第54話 セラフィナ、カナタのマッサージを受ける
三人の手によるマッサージがしばらく続いたあと、リヴィアが肩を揉む手を止め、淡々と声をかけた。
「もう終わっていい?」
その言葉に、ベッドの上でうつ伏せになっていたカナタがすぐに反応する。
「えー、ずっとやってほしいな」
枕に顔を埋めたまま、いかにも未練たっぷりの声だった。
だが次の瞬間、エステルがきっぱりと言い放つ。
「終わり!」
その一言と同時に、三人が一斉に手を離した。肩や背中にあった指がすっと引き、三人はベッドから降りて立ち上がる。こうしてマッサージは強制終了となった。
カナタは小さくうめきながらも体を伸ばし、背中をぐっと反らせてから満足そうに息を吐いた。
「めっちゃ気持ちよかった、ありがとう」
心底リラックスした声だった。だが、その言葉を聞いたエステルは腕を組みながら冷静に言う。
「これで今日の分チャラね」
きっぱりとした宣言だった。
しかしその直後、ベッドの上で体を起こしたカナタが、ふと思いついたように口を開く。
「じゃあみんなもベッドに寝てよ」
三人の動きが同時に止まる。
「は?」
エステルが眉をひそめ、リヴィアも無言でカナタを見つめ、セラフィナは小さく首を傾げた。
カナタは悪びれた様子もなく続ける。
「マッサージしてあげるから」
だが返事は一瞬だった。
「要らないです」
セラフィナが即座に断ると、エステルも腕を組んだまま頷き、リヴィアも短く視線を逸らす。完全な拒否だった。
それでもカナタは諦めない。ベッドの上で身を乗り出し、三人を見回しながら言う。
「俺もマッサージしたいから」
意味不明な主張だった。
三人の視線が一斉に冷たくなるが、カナタはまったく気にしていない様子で、突然ベッドの上で正座すると両手を合わせた。
「一生のお願い!」
いかにも芝居がかった仕草だった。
それを見たエステルが、呆れたように額を押さえながらため息をつく。
「懐かしい手使ってきたわね」
カナタはお願いの姿勢のまま三人を順番に見上げ、まるで駄々をこねる子どものように粘り続けている。
その様子を見て、セラフィナが小さく息をつき、困ったように微笑みながら口を開いた。
「こうなったら子どもみたいに言うこと聞かないですね」
落ち着いた声だったが、言葉の内容は完全に呆れだった。
エステルも腕を組んだまま大きくため息をつく。リヴィアも視線だけでカナタを見下ろし、完全に面倒そうな顔をしていた。
しばらくの沈黙のあと、エステルが眉をひそめながら口を開く。
「仕方ないからじゃんけんする?」
その言葉に、カナタが首を傾げる。
「じゃんけん?」
エステルは面倒くさそうに説明する。
「三人でじゃんけんするの。負けた人がマッサージ受ければいいでしょ」
リヴィアが呆れたように息をつく。
「ほんとでっかい子どもだわ」
しかしカナタはその言葉などまったく気にしていない。むしろぱっと顔を明るくした。
「ありがとう」
カナタは満足そうに頷きながら、三人の様子を楽しそうに眺めていた。
三人の視線が一瞬だけ交わる。
誰が負けてもおかしくない状況だった。
そしてセラフィナが静かに手を構える。
「……仕方ありませんね」
リヴィアも腕を解き、無言で拳を作る。エステルも小さく舌打ちをしながら手を前に出した。
三人が向かい合う。
短い沈黙。
「じゃんけん――」
一瞬の間。
「ぽん」
三つの手が同時に出る。
そして結果はすぐに決まった。
セラフィナの手だけが、完全に負けの形になっていた。
その場の空気が止まる。
セラフィナは自分の手をじっと見つめたまま動かない。
エステルとリヴィアが同時にセラフィナの方を見る。当の本人はその視線を受けながら、しばらく無言で立ち尽くしていたが、やがて小さく息を吐くと観念したようにベッドへ歩いていった。
カナタはその様子を見て、どこか楽しそうに口元を緩める。
「ほんとにやってくれるの?」
セラフィナは答えず、ベッドの上に上がると静かにうつ伏せになった。銀色の長い髪が背中へ流れ、枕の横にさらりと広がる。
そして顔だけ少し横に向け、カナタをじっと見ながら真剣な声で言った。
「いいですか。絶対変なところ触らないでくださいね」
穏やかな口調だったが、はっきりとした警告だった。
カナタは肩をすくめながら軽く答える。
「分かってる分かってる」
しかしセラフィナは視線を逸らさない。そのままさらに言葉を続けた。
「触った瞬間蹴り飛ばしますから」
言い方は丁寧だが、内容は完全に本気だった。
カナタは一瞬だけ足元を見てから、小さく笑う。
「はいはい」
まったく気にしていない返事だった。
その様子を横で見ていたエステルが腕を組みながら言う。
「ほんとに蹴り飛ばしそうね」
リヴィアも小さく頷く。
「その方が静かになってちょうどいいかもしれないわ」
完全にカナタの味方はいない。
だがカナタは気にした様子もなく、ベッドの横へ腰を下ろすとセラフィナの肩へそっと手を置いた。
そしてゆっくりと指を動かし始める。
マッサージが始まった。
最初は肩の上を軽く押しながら、筋肉の固さを確かめるように揉んでいく。指先が肩から背中へと少しずつ移動していくと、セラフィナの体がわずかに揺れた。
カナタは楽しそうに声をかける。
「セラフィナ気持ちいい?」
セラフィナはすぐに答えた。
「全く気持ち良くないです。早く終わってください」
きっぱりした拒否だった。
だがカナタはまったく気にした様子もなく、むしろ少し楽しそうに笑う。
「気持ちよくできるように頑張るね」
そう言いながら、今度は肩甲骨のあたりをゆっくりと指で押していく。セラフィナはうつ伏せのまま腕を枕の横へ置き、目を閉じてじっとしていた。
表情は平静を保っているが、体にはどこか微妙な力が入っているようにも見える。
それからしばらくの時間が経った。カナタの指は肩から背中へ、背中から再び肩へとゆっくり動き続けており、最初は固かったセラフィナの体も少しずつ力が抜けてきているようだった。
そのときだった。
「……っ」
小さな声が漏れる。
うつ伏せになっていたセラフィナの口から、思わず出たような息がこぼれたのだ。
次の瞬間、セラフィナの肩がぴくりと動く。
自分の声に気づいたらしい。
慌てたように顔を枕へ押し付け、何事もなかったかのように静かにしている。
だがカナタは当然聞き逃さなかった。
「気持ちいいなら声出していいよ。リラックスして」
軽い調子で言いながら、指の動きを少しだけ変える。肩の奥を探るように押すと、セラフィナの背中がまたわずかに揺れた。
しかしセラフィナはすぐに言い返す。
「だから気持ちよくないです」
声は平静を装っていたが、さっきより少しだけ弱い。
それを聞いたカナタがくすっと笑う。
「素直じゃないなー」
その言葉にセラフィナは何も返さなかったが、肩の力はさっきより明らかに抜けている。
カナタの指がゆっくりと肩甲骨の周りを押していくと、しばらくしてまた小さな声が漏れた。
「……ん」
今度はさっきよりはっきりしていた。
セラフィナが慌てて息を止める。
だが完全には隠しきれない。
その様子を、ベッドの横で腕を組んで見ていたエステルがにやりと笑う。
「めっちゃ気持ちよさそうね」
セラフィナの背中がぴくっと跳ねる。
続いてリヴィアも静かに言う。
「完全に蕩けているわね」
冷静な声だった。
セラフィナは何も言い返さない。ただ枕に顔を埋めたまま、耳だけがわずかに赤くなっている。
カナタはそんな様子を見ながら、指を動かし続けた。
そしてふと思い出したように声をかける。
「セラフィナ、してほしいところない?」
セラフィナはしばらく黙っていた。
数秒の沈黙。
やがて、小さな声が聞こえる。
「……肩お願いします」
さっきまでの強い拒否とは違う、どこか控えめな声だった。
それからもしばらく、カナタのマッサージは続いた。セラフィナの肩を中心にゆっくりと指を動かし、固まっているところを丁寧に押していく。
うつ伏せになっているセラフィナの体は最初よりも完全に力が抜けており、呼吸もどこか穏やかだった。
カナタは手を動かしながら軽く声をかける。
「マッサージどう?」
だが返事はない。
カナタの手だけが静かに動き続ける。
数秒ほど経ってから、カナタがもう一度声をかけた。
「寝た?」
それでも反応はなかった。
カナタはマッサージしていた手を止め、うつ伏せになっているセラフィナの顔を少し覗き込む。枕に頬を預けたままのセラフィナは、目を閉じてまったく動いていなかった。
「セラフィナ寝ちゃったみたい」
その言葉にエステルが目を丸くする。
「は?ちょっとどうするのよ」
驚いた声だった。
だがカナタは慌てる様子もなく、落ち着いた声で言う。
「どうするって……起こしたら可哀想だし、このままここで寝かせとくか」
当然のように言った。
エステルはすぐに反発する。
「いいわけないでしょ!」
思わず声が強くなる。
カナタは肩をすくめる。
「じゃあ起こす?」
その問いに、エステルの言葉が止まる。
「それは……」
ちらりとセラフィナを見る。うつ伏せのまま、静かな寝息を立てている。
その様子を見ると、無理やり起こすのも気が引けるらしい。
カナタが少し笑いながら言う。
「リヴィアの時も手出さなかったし、信頼して」
その言葉に、エステルがゆっくりカナタを睨む。
「手出したらほんとぶん殴るからね」
低い声だった。
カナタは軽く手を振る。
「分かってる」
エステルはまだ疑わしそうな顔をしていたが、やがて小さく息をつく。リヴィアもベッドの方を一度だけ見てから、静かに背を向けた。
「おやすみ」
二人が短く言う。
そして部屋を出る直前、リヴィアが振り返りながら淡々と言った。
「明日セラフィナに聞くから」
カナタはベッドの横に座ったまま軽く手を振る。
「はいはい」
次の瞬間、扉が静かに閉まる。
寝室には、静かな夜の空気と、ベッドの上で眠るセラフィナの穏やかな寝息だけが残っていた。




