付いてくると、ドアノブに手を掛けた。ドアノブは慎重に回され、蝶番が滑らかに滑り、ドアが開いた。その瞬間にマサヨシは銃を突き出し、押し当てた。
「動くなよ」
銃口が抉ったのは、柔らかな喉だった。暗がりの中では一際白さが際立つ喉が、ひくっと引きつった。
「み、みぃ……」
驚愕と恐怖に震える瞳は、金色だった。目尻に涙を滲ませながら後退った人影は、長いピンクの髪を揺らした。
「言葉は通じるか?」
マサヨシの淡々とした問いに、その人影は何度も頷いた。華奢な両手を挙げて、壁に背を貼り付けた。
「だ、第一公用語なら、ボクも喋れますぅ……」
「サチコを起こす手間が省けたな」
マサヨシは自室から出ると、背中で扉を閉めてから鍵を掛けた。
「騒ぐなよ。ハルが起きたらどうしてくれる」
「みぃー……」
怯えきった仕草で、その人影は何度も頷いた。マサヨシが廊下の明かりを付けると、その姿が照らし出された。それは、あのポッドの中で眠っていたはずの人物だった。だが、衣服は違い、少女趣味じみたドレスを着ている。
「悪いが、俺に子供を抱く趣味はないんだが」
マサヨシが嫌悪感を露わにすると、コンテナの主はたっぷりとフリルが付いた白いドレスを押さえ、耳を下げた。
「ボクだって、好きでこんなのを着ているんじゃないですぅ。まともな形の服はぁ、これしかなかったからぁ……」
マサヨシは一歩間を詰めて、銃口を真っ平らな胸元に押し当てた。
「まず最初に聞こう。お前はどこの誰なんだ?」
「ぼっ、ボクは、惑星プラトゥムのクニクルス族の出身で、えっと、ミイムって言いますぅ」
冷たい銃口の感触に、ミイムと名乗った者は身震いした。
「う、撃たないで下さいっ! 見ての通りボクは丸腰ですしぃ、お兄さんと戦って勝てる気はしないしぃ、そもそも戦うつもりなんてありませんしぃ……。だから、お願いしますぅ、攻撃しないでぇ……」
潤んだ瞳にも相まって、震えを帯びて掠れた声は庇護欲を誘ってくる。
「みぃ……」
「なるほど、売られるわけだな」
その脆弱ながらも愛らしい姿に、マサヨシは納得した。すると、ミイムはちょっとむっとした。
「売られたくて売られる人間なんていませんよぉ! ていうかぁ、さりげなくひどいこと言ってますぅ!」
「ああ、すまん」
「人の気配がするから、助けてくれたお礼でも言おうと思って来てみたら、銃を向けられるしぃ……」
「夜中に忍び込まれたら警戒しない方が珍しいと思うが」
「だからってぇ、いきなり熱線銃はないですぅ……」
「手元にあったんだ」
「それだけですかぁ?」
「いや、それ以外の理由はないと思うぞ」
「みぃ……」
恐怖が緩んでいない上に困惑したため、ミイムは泣きそうになった。
「お兄さんって、いい人なんですかぁ? それとも悪い人なんですかぁ? ボクには、よく解らないですぅ」
「俺も判断を決めかねるところだ」
マサヨシは一応熱線銃を下げたが、グリップを握る手は緩めなかった。
「あ、あのぅ」
「なんだ」
「起きたばかりだからだと思うんですけどぉ、ボク、お腹が空いて空いて死にそうなんですぅ」
「それで?」
「保存食でも合成食品でもなんでもいいですからぁ、食べさせて下さい。本当になんでもいいんですぅ」
大きな金色の瞳に涙を浮かべ、ミイムはマサヨシを見上げてきた。マサヨシは、ミイムを見下ろす。
「さて、どうするかな」
「ボクのことを疑うんだったら、調べてもいいですよぉ。ボク、本当に丸腰なんですからぁ」
拗ねたように唇を尖らせ、ミイムは白いドレスの裾を持ち上げた。
「それはもちろん調べるさ、お前の入っていたコンテナもな」
マサヨシは余裕を示すように、笑みを浮かべた。
「取引と行こうじゃないか」
「とりひき?」
きょとんと目を丸くしたミイムに、マサヨシは畳みかけた。
「そうだ。希望通り、お前に何か喰わせてやる。但しそれは、俺と約束をしてからだ」
「やくそくって、何の約束ですかぁ?」
「このコロニーには子供がいる。血は繋がっていないが、俺達の愛娘だ。だが、生憎母親役がいないんだ」
「じゃあ、ボクにその子にママになれってことですかぁ?」
「もちろん、無理には言わない。お前にもお前の事情があるだろうし、ダメならそれでいい。ハルが眠っているうちに宇宙軍にでも引き渡して、母星に強制送還させてやる。だが、俺の言うことを受け入れてくれるなら、ここの食料を喰わせてやるし、俺がお前の身元引受人になってやる。だが、その代わり、ハルのママになってやってくれ」
「少しどころか、かなり無茶苦茶な要求ですね。ふみゅうん」
「自分で言っていてもそう思うし、初対面の相手にこんなことを頼むのは恐ろしく非常識だと思うが、どうにもな」
マサヨシは、自室の扉へ視線を投げた。
「だが、どうにかしてハルを幸せにしてやりたいんだ。あの子は、元々そんなに幸せじゃないからな」
「ボクがママになればぁ、ハルちゃんは幸せになるんですかぁ?」
「間違いなく。昨日だって、お前の眠っているポッドの前で、ママが来てくれたって喜んでいたぐらいだからな」
「でも、ボクはハルちゃんのママじゃありません。だって、ボクはぁ」
「解っている。だが、偽物でもなんでもいいんだ。あの子には、母親が必要なんだ」
「ふみゅ……」
ミイムは顔を伏せ、悩ましげに視線を彷徨わせた。
「お前には帰るべき場所があるのなら、引き留めはしない。無理を言ってすまなかった」
ミイムの困惑した表情にマサヨシが謝ると、ミイムは伏し目がちに呟いた。
「ボクの居場所なんて、もう、宇宙のどこにもないです。帰りたくもないし、帰ってはいけないんです」
「そうなのか?」
「だから、犯罪組織に攫われて売られちゃってからはぁ、全て諦めたんですぅ。でも、ボクはこうして生きているしぃ、お兄さんに拾われたのは、何かの運命かもしれません。だとしたら、ボクはそれを甘んじて受け止めなければいけないと思うんですぅ」
ドレスの裾を広げたミイムは、深々と頭を下げた。
「ですので、こちらこそよろしくお願いしますぅ」
「本当にいいのか?」
やけにすんなりと要求を受け入れたミイムにマサヨシが多少戸惑うと、ミイムは情けなく眉を下げた。
「だって、本当にお腹が空いて死にそうなんですよぉ。いくら無茶苦茶でもぉ、従うしかないじゃないですかぁ」
「少なくとも、お前は育ちだけは良さそうだな。俺だったら、適当に盗み出して喰うところなんだが」
「なんでもいいからぁ、食べさせて下さいよぉー……」
消え入りそうな声で懇願したミイムは、ぺたっと床に座り込んでしまった。
「取引成立、だな」
マサヨシが手を差し伸べると、ミイムは頷いた。
「みぃ」
「そういえばまだ名乗ってなかったな。マサヨシ・ムラタだ」
「改めて、よろしくお願いします。ボクがママになるんだったら、パパさんって呼んでいいですよね」
「……そういうことになるか」
マサヨシは気恥ずかしさを覚えながらも、ミイムの腕を引いて立ち上がらせた。冷たいが、柔らかい手だった。本当に腹が減っているのか、ミイムの足元はふらついていた。
みぃ、と鳴きながら、マサヨシの胸に倒れ込んだ。ふわりと舞い上がった長い髪の間から、久しく感じていなかった甘ったるい異性の匂いを感じ、息苦しくなった。だが、ここで妙な気を起こせば全てが台無しになる。マサヨシはミイムを押し返してから、手を引いて歩き出した。
とりあえず、何か喰わせなければ始まらない。
翌朝。ハルは、父親のいないベッドで目覚めた。
それがまず寂しくてぐずりそうになったが、なんとか我慢して自分の部屋に戻り、服を出して一人で着替えた。お気に入りのジャンパースカートとシャツを取り出して着込み、靴下も履き、スリッパからスニーカーに履き替えた。
ぼさぼさの長い金髪を適当に梳かしてから、ハルは朝食を摂るべく、リビングに向かって歩き出した。あのポッドの中に入っている人がママになってくれたらどれだけいいか、とは思うのだが、あの人は他人なのだ。きっと、今日中にでもウチュウグンに引き渡してしまうのだろう。コンテナの中身も、一緒に持っていくのだろう。
そう思うと、朝から気が滅入る。ママがいなくなるのも寂しいが、煌びやかなドレスや宝石がなくなるのも寂しい。だけど、人の物を取ってはいけないとサチコからきつく言い聞かされているので、取ってしまうわけにはいかない。でも、一つぐらいは欲しい。だけど、悪いことは悪いことなのだ。ハルは悶々と悩みながら、リビングに入った。
「おはよう、パパ、お姉ちゃん、おじちゃん」
ハルが挨拶すると、可愛らしい声色の挨拶が返ってきた。
「おはようございますぅ、ハルちゃあん」
そこには、ポッドの中で眠っているはずの者が立っていた。マサヨシのものと思しき、男物のシャツを着ている。派手なドレスを改造して作られたスカートからはふさふさした真っ白い尾が伸びており、それがしなやかに動いた。
ふわふわしたピンク色の髪は人工日光を浴びて光り、澄んだ輝きを持つ金色の瞳は真っ直ぐハルを見下ろした。身を屈めてハルと目線を合わせると、笑いかけてきた。花に似ているが、遙かに優しく甘い匂いが鼻先を掠めた。
「……ママ?」
ハルがぽかんとしていると、その者は頷いた。
「みゅんみゅーん、そうですよぉ。今日からボクが、ハルちゃんのママになりますぅ。昨日の夜にぃ、ボクはパパさんとそういう約束をしたんですぅ。ふみゅうん」
〈もう知らないっ! マサヨシなんて勝手にすればいいんだからぁ!〉
不機嫌を通り越して怒り出したサチコは、リビングテーブルに置かれた充電スタンドの上でぷりぷりしていた。
「まあ……いいんじゃねぇの? ハルがいいってんなら、うん……」
窓の外からリビングの様子を窺っていたイグニスは、妙に歯切れの悪い言い方をした。
「お姉ちゃん、本当にハルのママになってくれるの?」
ハルが期待に目を輝かせると、もう一度頷いてくれた。
「みゅう。ボクの名前はミイムっていいますぅ。これからよろしくお願いしますぅ、ハルちゃん」
「うわぁい、ママだ、ママだぁ!」
ハルは飛び跳ねて喜び、ダイニングテーブルに座っていたマサヨシの元に駆け寄った。
「パパ大好き!」
「これからママと仲良くするんだぞ、ハル」
マサヨシはハルを撫でると、ハルは大きく頷いた。
「うん!」
「それじゃ、朝ご飯にしましょうか! ボク、お料理はとっても得意なんですよぉ!」
ミイムはエプロンの裾を翻しながら、キッチンに戻った。ハルはマサヨシの手を借りて、子供用の椅子に座った。ミイムは慣れた手付きでスープの入った鍋を掻き回し、程良く焼けたソーセージや卵を皿の上に並べていった。匂いからして、期待出来るものだった。マサヨシの料理はどれもこれもひどかったので、尚更素晴らしく思えた。
いつになく苛立っているサチコとなぜか困惑気味のイグニスのことも気になるが、今はそれどころではなかった。マサヨシはどことなく照れくさそうな顔をして、手際良く三人分の朝食を作り上げていくミイムの姿を眺めていた。
神様はいるんだ、とハルは確信した。きらきらしたドレスや宝石も欲しいが、ママはもっともっと欲しかったからだ。ママがいてくれたらどんなに素敵か、ママが来てくれたらどんなに嬉しいか、ということを神様にお願いをしていた。
マサヨシやイグニスの話では、宇宙はとても広いのだという。だから、そのどこかに神様がいてもおかしくはない。きっと、その神様がハルのことを見ていてくれて、いい子にしていたご褒美にママと巡り会わせてくれたのだろう。だから、これからもいい子にしよう。ハルは情けないほど緩んだ笑顔を浮かべ、ミイムの後ろ姿を見つめていた。
やっと出会えたママは、最高のママだった。