執行
秋が深まってきた
こんな日はやっぱり…
「う〜ん…いい香りだね」
「うん…いい感じ」
珈琲の美味しい季節だよね
もうちょっと冷えてきたらココアかな
なんて、最近気づけたばっかの私が言ってもねぇ
説得力ないよね
今日も、真剣に練習中です
通い慣れてきた喫茶店
今日はいつも以上にお客さんがいないのです
マスター曰く、豆の仕込みがはかどるから都合がいいらしいけど
カラン
出入り口の扉が開く
いつもより店内に響いて、でも、その音は心地よくて
ホント…いつも思うけど映画の世界みたいだよね
「いらっしゃいませぇ…お一人ですか?」
「あぁ…奥、借りるよ」
入ってきたのは、少しよれた背広を着た男の人
60歳…近いかな
仕事を頑張ってきましたって感じで、無精髭と少しの白髪がカッコよくも見える
あ、そうそう
私はバイト採用されてないんだけど、練習をさせてもらってる身なので、こうやって接客をやったりもしてる
お金はもらってないけど…樹くんと横に並んでいられるからいいかなって
「…マスター、いいですか?」
「おう…少し、店も閉めとくから」
「ありがとうございます」
私が水とおしぼりを準備してると、マスターと樹くんのこんな会話が聞こえる
お店…閉めちゃうの?
「茜くん…今日はもうあがんなさい」
「へ?でもお客さんが…」
「………」
マスターが目で訴えてくる
樹くんとさっきのお客さんを一瞥して
多分…重要なお客さん…って言いたいんだと思う
「は、はい、わかりました…お疲れ様です」
エプロンを脱いでお店の奥へ
バッグを持って戻ってきた時には、樹くんがさっきのお客さんにお水とおしぼりを持って行っていた
樹くんの…知り合いの人なのかな
お父さん…ではないもんね
もう遠くの記憶だけど…家族写真に映ってた人とは違う気がするし
「うぅ…寒くなってきたなぁ」
外に出ると、すでに陽が沈んでしまったのか、街灯が点き、冷たい風が肌を刺す
振り返れば、ちょうどマスターがお店の札をクローズに変えてるとこだった
気になるけど…
「樹くんのことだしなぁ…元々謎が多いし…」
寒さに耐えながら、お家を目指すことにしたのです
「ご無沙汰してます」
毎回同じ席に座るこの男性
その男性に対し、いつも以上に襟を正して接する樹
少し、緊張もしているようだ
「しばらくだが、元気そうだな…まぁ、座ったらどうかね」
「はい、失礼します」
促され、対面の椅子へ
そこに、タイミングを図ったようにマスターが珈琲を2つ運んでくる
「ごゆっくりどうぞ」
その言葉のとおり、珈琲をテーブルに置いたマスターはお店の奥へと消えて行った
「…ここの珈琲を楽しむのも、今日で最後になりそうだよ」
「…もう、退職でしたね」
「んぁ?…あぁ、そういやそうだったな…すんなり、終われることを願うばかりさ」
「…違う、理由なんですね?」
「まぁ…な」
「………」
少し、言おうかどうか迷う顔が浮かぶ
一口、珈琲を飲む
「…来週の水曜日、だそうだ」
「っ!?…その、情報は?…」
「まぁ疑われても無理はないな、退職間際の俺でさえも、これに関しての情報元は言えねぇんだ…しかし、確かなところからっていうのは言えるぞ」
「…でも、俺にとっては別に…いなくなったって、なにも変わりません」
「だと言うと思った、しかし、本当にそうなれば嫌でも報道されるぞ?なにせ、就任してから初のことだからな、そうなれば、当然ぶり返される、俺は、そっちの影響が心配なんだ」
「…お気遣い、ありがとうございます」
「感謝されるもんでもねぇよ…ただ、君の件は退職までにケリをつけたいと思ってたから、間に合ってよかったよ」
「…長い間、お疲れ様でした、そして、お世話になりました」
樹が頭を下げる
珈琲には、全く口をつけていない
「元気そうとは言ったが…昔ほどではないな」
「?…どういう、ことですか?」
「信じられんかもしれないが…あの一件よりも前に、私は君を見かけたことがあってね、通勤経路だったのさ」
「ん…そうだったんですか」
「その時は仲よさそうに歩いていて、うちの子どもと重なってね…子どもらしい目…とでも言うのかな…だが、あれ以来は…」
「…わかってます、俺でも…ただ、すぐ甦るんで、戻れないし、戻せないんです」
「そうか…」
「…でも、俺なら大丈夫ですよ…景色は良くなってきてますから…」
前を向く
その姿に、男性も少しだが安堵感を覚えた
自分から見ればまだまだ子ども
しかし、大人と同じくらい、いや、それ以上の落ち着きと風格
「あんまり無理せず、俺みたいにガス抜きしろよ」
「…大丈夫ですよ、ここの珈琲がありますから」
やっと、一口目の珈琲を口に入れる
苦味は喉を通り、香りは鼻から抜ける
外では、先ほどよりも多くの街灯が点き始めていた




