第七話 水門跡をたどって
古い水門の跡が見つかってから、しばらくの間。
レオンたちは、そこを掘り返すことをしなかった。
水門があったことは分かった。
しかし――。
そこから水が、どこへ流れていたのか。
それが分からなければ、門だけ直しても意味がない。
「まずは、周りを見る」
レオンはそう言った。
グスタフも反対しなかった。
水門跡の周辺には、かつて水が通っていたと思われる低い土地が続いている。
だが、途中には畑もある。
道もある。
家も建っている。
四十年、五十年という時間の中で、土地の使われ方はすっかり変わっていた。
「ここを水が流れていた、と考えるのか?」
グスタフが尋ねる。
「たぶん」
「たぶん、か」
「水門があるんだから、何かがここを通っていたはず。でも、今のまま同じように流せるとは限らない」
レオンは足元の土を見た。
水路そのものは、もう残っていない。
しかし、水が流れた跡は、土地の形に残っている。
わずかな窪み。
草の生え方。
雨のあとに水が集まる場所。
そういうものを一つずつ追っていく。
「ここから……」
レオンが指を伸ばす。
「向こうへ行ってる」
少し離れた場所では、雨が降ったあとでもないのに地面が湿っていた。
さらに先には、小さな窪地がある。
そして、その窪地の先には――。
「川だ」
グスタフが言った。
水門跡から、古い水の道が川へ向かっていた。
ただし、道そのものが残っているわけではない。
土地の形から、かつての流れを想像するしかなかった。
「じゃあ、あの水門は川とつながっていたのか?」
「そうだと思う」
レオンは頷いた。
だが、そこで考え込んだ。
「でも……」
「どうした?」
「これだけじゃ、何のための門だったのか分からない」
排水のためだったのか。
川から水を引くためだったのか。
あるいは、その両方だったのか。
決めつけるには材料が足りない。
そのときだった。
「昔は、あの辺にも水が来ていたぞ」
後ろから声がした。
村の老人だった。
「どこです?」
レオンが駆け寄る。
「今は畑になっているところだ。子どものころは、雨が降ると水が溜まった」
「いつも?」
「いや。川が高いときだけだ」
レオンの目が輝いた。
「川が高いとき?」
「ああ。川の水が増えると、こっちにも水が来た」
「川から?」
「たぶんな」
老人は首をかしげる。
「昔のことだから、詳しくは知らん」
レオンは水門跡を振り返った。
頭の中で、少しずつつながっていく。
川。
水門。
低い土地。
そして、村の湿地。
「……そういうことか」
「分かったのか?」
グスタフが聞く。
「まだ全部じゃない」
レオンは首を振った。
「でも、あの門は水を出すためだけじゃなかったかもしれない」
川の水が高くなれば、低い土地へ水が入り込む。
もし水門が開いていれば、さらに水が入り込むかもしれない。
逆に、水門を閉じれば流れを止められる。
「だったら、川が高くなる前に閉める必要がある」
レオンは呟いた。
だが、その瞬間。
別の可能性が頭に浮かんだ。
川の水位が低いときなら?
水門を開けば、逆に川から水を引けるのではないか。
ただの排水門ではない。
水を出すことも、入れることもできる。
そんな仕組みだったのかもしれない。
「父上」
「なんだ?」
「水門を直してみたい」
グスタフは水門跡を見た。
「使えるかどうか、分からないぞ」
「うん」
「水が入ってきすぎるかもしれん」
「うん」
「畑を駄目にするかもしれん」
「……それは困る」
「分かっているなら、慎重にやれ」
「はい」
グスタフは笑った。
翌日から、村人たちが水門跡の周囲を少しずつ整え始めた。
古い木材は腐っていた。
そのまま使うことはできない。
そこで、昔の形を参考にしながら、新しい板と杭を用意する。
ただし、完全に作り直すわけではない。
まずは小さく。
水を少しだけ通してみる。
レオンは何度もそう念を押した。
「一気に開けちゃ駄目だからね」
「分かってますよ」
「本当に?」
「レオン様よりは分かってます」
「……それなら安心だ」
そんなやり取りをしながら、作業は進んだ。
数日後。
簡素ながら、新しい板が取り付けられた。
水門は、まだ完成ではない。
けれど、昔の仕組みを確かめるには十分だった。
グスタフが板の前に立つ。
「少しだけ開けるぞ」
「うん」
板が動く。
わずかな隙間ができた。
水が流れ始めた。
レオンは黙って見つめる。
水はゆっくりと低い土地へ向かっていく。
その先には、以前から水が溜まりやすかった場所がある。
しかし――。
「待って」
レオンが手を上げた。
水の流れが、思ったより速い。
「閉めて!」
グスタフがすぐに板を戻す。
水の流れが止まった。
レオンは胸を撫で下ろした。
「……思ったより水が来る」
「だから言っただろう」
グスタフが苦笑する。
「うん」
レオンも苦笑した。
だが、失敗ではなかった。
むしろ、重要なことが分かった。
この水門は、今でも水を動かせる。
ならば。
昔の人々が、ここで何をしていたのか。
もっと調べられる。
その日の夕方。
グスタフが言った。
「隣村にも話をしなければならんな」
レオンは頷いた。
水門跡から続く水の道は、隣村の土地にも関係している。
こちらだけで勝手に水を動かせば、向こうに迷惑をかけるかもしれない。
「水は、村の名前なんて知らないからね」
レオンが言う。
「だから、人間が話をしないとな」
グスタフが答えた。
レオンは父の言葉に頷いた。
水門は、ようやく動いた。
けれど、本当の意味で水を治める仕事は――。
ここから始まるのだった。




