第55話 セラフィナと添い寝
朝。カナタはゆっくりと目を開けた。まだ少し眠気が残る頭で天井を見上げ、体を起こす。
馬車の寝室には朝の静かな空気が流れており、窓から差し込む柔らかな光がベッドの上を淡く照らしていた。
カナタは軽く首を回してから、隣へ視線を向ける。
そこにはセラフィナが眠っていた。
昨夜マッサージを受けながらそのまま寝落ちしたあと、結局そのまま朝まで起きなかったらしい。セラフィナはベッドの上で横向きになり、穏やかな寝息を立てながらぐっすり眠っている。
銀色の長い髪が枕の上に広がり、整った顔立ちは普段よりもずっと柔らかく見えた。
カナタはそのまましばらく眺める。
普段のセラフィナは落ち着いていて大人びており、いつも丁寧で隙のない態度を崩さない。どちらかといえば三人の中でも一番しっかりしているタイプだ。
だが今は違う。
眠っているセラフィナの表情はどこか幼く、完全に無防備だった。長い睫毛が静かに影を落とし、呼吸に合わせて肩が小さく上下している。
カナタは少しだけ口元を緩めた。
「いつも頑張ってるけど、寝顔は子どもみたいだな」
小さく呟く。
もちろん本人に聞かれることはない。セラフィナはまったく起きる気配もなく、気持ちよさそうに眠り続けている。
カナタは肘をベッドにつきながら、もう一度その寝顔を見た。
普段はきっちり整えている髪も、今は少し乱れている。頬にかかった銀髪がゆっくりと揺れ、静かな寝息だけが寝室に響いていた。
カナタは何も言わず、ただしばらくその様子を眺め続ける。
しばらくして、セラフィナのまぶたがわずかに動いた。
横向きに眠っていた体をゆっくり仰向けにすると、ゆっくりと目が開き、ぼんやりした視線が天井を見上げる。
まだ完全に目が覚めていないらしく、数秒ほどそのまま動かずにいたが、やがて小さく瞬きをするとゆっくり顔を横へ向けた。
その視線の先にカナタがいた。
ベッドの上で寝転びながら、こちらを見ている。
セラフィナの表情が止まる。
数秒の沈黙。
状況を理解しようとしているのがはっきり分かる顔だった。
「……どうしてカナタがここにいるんですか?」
静かな声だったが、明らかに困惑している。
カナタは特に慌てる様子もなく肩をすくめた。
「なんでって、ここ俺のベッドだし」
あまりにも当たり前のように言う。
その言葉を聞いたセラフィナが少しだけ眉を寄せる。数秒の間を置いてから、ゆっくりと昨夜の記憶を辿り始めた。
確か、マッサージを受けていた。
じゃんけんに負けて、カナタにマッサージをされることになったのだ。
そこまでは覚えている。
しかしその先の記憶が曖昧だった。
肩を揉まれて、背中を押されて、それから……。
セラフィナの表情が少しずつ変わる。
思い出したらしい。
自分がそのまま眠ってしまったことに。
セラフィナはゆっくりと体を起こした。銀色の髪が肩から滑り落ちる。まだ少し寝ぼけた様子だったが、表情には微妙な緊張が浮かんでいた。
そしてカナタの方を見る。
「……何もしてませんよね?」
慎重な声だった。
疑いの色がはっきり混ざっている。
カナタは間髪入れずに答えた。
「もちろんしてないよ」
即答だった。
あまりにも即答すぎて、逆に怪しいくらいである。
セラフィナはそのまましばらくカナタの顔を見つめる。目を細め、まるで嘘を見抜こうとしているかのような視線だった。
カナタは特に気にした様子もなく、普通の顔でその視線を受けている。
数秒の沈黙が流れた。
* * *
昼。馬車の中には食事のあとのゆったりした空気が流れていた。テーブルの上には昼食の皿が片付けられたあとで、四人はそれぞれソファに体を預けながらどこか気の抜けた様子でくつろいでいる。
エステルはソファに深く座りながら大きく伸びをする。
「はぁ……なんかだるいわね」
隣ではリヴィアが腕を組んだまま目を閉じており、セラフィナは静かにカップを持ちながらお茶を飲んでいた。
そんな中、カナタがふと立ち上がる。
「ちょっと出かけてくる」
その言葉にエステルがすぐ反応した。怪訝そうに眉をひそめながらカナタを見る。
「いつもどこ行ってるのよ」
カナタは特に隠す様子もなく答える。
「モンスターファームってところ」
エステルが首を傾げた。
「モンスターファーム?」
聞き慣れない言葉だったらしい。セラフィナも興味を持ったようでカナタへ視線を向ける。リヴィアも静かに目を開き、こちらの話を聞いていた。
カナタは軽く肩をすくめる。
「テイムしたモンスターたちがいる場所」
さらっと言う。
セラフィナが少し興味深そうに言う。
「そんな場所があるんですね」
カナタはにやりと笑った。
「今日一緒に来る?」
その提案に三人が顔を見合わせる。エステルは少し迷ったように腕を組み、リヴィアは静かにカナタを見つめ、セラフィナは小さく首を傾げていた。
数秒の沈黙。
そしてエステルが言う。
「……まあ、暇だし」
完全に興味を持った顔だった。
カナタは軽く手を上げる。
「じゃあ行くか」
次の瞬間、カナタの体から淡い光が広がった。
四人の体がゆっくりと光に包まれていく。
やがてその姿は粒子のような光へ変わり、きらきらと空中へ散っていった。
次の瞬間、足元に広がっていたのは柔らかな草の感触だった。
見渡す限りの広い草原が広がり、穏やかな風がゆっくりと草を揺らしている。遠くまで人工物のようなものは見当たらず、自然の景色だけが広がっていた。
セラフィナが周囲を見回しながら小さく息をつく。
「ここが……モンスターファームですか」
その視線の先には小さな池があり、水面がきらきらと光を反射していた。よく見ると、水の中には何かが泳いでいる。
小さな魚のような姿だったが、体の表面がほのかに光り、普通の魚とは明らかに違っていた。池の中を、淡く光る影がゆっくりと泳いでいる。
エステルが目を細めて池を覗き込む。
「あれモンスター?」
カナタが軽く頷く。
「前に滝でテイムしたマジックフィッシュってやつ」
リヴィアは静かに周囲を見渡している。広い草原の奥へ視線を向けると、そこで何か大きな影が動いているのが見えた。
巨大なスライムだった。
半透明の体をゆったり揺らしながら、草原の上でのんびりと佇んでいる。高さは人の背丈よりもはるかに大きく、まるで小さな丘のようなサイズだった。
エステルが腕を組みながら呟く。
「……あんたこんなこともできるのね」
少し呆れたような声だった。
そのときだった。
草原の奥にいた巨大スライムが、こちらの存在に気づいた。
ぷるん、と体が揺れる。
そして次の瞬間、スライムの体がぎゅっと縮んだ。大きかった体が一気に小さくなり、丸い塊のようなサイズになる。
そのままぷるぷると跳ねながらカナタの方へ近づいてくる。
ぽよん。
ぽよん。
軽く跳ねるように移動し、カナタの足元までやってきた。
スライムは嬉しそうに体を揺らすと、そのままカナタの足に体を擦りつける。
カナタは思わず笑う。
「よしよし、いい子だな」
しゃがみ込みながらスライムの体に手を乗せると、ぷにっとした柔らかい感触が指に伝わった。スライムはさらに嬉しそうに体を揺らし、まるで甘えるようにカナタへ体を擦りつけてくる。
カナタはそのままスライムを撫でながら楽しそうに笑っていた。
カナタに体を擦りつけていたスライムを、セラフィナが少し不思議そうに見つめていた。ぷるぷると揺れる半透明の体を観察するように視線を向けてから、静かな声で尋ねる。
「どうしてスライムなんて飼っているんですか?」
素直な疑問だった。
カナタはまったく迷いもなく答える。
「可愛いから」
あまりにも即答だった。
セラフィナが小さく首を傾げる。
「可愛い……ですか?」
納得できない様子だった。目の前のスライムは確かに人懐こそうにカナタへ体を擦りつけているが、それでもスライムはスライムである。
その横でエステルが腕を組みながら呆れたように言った。
「ただの雑魚モンスターでしょ」
あっさりした言い方だった。
その言葉を聞いた瞬間、カナタの表情がわずかに変わる。先ほどまで楽しそうにスライムを撫でていた手が止まり、ゆっくりとスライムの方へ視線を落とした。
「雑魚モンスター?」
静かな声だった。
そして次の瞬間、カナタはふっと笑う。
「スライム、分からせてやれ」
軽い口調だった。
しかしその言葉を聞いた瞬間、カナタの腕の中にいたスライムがぴくりと震えた。
ぷるん、と体が揺れる。
次の瞬間、スライムの体がゆっくりと膨らみ始めた。小さかった体がみるみる大きくなっていき、半透明の体がぐにゃりと形を変えながら広がっていく。
ヒロイン三人が思わず後ろへ一歩下がる。
膨張は止まらない。
そして数秒後、スライムは草原にいたときの元の巨大な大きさへ戻っていた。
エステルの口から小さく声が漏れる。
「……え?」




