第56話 スライム VS ヒロイン
目の前にそびえる巨大スライムを見上げながら、三人は言葉を失っていた。
先ほどまでカナタの腕の中でぷるぷるしていた小さな塊とはまるで別物で、半透明の巨大な体が草原の上でゆっくりと揺れている。
カナタはそんな三人の反応を見ながら、楽しそうに軽く笑った。
「スライム、攻撃」
次の瞬間だった。
巨大スライムの体がぐにゃりと波打つように動くと、表面の一部が大きく盛り上がり、そのまま細長く伸びていく。粘液のように形を変えながら、何本もの触手のような塊が一斉に三人へ向かって伸びた。
あまりにも突然の動きだった。
三人が反応するよりも早く、触手がそれぞれの体に巻き付く。
「きゃっ!」
エステルが悲鳴を上げる。
触手は腕、腰、脚へと絡みつき、ぐるぐると体を拘束していく。半透明の触手が三人の体を包み込むように絡まり、気づいたときには顔だけを残して完全に身動きが取れなくなっていた。
「ちょ、ちょっと!やめさせなさいよ!」
エステルが必死に体を動かすが、触手はびくともしない。むしろぷるぷると揺れながら、さらにしっかりと体を締め付けてくる。
リヴィアも無言で体を捩り、拘束から抜けようとするが動けない。セラフィナも驚いた表情のまま、触手に包まれた腕を必死に動かそうとしていた。
三人がもがいている様子を、カナタは腕を組んだまま眺めていた。
「スライムをバカにしただろ」
淡々とした声だった。
エステルの表情が一気に焦りへ変わる。
「ご、ごめん!謝るから!」
慌てた声で叫ぶ。触手は相変わらず三人の体をしっかりと捕まえたまま、ぷるぷると揺れていた。
セラフィナも慌てて言葉を続ける。
「すみません!」
リヴィアは何も言わず、巨大スライムを鋭く睨みつけている。しかし触手に拘束された体はまったく動かず、抵抗することもできない。
三人は必死に触手の中でもがきながら、カナタへ視線を向けた。
やがてカナタは小さく息を吐き、軽く手を振った。
「もういいぞ」
その言葉を聞いた瞬間、巨大スライムの触手がゆっくりと動き始めた。体に巻き付いていた触手が一つずつほどけていき、粘液のような塊がするりと離れていく。
束縛が解けた三人の体はそのままバランスを崩し、草の上へどさりと落ちた。
「ちょっと……もう……!」
エステルは顔を真っ赤にしながら立ち上がる。怒りと恥ずかしさが混ざった表情で、服についた草を払いながらスライムを睨みつけていた。
リヴィアは何も言わずにゆっくり立ち上がると、乱れた服の裾を静かに整える。その動きはいつも通り落ち着いていたが、わずかに眉が寄っている。
セラフィナはその場で一度大きく息を吐いた。
「……びっくりしました」
そう言いながら胸に手を当て、落ち着かせるようにゆっくり呼吸する。銀色の髪が肩の上で揺れ、ようやく平静を取り戻した様子だった。
三人の様子を確認してから、カナタはスライムの体を軽くぽんと叩く。巨大な半透明の体はその衝撃でゆるく揺れ、ぷるんと波紋のような動きが広がった。
「もうスライムのことバカにしない?」
軽い調子で言う。
エステルは腕を組み、しばらく不満そうにカナタを睨んでいたが、やがて視線を逸らして小さく言った。
「……しないわ」
セラフィナはスライムの方へ視線を向け、柔らかく微笑む。
「スライムさん、ごめんなさいね」
その言葉が聞こえたのか、巨大スライムの体が小さく弾むように揺れ、まるで喜んでいるかのように何度も跳ねる。
その様子を見て、場の空気が少しだけ和らいだ。
カナタは満足そうに笑いながら立ち上がる。
「じゃあ戻るか」
その言葉と同時に、周囲の空気がわずかに揺らいだ。
次の瞬間、四人の体は淡い光に包まれ、きらきらとした粒子へ変わりながらゆっくりとその場から消えていった。
* * *
夜。馬車の中には静かな灯りがともり、食事前の落ち着いた空気が流れていた。外では街道の夜風が静かに吹いているが、馬車の中は暖かく、テーブルの周りに四人が集まっている。
エステルはソファに深く座りながら背伸びをすると、カナタの方へ顔を向けた。
「カナター、今日のご飯は?」
いつものように当然の顔で聞く。
カナタは椅子にもたれながら軽く肩をすくめた。
「今日は昨日作って置いておいたカレーを食べよう」
三人の表情が同時に変わる。
「カレー?」
エステルが首を傾げる。聞き慣れない言葉だったらしい。リヴィアも静かに眉を寄せ、セラフィナは少し興味深そうにカナタを見ていた。
カナタは立ち上がりながら説明する。
「簡単に言うとスパイス料理だな。いろんな香辛料を使って煮込んだ料理で、米と一緒に食べると美味い」
「スパイス料理……」
セラフィナが小さく繰り返す。
カナタはそのまま馬車のキッチンにある冷蔵庫の扉を開け、中から大きな鍋を取り出した。鍋は昨日作った料理がそのまま保存されていたもので、しっかりと蓋が閉じられている。
「これだ」
カナタはテーブルの上に鍋を置き、軽く蓋を持ち上げた。
ふわりと湯気が上がる。
その中に入っていたのは、どろりとした茶色い料理だった。
鍋の中には濃い茶色の液体が広がっており、とろみのある汁の中に具材が沈んでいる。香りは独特で、スパイスの刺激的な匂いがふわりと漂った。
三人は鍋の中を覗き込む。
そして、同時に微妙な顔をした。
「なにこれ……」
エステルが率直に言う。
リヴィアは腕を組んだまま鍋を見つめ、淡々と感想を口にした。
「見た目は良くないわね」
セラフィナも少し困ったような表情で鍋を見つめる。
「これ本当に食べ物ですか?」
三人の反応は見事に同じ方向だった。
三人の反応を見て、カナタは呆れたようにため息をついた。
「本当に食べ物だって」
しかし三人はまだ疑いの目を向けている。
鍋の中の茶色い料理を見つめながら、エステルは眉をひそめ、リヴィアは腕を組んだまま無言で観察し、セラフィナも少し困った表情のままだった。どう見ても信用していない顔である。
カナタは肩をすくめる。
「疑うなら俺が最初に食べるよ」
そう言うと、カナタは手際よく食事の準備を始めた。まず皿を取り出し、炊いておいた白いご飯をよそう。湯気を立てるご飯の上に鍋からカレーをすくい、どろりとした茶色いルーをたっぷりとかけた。
白い米の上に濃い茶色のソースが広がり、独特の香りがふわりと立ち上る。さらに横に簡単なサラダを添え、スープの器も並べていく。
あっという間に一皿の料理が完成した。
カナタは皿を軽く持ち上げて三人に見せる。
「カレーはこうやって米と一緒に食べると美味しいんだよ」
三人はじっとその皿を見ている。先ほどよりは少し料理らしく見えるものの、まだ完全には信用していない様子だった。
カナタは気にした様子もなくスプーンを手に取る。
ご飯とカレーを軽く混ぜ、一口すくった。
そしてそのまま口へ運ぶ。
もぐもぐと咀嚼し、数秒ほど味を確かめる。
やがてカナタは満足そうに頷いた。
「うん、普通に美味い」
自然な感想だった。
三人はその様子をじっと見ている。カナタが平然と食べている姿を確認しながら、まだ少し警戒した顔のまま様子をうかがっていた。
エステルがぽつりと言う。
「ほんとに食べたわね……」
三人はしばらくカナタの皿を見つめていたが、やがてエステルが意を決したようにスプーンを手に取った。
「……じゃあ、ちょっとだけよ」
慎重な動きでご飯とカレーをすくい、恐る恐る口へ運ぶ。
もぐ、と一口。
次の瞬間、エステルの表情が止まった。
驚いたように目を見開く。
「……美味しい」
小さく呟く。
その反応を見て、リヴィアも静かにスプーンを持った。警戒するように一口だけすくい、ゆっくり口へ入れる。数秒ほど無言で噛みしめたあと、わずかに目を細めた。
「え、なにこれ」
予想外だったらしい声だった。
セラフィナも続いて口に運ぶ。スプーンを口元へ持っていき、ゆっくり味を確かめるように食べると、ぱっと表情が明るくなった。
「すごく美味しいです」
三人の反応は完全に変わっていた。
先ほどまで疑っていた様子は消え、気づけば三人とも夢中でスプーンを動かしている。
「これ止まらないんだけど!」
エステルが言いながらどんどん食べる。
リヴィアも無言のまま食べ進めているが、明らかにスプーンの動きが早い。セラフィナも上品な動きではあるものの、次々と口へ運んでいた。
三人が完全にハマっている様子を見て、カナタはニヤリと笑った。
そして手を軽く振る。
次の瞬間、インベントリから揚げたばかりのカツが現れた。こんがりと黄金色に揚がった肉の塊で、衣がさくさくと音を立てそうなほど綺麗に仕上がっている。
カナタはそれを皿の上に乗せた。
「こいつとカレーを一緒に食うと最強になる」
三人が同時にそちらを見る。
カナタはカツを一口サイズに切り分け、カレーの上へ乗せた。
カツカレーの完成である。
三人は再びスプーンを動かす。
カツとカレーを一緒にすくい、口へ運ぶ。
そして――。
「なにこれ!」
エステルが思わず声を上げる。
リヴィアも一瞬動きを止め、すぐにもう一口食べた。セラフィナも驚いたように目を丸くしている。
カレーの濃厚な味と、カツの肉汁と衣の香ばしさが合わさり、さきほどよりさらに強烈な美味しさになっていた。
気づけば三人とも夢中で食べ続けている。
馬車の中には食器の音と、楽しそうな空気が広がっていた。




