第47話 ババ抜き決着
リヴィアがジョーカーを引かされたあと、テーブルの上には一瞬妙な静けさが落ちた。エステルがまだ興奮気味に騒いでいる横で、次の順番が自然と回ってくる。
カナタのターンだった。
カナタは自分の手札を軽く確認する。残っているカードは――一枚だけ。
エステルがカナタの手札を見て、眉をひそめた。
「ちょっと待って」
身を乗り出し、カナタの手をじっと見る。
「もう一枚しかないじゃない」
リヴィアも無言で視線を向け、セラフィナも興味深そうに様子を見守っていた。
カナタは特に気にした様子もなく肩をすくめる。
「そうだけど?」
そう言いながら、カナタはエステルの前へ手を伸ばした。エステルはカードを扇状に広げたまま、じっとカナタを睨み返す。
「あんたそのカード何よ」
エステルが目を細める。
「それは言えないでしょ」
当然という顔だった。だがエステルは引き下がらない。
「いつも勝ってるんだから言ってもいいじゃない!」
テーブル越しにじっと睨みつける。カナタは少し考えるように顎をかいた。
「……うーん」
数秒だけ悩む素振りを見せる。
そしてあっさり言った。
「ハートの5」
エステルは少しだけ眉を動かす。
「ふーん」
疑い半分、納得半分といった顔だった。
カナタはそのままエステルのカードの中から一枚を引く。引いたカードを自分の手札へ加え、ちらりと確認した。
スペードの7。
カナタは無言のまま、自分の残り一枚のカードを横に並べる。
同じ数字。
ペア成立。
次の瞬間、カナタはその二枚をテーブルへ置いた。
「はい、あがり」
ぱし、と軽い音が鳴る。
その場の空気が止まった。
三人が同時に固まる。
「は?」
エステルの声が間抜けに漏れる。カナタは何でもない顔で肩をすくめた。
「さっきのは嘘」
その瞬間、エステルの表情がみるみる変わる。
「はあああ!?」
カナタがあがったあと、場の空気は一気に慌ただしくなった。次のターンが回り、エステルがすぐにリヴィアの前へ手を伸ばす。
「じゃ、私の番ね」
リヴィアは無言のままカードを扇状に広げた。エステルは迷う様子もなく一枚を引き抜く。手札へ加えて確認した瞬間、ぱっと顔が明るくなった。
「揃った!」
そう言いながら同じ数字のカードをテーブルへ置く。ぱし、と軽い音が鳴った。
「やった、あがり!」
エステルは満足そうに椅子へ背中を預ける。
「二位確定ね」
これで場に残ったのは二人だけだった。
リヴィアとセラフィナ。
リヴィアの手札は二枚。セラフィナの手札は一枚。
リヴィアは静かな顔をしていたが、わずかに眉が寄っている。
「なんで私がこんな目に……」
低く呟く声には、はっきりと不満が滲んでいた。向かい側ではセラフィナが小さく息を吐き、真剣な顔でカードを見つめている。
「罰ゲームだけは回避しないと……今回のは本当にやばいです」
しばらく沈黙が流れた。
そして最終局面。
セラフィナのターンが回ってくる。
セラフィナはリヴィアの前に差し出された二枚のカードを見つめ、少しだけ首を傾げた。
「リヴィア」
リヴィアが視線だけを向ける。
「何?」
セラフィナは穏やかな笑顔のまま聞いた。
「左と右、どっちがジョーカーですか?」
リヴィアは一瞬だけ黙り、それから淡々と答える。
「左」
エステルが横で吹き出す。
「そんなの正直に言うわけないでしょ!」
だがセラフィナは真剣な顔のままだった。カードをじっと見つめ、少しだけ考え込む。
「なるほど……」
そしてゆっくりと手を伸ばした。
引いたのは――右のカード。
カードを手札へ加え、静かに確認する。
次の瞬間、セラフィナの表情がぱっと明るくなった。
「揃いました!」
同じ数字のカードをテーブルへ置く。ぱし、と乾いた音が響いた。
「やったー!」
セラフィナが思わず両手を上げて喜ぶ。
「三位です!」
テーブルの中央には捨てられたカードの山ができており、ゲームの余韻だけが静かに残っている。
今回の順位は――
一位、カナタ。
二位、エステル。
三位、セラフィナ。
そして四位。
リヴィア。
カナタは椅子にもたれながら満面の笑みを浮かべた。
「よし」
満足そうに軽く拳を握る。その様子はどう見てもご機嫌だった。一方、エステルは大きく息を吐き、胸に手を当てている。
「はあ……助かった……」
心底ほっとした様子で背もたれに体を預ける。セラフィナも同じように肩の力を抜き、小さく息を吐いた。
「今回は本当に危なかったです」
エステルが横を向く。
「セラフィナ危なかったわね」
セラフィナは苦笑しながら頷いた。
「ギリギリ罰ゲーム回避できました」
その言葉には本気の安堵がこもっている。二人の間には、なんとか生き残ったという妙な連帯感のようなものが漂っていた。
だが、その横で。
リヴィアだけは動いていなかった。
椅子に座ったまま、カードを持つ手も止まり、視線はテーブルの上へ落ちている。表情は普段と変わらず冷静に見えるが、明らかに思考が停止していた。
「嘘よ……」
ぽつりと呟く。
「こんなのありえない……」
低い声だった。信じられないというより、まだ現実を受け入れていない声だった。
エステルがちらりとその様子を見るが、何も言わない。セラフィナも気まずそうに視線を逸らす。罰ゲームの内容を思い出すと、さすがに軽口は叩けないらしい。
そんな空気の中で、カナタだけはいつも通りだった。椅子から立ち上がりながら、軽い調子で言う。
「じゃあもう寝よっか」
まるで普通の提案のように言った。
リヴィアはゆっくりと顔を上げる。しばらくカナタを見つめ、それから深く息を吐いた。
「これほど寝たくない日が来るとは思わなかったわ」
夜になり、馬車の中はすっかり静かになっていた。リビングの灯りも落とされ、廊下には控えめな魔法灯だけが淡く光っている。
カナタは自分の寝室のベッドに腰掛け、軽く伸びをした。
「さて、と」
今日一日だけでも色々あった。ダンジョン攻略、武器の入手、夕食、そしてカードゲーム。だがその締めくくりが、まさかこんな形になるとは思っていなかった。
罰ゲーム――添い寝。
カナタが苦笑したその時だった。
コンコン、と軽いノックが鳴る。
「どうぞ」
カナタが答えると、扉がゆっくりと開いた。そこに立っていたのは、リヴィアだった。
そして。
片手には、しっかりと剣を握っている。
カナタは思わず目を瞬かせた。
「り、リヴィア?」
視線がその剣へ向く。
「それ何?」
リヴィアはいつも通りの無表情で答える。
「いざという時のために」
さらりと言うが、その言葉の意味はどう考えても穏やかではない。カナタは苦笑しながら頭をかいた。
「俺たちパーティメンバーだよな?」
リヴィアは一瞬も迷わず言い切った。
「あんたは信用ならないわ」
即答だった。
カナタは肩をすくめる。
「もう何日か一緒に旅してるんだけどな……」
だがリヴィアはまったく気にしていない様子で部屋の中へ入り、ベッドの横まで歩いてくる。そして無言のまま、ベッドの中央あたりを指で示した。
「いい?」
そのまま冷たい視線を向ける。
「ここからは絶対こっち側に来ないで」
ベッドの半分ほどの位置だった。完全に境界線を引いている。
カナタはその線を見ながら苦笑する。
「いやー俺寝相悪いからなー」
冗談半分で言ったつもりだった。
だがリヴィアは真顔のまま答える。
「その時は斬るわ」
あまりにも自然な口調だった。
カナタは一瞬固まる。
「え?」
ベッドの上に境界線のような距離を空けて横になると、部屋の中には静かな空気が流れた。魔法灯の柔らかな光が天井を照らしている。
しばらくして、リヴィアが言った。
「早く電気消して」
カナタは枕に腕を乗せたまま横を向く。
「なんで?もうちょっとおしゃべりしようよ」
軽い調子で言うと、リヴィアはため息をついた。
「早く」
短く、強い口調だった。
カナタは肩をすくめる。
「はー分かったよ」
そう言って手を伸ばし、魔法灯のスイッチを消した。ぱち、と小さな音がして、部屋の光が消える。窓から差し込む月明かりだけが、かすかに部屋を照らしていた。
暗闇の中で、カナタが静かに声をかける。
「リヴィア」
少し間が空く。
「今の旅、楽しい?」
リヴィアはしばらく何も言わなかったが、やがて淡々と答えた。
「この時間はストレスだけど、旅自体は楽しいわ」
カナタは小さく笑う。
「この時間って」
リヴィアは特に弁解もせず続けた。
「ダンジョンも悪くないし、戦いも嫌いじゃない。それに……」
少しだけ言葉を止める。
「退屈はしないわ」
カナタは満足そうに頷いた。
「そっか」
そして少しだけ間を置いて聞く。
「俺がパーティに入って嬉しい?」
すぐに返事が返ってきた。
「あなたがいない時は嬉しく感じるわ」
あまりにも迷いのない即答だった。カナタは思わず笑う。
「正直だな」
天井を見上げながら、のんびりと言葉を続けた。
「これからさ、いろんなダンジョンに行こう。色んな場所も回ってさ」
少しだけ声が柔らかくなる。
「強くなろう」
そして付け加えた。
「俺も手伝うよ」
暗闇の中で、リヴィアが小さく答える。
「それはありがとう」
短い言葉だったが、拒絶の色はなかった。
しばらく沈黙が流れる。
そしてカナタがぽつりと言った。
「リヴィア……好きだよ」
次の瞬間、即答だった。
「嫌い」
カナタは笑う。
「大好き」
リヴィアは間髪入れずに返す。
「だいっきらい」
また少し沈黙が落ちた。
リヴィアが小さく息を吐く。
「黙って早く寝て」
カナタは目を閉じる。
「……おやすみ」
リヴィアも短く答えた。
「おやすみ」
静かな夜が、ゆっくりと更けていった。




