第三話 土の下に眠る水路
第三話 土の下に眠る水路
それから数日。
レオンは毎日のように、村の外れへ出かけていた。
もちろん、一人ではない。
父グスタフがついている。
というより――
「レオン、そっちは駄目だ」
「なんで?」
「深い泥がある」
「……分かった」
少し進む。
「レオン!」
「はい」
「そっちは水溜まりだ!」
「分かった」
また少し進む。
「そこも駄目だ!」
「父上、僕はどこを歩けばいいの?」
「知らん」
結局、グスタフが先に歩き、その後ろをレオンがついていくことになった。
「三歳児を水路跡の調査に連れていく親があるか」
グスタフはぶつぶつ言っている。
「父上が連れてきたんじゃない」
「お前が行きたいと言ったんだ」
「じゃあ半分ずつ」
「何が半分だ」
その後ろでは、村人たちが笑っていた。
◇
ハインツ老人が、昔の水路について知っている者を何人か連れてきていた。
「この辺りだったはずだ」
老人が杖で地面を指す。
「昔はここに水が流れてた」
「でも今は何もないぞ」
別の男が言う。
「だから埋まったんだ」
レオンは地面を眺めた。
確かに水路らしいものはない。
草が生えている。
ところどころ畑になっている。
普通に見れば、ただの土地だ。
しかし。
「ここ」
レオンが指を差した。
「何だ?」
「少し低い」
「これが?」
「うん」
グスタフも地面を見る。
「……言われてみれば、確かに」
ほんのわずかだった。
遠くから見れば分からない。
しかし、水路があったと思われる場所だけ、周囲より少し沈んでいる。
レオンはさらに歩いた。
すると、同じような低まりが続いていた。
「こっち」
また歩く。
「こっちにもある」
さらに先。
「ここも」
ハインツが目を細めた。
「……本当に続いてやがる」
村人たちもざわめく。
レオンはしゃがみ込んだ。
低くなった場所の土を少し拾う。
湿っている。
周囲の土より明らかに水分が多い。
「まだ水がいる」
「水が?」
「下に」
グスタフがハインツを見る。
「この辺りは昔から、こうだったか?」
「いや」
老人は首を振った。
「昔の水路があった頃は、ここまでじめじめしてなかった」
「では、埋まったことで水が溜まるようになったのか」
「たぶん」
レオンは考えた。
水路がなくなった。
水の出口が消えた。
その結果、土地に水が残る。
単純な話だ。
だが――
「掘ればいい」
村人の一人が言った。
「昔の水路なら、掘り直せば水が流れるだろ」
「待って」
レオンが言った。
全員がこちらを見る。
「まだ掘っちゃ駄目」
「なぜだ?」
グスタフが尋ねる。
「どこにつながってるか分からないから」
レオンは水路跡の先を指した。
「ここだけ掘っても、水がどこへ行くのか分からない」
「……確かに」
「それに」
レオンは続ける。
「途中で低いところがあったら、そっちに水が溜まる」
村人たちが顔を見合わせた。
「もっと悪くなるかもしれない」
グスタフが頷く。
「その通りだ」
そして村人たちに向き直った。
「まず、この水路がどこまで続いているのか調べよう」
「でも、どうやって?」
「歩いて探す」
レオンが答えた。
グスタフが笑った。
「結局それか」
「だって、地面は嘘つかないから」
「人間も、そう簡単に嘘はつかんぞ」
ハインツが口を挟んだ。
「昔のことを覚えてる人間ならな」
老人は少し遠くを見るような目をした。
「もっと年寄りに聞けば、何か知ってるかもしれん」
◇
その日の午後。
村で一番年長の女性が屋敷へ呼ばれた。
名前はマルタ。
八十を越えているという。
「水路のことかい?」
「はい」
レオンが答えた。
「昔、あの辺に水が流れていたと聞きました」
「昔ねえ……」
マルタは目を細めた。
「私が小さい頃には、まだ水が流れていたよ」
「どこまで?」
「ずっと西」
「その先は?」
「大きな川まで」
レオンの表情が変わった。
「大きな川?」
「そうさ」
グスタフが身を乗り出した。
「川まで続いていたのか?」
「昔はね」
マルタは頷いた。
「水路の途中には、木でできた戸があった」
「戸?」
「水を止めるための戸だよ」
レオンは黙った。
頭の中で、一本の線がつながった。
水路。
低い土地。
そして、その先にある大きな川。
もし本当にそこまでつながっているなら――
この土地に水が溜まる理由が、かなり見えてくる。
「その戸は、今どうなってる?」
マルタは首を横に振った。
「知らないよ」
「壊れた?」
「たぶんね」
「いつ?」
「大水のあとだよ」
また、その言葉だった。
大水。
この土地では、何十年も前の大洪水が何度も語られている。
レオンはふと思った。
もしかすると。
水路がなくなった原因は、単に土砂で埋まっただけではない。
洪水によって水の道そのものが変わったのではないか。
もしそうなら、昔の水路をそのまま掘り返すだけでは危険だ。
昔と今では、土地も水の流れも違っている。
「父上」
「なんだ?」
「明日、大きな川を見に行きたい」
グスタフが目を丸くした。
「川?」
「うん」
「遠いぞ」
「どのくらい?」
「歩いて半日だ」
レオンは少し考えた。
「……じゃあ、馬車」
「お前、三歳だぞ」
「だから?」
「いや、だから何でそんなに当然の顔をしている」
村人たちから笑い声が上がった。
レオンは少し不満そうに頬を膨らませた。
「水のことを調べるんでしょ」
「分かった分かった」
グスタフは笑いながら頷いた。
「明日、川を見に行こう」
レオンは頷いた。
ただの水溜まりだと思っていた場所。
そこには、昔の水路が眠っている。
そして、その水路は大きな川へつながっていた。
ならば。
次に見るべきものは、当然ひとつだった。
――その川だ。




