第六話 古い水路の跡
それから、さらに四年が過ぎた。
レオンは八歳になっていた。
四歳のころに村で掘った小さな溝は、その後少しずつ伸ばされていた。
雨が降れば水が流れ、晴れれば乾く。
ただ、それだけのことだった。
けれど、その「ただそれだけ」が、村にとっては大きかった。
以前なら水が溜まって何日もぬかるんでいた場所が、雨の翌日には歩けるようになった。畑として使える場所も、ほんの少しずつ増えていった。
もちろん、失敗もあった。
「レオン様! こっちの溝、水が詰まってます!」
「またか……」
村人に呼ばれて駆けつける。
溝の中には枯れ草や泥が詰まっていた。
「水は、溝を掘ったら終わりじゃないんだよ」
「そうなんですか?」
「掃除しないと、怒る」
「また水の話ですか」
村人が笑う。
レオンも笑った。
前世では、こういう維持管理の大切さを何度も現場で思い知らされた。
作った瞬間は立派でも、誰も面倒を見なければ、やがて使えなくなる。
それは異世界でも変わらないらしい。
そんな小さな経験を積み重ねながら、レオンはずっと気になっていた場所があった。
あの古い水路だ。
四年前に見つけた、地面のわずかな窪み。
かつて、そこには確かに水が流れていた。
そして、その先には大きな川がある。
「父上」
「なんだ?」
「昔の水路を、もう一度探してみたい」
グスタフは少し考えた。
「以前の話か。川まで続いていたという、あれだな」
「うん」
「何か思いついたのか?」
「まだ分からない。でも、昔の人が使っていたなら、何か理由があると思う」
グスタフは頷いた。
「よし。村の者にも聞いてみよう」
その日から、古い水路を知っている者を集めた。
八歳になったレオンは、以前よりも村人たちの話を聞くのが上手くなっていた。
何より、急いで結論を出さなくなった。
「ここから水が来ていた」
「いや、もっと向こうだ」
「昔は木の橋があった」
「橋じゃない。門だった」
「門?」
レオンが顔を上げた。
その言葉を聞いたのは初めてではない。
かつてマルタから聞いた、古い木の門。
水を通したり、止めたりしたという。
「その門は、どこにあったの?」
「さあなあ」
老人は頭をかいた。
「子どものころに見ただけだからな」
「でも、何か目印は?」
「大きな柳があった」
それを聞いて、レオンは父を見る。
「探してみよう」
翌日。
村人たちと一緒に、古い水路の跡をたどった。
草をかき分け、畑の端を歩き、低くなった土地を進む。
途中で、地面の形が不自然に変わっている場所があった。
「ここだ」
レオンがしゃがみ込む。
土を少しだけ掘る。
湿っている。
さらに進む。
すると、地面の中から古い木片が出てきた。
「これは……」
グスタフが手に取る。
腐りかけているが、人工的に加工された木だった。
近くには、太い杭のようなものも残っている。
「門の跡かもしれない」
村人たちがざわめいた。
レオンは周囲を見回した。
ここから先は、以前見つけた窪地とは少し違う。
古い水路は、途中で二つに分かれていた。
「二つ……?」
レオンは眉を寄せた。
一方は村の低い土地へ。
もう一方は、川の方向へ向かっている。
「これ、ただの水路じゃない」
思わず口に出た。
「どういうことだ?」
グスタフが聞く。
「水を出すだけじゃなくて……」
レオンは言葉を選んだ。
「水を、入れることもできたんじゃないかな」
グスタフが黙った。
村人たちも顔を見合わせる。
レオンは土の上に枝で簡単な絵を描いた。
「川の水が低いときは、こっちから水を入れる」
川を指す。
「雨が多くて村に水が溜まったときは、反対にこっちへ出す」
村の方向を指す。
「その間にある門を閉めたり開けたりする」
つまり。
昔の人々は、水を追い払っていたのではない。
必要なときには受け入れ、危険なときには遠ざけていた。
水を敵として扱うのではなく、流れを使い分けていたのだ。
「……なるほどな」
グスタフが呟いた。
「昔の人間も、考えていたということか」
「たぶん」
レオンは頷いた。
前世の現場でも同じだった。
古い水路には、必ず理由がある。
今の人間から見れば不便で、粗末で、遠回りに見える。
それでも、そこに暮らしていた人々が何十年、何百年と使ってきたなら、そこには土地と水を知る知恵が詰まっている。
「父上」
「なんだ?」
「この水路、勝手に掘り直しちゃ駄目だと思う」
「なぜだ?」
「昔と今では、土地も村も違うから」
グスタフは少し驚いた顔をした。
四年前のレオンなら、「ここを掘れば水が抜ける」と言っていたかもしれない。
今のレオンは違う。
「昔の水を、昔のまま戻すんじゃない」
レオンは古い水路を見つめた。
「今の土地に合わせて、どう使えるか考えたい」
その言葉に、グスタフは静かに頷いた。
「分かった。調べよう」
その日の帰り道。
村人の一人が、ふと口にした。
「でも、ここから先は隣の村の土地じゃないか?」
レオンの足が止まった。
「……隣の村?」
「ああ。昔から境目になってる」
レオンは振り返った。
古い水路の跡。
そして、その先にある隣村。
もしこの水路を使えば、自分たちの村だけでは済まない。
水を出す場所が変われば、その水はどこかへ流れる。
そして、その先には別の人々の暮らしがある。
レオンは初めて、その事実をはっきり意識した。
水は、村と村の境界を気にしてくれない。
「……これは、思ったより大きな話になりそうだ」
八歳の少年は、少しだけ困った顔で空を見上げた。
水の道は、村の中だけでは終わっていなかった。




