第48話 突然の大雨、急遽始まるマリ◯カート
朝。
カナタの寝室には、まだ柔らかな朝の光が差し込んでいた。カナタはゆっくりと目を開け、しばらくぼんやりと天井を見つめる。昨日はいろいろあったが、思ったよりぐっすり眠れたらしい。
ふと横を見る。
隣にはリヴィアがいた。
まだ眠っている。
長い黒髪が枕の上に広がり、いつものきっちりと整った姿とは違い、少しだけ無防備な雰囲気だった。普段は冷たい印象の整った顔立ちも、眠っている間だけはわずかに柔らかく見える。
カナタはしばらくその顔を眺めた。
「これ、ずっと眺めてられるな」
小さく呟く。
特にやることもないので、そのまま静かに寝顔を見続ける。呼吸に合わせて胸がゆっくり上下し、まつ毛がわずかに震える。昨日はあれだけ警戒していたのに、結局普通に眠ってしまったらしい。
数分ほど経った頃だった。
リヴィアのまぶたがゆっくりと動く。
やがて目が開いた。
そして――
カナタと目が合う。
数秒、沈黙。
リヴィアは一瞬だけ固まり、それから眉をわずかにひそめた。
「……あんたいつから見てたのよ」
寝起きとは思えないほど冷静な声だった。
カナタは特に悪びれる様子もなく答える。
「数分前くらい?」
リヴィアはじっとカナタを見つめ、それから小さく息を吐いた。
「そんなことして楽しいの?」
呆れたような声音だった。
カナタは枕に頭を乗せたまま肩をすくめる。
「普通に思ってた。ほんと美人だなって」
あまりにも自然な言い方だった。
リヴィアは一瞬だけ言葉を止め、それから深いため息をつく。
「はぁ……」
ゆっくりと上半身を起こし、乱れた髪を軽く整える。
「これで罰ゲームは終わりね」
はっきりとした口調だった。
カナタは少し笑う。
「楽しかった?」
リヴィアは迷いなく即答する。
「全然。寝不足よ」
冷たい言葉だったが、昨日のような殺気はない。
カナタは小さく笑いながら天井を見上げた。
朝食を終えたあと、四人は馬車のリビングでのんびりとした時間を過ごしていた。
テーブルの上にはまだ湯気の残る茶器が置かれ、窓の外にはゆったりと流れていく景色が広がっている。馬車は順調に街道を進み、揺れも穏やかだった。
窓の外を見ると、遠くの空の色が少しずつ変わってきている。海に近づいているのか、風の匂いもどこか湿ったような気配が混じっていた。
「だいぶ進んできたわね」
エステルが窓の外を眺めながら言うと、リヴィアも視線を外へ向けた。
「この調子なら、予定通りには着きそうね」
セラフィナは静かに頷きながらお茶を一口飲む。
「海の街、楽しみですね。私は海を見るのが久しぶりです」
穏やかな雑談が続く。馬車の中にはゆったりとした空気が流れていた。
その時だった。
窓に、小さな水滴が落ちる。
ぽつ。
もう一つ。
そして、ぽつぽつと数が増えていく。
カナタが窓の外を見る。
「雨か」
最初は小雨だった。だが次の瞬間、空が一気に暗くなり、雨粒の数が急激に増える。
ぱらぱらという音はすぐに変わった。
ばらばらばら、と屋根を叩く音。
あっという間に本降りになった。
エステルが窓に顔を近づける。
「ちょっと、これ結構強くない?」
外はすでに白く煙るほどの雨になっていた。街道もぼんやりとしか見えない。
セラフィナも窓の外を確認する。
「視界も悪くなっていますね」
雨脚はさらに強くなる。馬車の屋根を叩く音が、はっきりと響いていた。
リヴィアが冷静な声で言う。
「馬車止めた方がいいかも」
その言葉にカナタも頷く。
「だな」
そう思った次の瞬間だった。
馬車がゆっくりと減速し、そのまま静かに停止する。
窓の外を見ると、馬車を引いていたストームホースが足を止めていた。銀色の体毛が雨の中で淡く光り、その輪郭がゆっくりと崩れていく。
次の瞬間、体はさらさらと光の粒子になって崩れ、風に流れるように空へ溶けていった。
外では、激しい雨が降り続けている。
カナタは背もたれに体を預けながら言った。
「雨が止むまでここで待機だな」
セラフィナはその様子を見て、ふっと柔らかく笑う。
「これも旅の醍醐味ですね」
* * *
外では、相変わらず激しい雨が降り続いていた。屋根を叩く雨音が絶えず響き、窓の外は白く煙るような雨景色になっている。
馬車の中は安全で静かだが、さすがにやることがない時間が続くと退屈になってくる。
しばらくして、ソファにだらりと寝転んでいたエステルがついに声を上げた。
「暇ー!」
勢いよく体を起こし、そのままカナタの方を向く。
「ねえカナタ、なんか暇つぶせるゲーム出してよ」
いかにも当然という顔だった。
カナタは少しだけ考えるように顎に手を当てる。
「そうだなー……」
数秒だけ考え、それから軽く手を振った。
次の瞬間、何もない空間から物が現れる。
まず一つ。
黒い本体。
続いてゲームソフト。
そして少し大きめの平たい箱。
テーブルの上に並んだのは――Swi◯ch2、マリ◯カート、そしてモニターだった。
三人は一瞬、完全に固まる。
ぽかんとした表情で、その光景を見つめていた。
エステルがゆっくり口を開く。
「……なにそれ」
カナタは気にした様子もなく答える。
「まあ見た方が早いから、ちょっと待ってて」
そう言って準備を始めた。
まずモニターをテーブルの上に設置し、本体をその横に置く。ケーブルを接続し、慣れた手つきで電源を入れる。
ぱち、と小さな音がして画面が光った。
黒い画面が一瞬だけ明るくなり、色鮮やかな映像が映し出される。
三人の視線が一斉に画面へ向いた。
エステルが思わず身を乗り出す。
「なにこれ!?」
驚きで目を丸くしている。
セラフィナも興味深そうに画面を見つめた。
「魔道具……ですか?」
その反応にカナタは少し笑う。
「まあそんな感じ。これはゲーム機ってやつ」
カナタはテーブルの前にコントローラーを並べながら、簡単に説明を始めた。
「ルールは簡単。カートに乗ってレースをするゲーム」
三人はモニターをじっと見つめている。
「操作はこのスティックで方向、こっちがアクセル。アイテムを拾うと相手の邪魔とかできる」
画面には色鮮やかなコースとキャラクターが映し出されていた。魔法世界では見たことのない映像に、三人ともかなり興味を引かれている様子だった。
エステルが身を乗り出す。
「こんなものもあるのね!」
目を輝かせながら言う。
「早くやろうよ!」
完全に乗り気だった。
カナタは笑いながらメニュー画面を操作する。
「まあまあ、まずキャラ選んで」
画面にずらりとキャラクターが並ぶ。
三人は揃ってモニターに顔を近づけた。
エステルが首を傾げる。
「これ何が違うの?」
真剣な顔でキャラを見比べている。
カナタは肩をすくめる。
「最初は見た目で決めればいいと思う」
その言葉を聞いて、三人は改めてキャラクターを見始めた。
最初に決めたのはリヴィアだった。
「私はこれにするわ」
迷いなく選んだのは、小さなキノコ頭のキャラクター、キノ◯オ。
カナタは少し意外そうな顔をする。
「へえ、それなんだ」
リヴィアは淡々と答える。
「小さい方が軽そうだから」
理屈だった。
次にセラフィナが控えめに手を挙げる。
「私はこれにします」
彼女が選んだのは、黄色の小さなキャラクター、ベ◯ビーデイジー。
セラフィナは少し嬉しそうに微笑む。
「可愛いですね」
そしてエステル。
キャラクター一覧をじっと見ていたが、突然指を止めた。
「こいつ強そうだからこれにする!」
画面に表示されたのは巨大な亀の王様、ク◯パ。
カナタは思わず笑う。
「いかにもエステルって感じだな」
「なによそれ!」
エステルは少し不満そうに言い返す。
最後にカナタがキャラを選ぶ。
「じゃあ俺これ」
選んだのは、仮面をつけた小柄なキャラクター、ヘ◯ホー。
こうして四人のキャラが決まる。
キャラクター選択が終わると、画面はすぐにレース画面へ切り替わった。色鮮やかなコースが映し出され、四台のカートがスタートラインに並ぶ。
ヒロイン達はコントローラーを握りながら、まだ少し戸惑った様子だった。
「これ本当に動くの?」
エステルが半信半疑の顔でスティックを触る。
「動きますよ、たぶん」
セラフィナも慎重にボタンを確認している。
リヴィアだけは真剣な表情で画面を見つめていた。
その時、レースのカウントダウンが始まる。
3。
2。
1。
スタート。
次の瞬間、カナタのカートが勢いよく飛び出した。
一気に加速し、他のカートを置き去りにする。
一方、ヒロイン達のカートは普通にスタートするだけだった。
エステルが画面を見て目を見開く。
「え!?なんで!?」
セラフィナも慌てた声を出す。
「もう前に行ってます!」
リヴィアが小さく呟く。
「速い……」
画面ではすでにカナタのカートが先頭を走っていた。
カナタは余裕の表情で笑う。
「勝負はもう始まってるよ」
その言葉を聞いた瞬間、三人は慌てて操作を始めた。だが慣れないコントローラーのせいで動きは完全にぐちゃぐちゃだった。
エステルのク◯パは壁にぶつかる。
セラフィナのベ◯ビーデイジーはコースの端に引っかかる。
リヴィアのキノ◯オはなぜか逆方向へ進みかけて慌てて戻る。
エステルが叫ぶ。
「ちょっとこれ難しい!」
カナタは前を走りながらちらりと横の画面を見る。三台のカートがコース上で混乱している様子を見て、思わず笑った。
雨で止まった旅の時間。
だがその馬車の中では、思いがけないゲームが始まっていた。




