第35話 セレナ・マールへ出発――ストームホースと馬車の旅
翌朝。
カナタの部屋には、すでに四人が集まっていた。
窓から差し込む朝の光の中で、それぞれが荷物を持って、出発の準備をしている。
豪華なホテルの部屋も、昨夜までの騒がしさが嘘のように静かだった。
カナタは軽く手を叩きながら、特に気負う様子もなく言った。
「じゃあもう出発するよ」
その言葉に、エステルがぱっと顔を上げる。
「もう行くの!?」
まるで信じられないという声だった。
「もう少しこのホテルにいたい!」
エステルは不満そうに腕を組みながら部屋を見回す。豪華な調度品にふかふかのソファ、広い窓から見える街並み。名残惜しそうな表情だった。
しかしカナタは特に気にした様子もなく肩をすくめる。
「ずっとここにいるわけにもいかないし、どうせ行くなら早いほうがいい」
あっさりとした口調だった。
その横で、荷物を手にしたまま、リヴィアがカナタを見る。
「どこに行くの?」
短く問いかける。
カナタは少しだけ得意げに言った。
「セレナ・マール」
その名前を聞いた瞬間、セラフィナが小さく頷く。
「聞いたことあります。海辺の街で観光に向いてるらしいです」
穏やかな声だった。
カナタは軽く顎を上げる。
「らしいね」
実際には、昨夜のうちにチート能力で色々と調べておいた結果だった。
景色が良く、観光客も多く、ついでにダンジョンもある。冒険ついでに遊ぶにはちょうどいい街だった。
「それじゃあ荷物持ってフロント集合で」
そう言って、部屋の扉のほうへ歩き出した。
四人はホテルを出ると、そのまま大通りを歩き始めた。
朝の街はすでに人の往来が多く、商人や旅人たちが行き交い、店先では開店の準備が進められている。
そんな賑やかな通りを歩きながら、エステルだけがやけに後ろを振り返っていた。
「うぅ……私のホテルが……」
未練たっぷりの声だった。
その言葉に、隣を歩いていたセラフィナがすぐに静かに言う。
「エステルのホテルじゃないですよ」
落ち着いたツッコミだった。
エステルはむっとした顔で腕を組む。
「せっかくあんな良いところに泊まれてたのに!」
大きなベッドに広い浴室、朝食まで部屋に運ばれてくる贅沢なサービス。思い出すだけで惜しい気持ちになるのか、エステルは何度も振り返りながら歩いていた。
その様子を見ながら、カナタがふと思い出したように口を開く。
「そういえば街と街を移動するときって普通どうするの?」
軽い調子の質問だった。
前を歩いていたリヴィアが振り返りもせずに答える。
「馬車ね」
短く、当然のように言った。
「あー馬車か」
カナタが納得したように頷く。
しかし次の瞬間、リヴィアが少しだけ眉をひそめた。
「考えてなかったの?」
呆れた声だった。
カナタはあっさりと言う。
「すっかり忘れてた」
その言葉に、エステルがぴたりと足を止めた。
「冒険で一番大切な部分でしょうが!」
怒鳴るような声だった。
カナタは特に気にした様子もなく肩をすくめる。
「なんとかなるから安心して」
気楽な口調で言う。
その横で、セラフィナがくすりと小さく笑った。
「今度はどんなことをしてくれるか楽しみです」
穏やかな声だったが、どこか期待しているようにも聞こえる。
カナタはすぐに顔をしかめた。
「セラフィナ、ハードル上げないで」
四人はそんな軽口を交わしながら、街の出口へ向かって歩き続けていた。
街の門を抜けると、人通りは一気に減った。
石畳の道はそのまま街道へと続き、遠くにはなだらかな丘と森が広がっている。四人は少し歩いたところで立ち止まった。
リヴィアが腕を組んだままカナタを見る。
「それで、どうするの?」
短く問いかける。
その横で、セラフィナが周囲を見回しながら静かに言った。
「乗合馬車の停留所はもう過ぎちゃいました」
穏やかな指摘だった。
カナタは特に困った様子もなく頷く。
「うん、知ってる」
三人が一斉にこちらを見る。
カナタは軽く肩をすくめた。
「ちょうどいいやつがいるんだよな」
そう言って、何もない空間へ視線を向ける。
「出てきて」
その瞬間だった。
空中に淡い光がふわりと集まり始める。小さな光の粒がくるくると渦を描き、やがて地面の上で大きな形を作り始めた。光は徐々に濃くなり、輪郭がはっきりしていく。
そして次の瞬間、二頭の馬型の魔物が姿を現した。
風をまとったような銀色の体毛、引き締まった体つき、そして背中からはかすかな風の流れが揺れている。
「うわ!」
エステルが思わず声を上げた。
リヴィアはすぐに目を細めて観察する。
「ウィンドホースっぽいけど……少し違う?」
慎重な声だった。
その瞬間、カナタの前の空間に半透明のウィンドウがふわりと浮かび上がる。
【DATA】
▷ 名前:ストームホース
▷ ランク:B
▷ 属性:風
▷ 特徴:嵐を呼ぶ力を持ち、空中を駆けることができる
カナタはその表示をちらりと見てから言った。
「ストームホースっていうらしい」
三人の視線が同時にその二頭の魔物へと向けられる。
そして次の瞬間、全員の表情が一斉に驚きへと変わった。
「それってめちゃくちゃ強いモンスターじゃない!」
エステルが目を丸くして叫んだ。二頭の馬型モンスターをまじまじと見つめながら、一歩だけ後ろへ下がる。
「ストームホースって……確か滅多に見ない魔物よ!」
興奮したような声だった。
その横で、リヴィアもじっと観察を続けている。
「風属性の高ランク魔物ね」
冷静な声で言った。
「普通の冒険者じゃまず出会うこともない」
短く続ける。
セラフィナも小さく頷いた。
「捕まえるどころか、近づくことすら難しいはずです」
穏やかな口調だったが、言っている内容はかなり物騒だった。
「嵐を呼ぶ魔物とも言われてますし、騎乗できる存在なんてほとんど聞いたことがありません」
三人の視線が、同時にカナタへ向く。
リヴィアが腕を組んだまま問いかけた。
「どうしてカナタが持ってるの」
疑いのこもった声だった。
カナタは特に気にした様子もなく肩をすくめる。
「愛情持って育ててたらいつの間にか」
あまりにも軽い答えだった。
その瞬間、セラフィナが即座に言い返す。
「そうはならないですよ」
穏やかな声だったが、完全に否定だった。
エステルも呆れた顔をする。
「絶対嘘でしょ……」
そんなやり取りをしていると、そのうちの一頭のストームホースがゆっくりカナタへ近づいてきた。
そして次の瞬間、巨大な体をぐっと寄せ、カナタの肩や腕にすりすりと体を擦りつける。
まるで甘える犬のような動きだった。
カナタは普通にその首元をぽんぽんと叩く。
「よしよし」
三人はその様子を黙って見ていたが、やがてエステルがぽつりと呟く。
「めちゃめちゃ懐いてるわね……」
ストームホースの首元を撫でながら、カナタは満足そうに頷いていた。
その様子を見ていたリヴィアが、ふと冷静な声で言う。
「馬はいいけど車体がないわ」
短い指摘だった。
三人の視線が同時にカナタへ向く。確かに二頭の立派な馬はいるが、それを繋ぐ馬車そのものが存在していない。
カナタは「あー」と小さく声を漏らした。
「あーそれなら」
そう言った瞬間、カナタの手元に淡い光が集まり始める。空中に浮かんだ光の粒がくるくると渦を描きながら形を作り、やがて地面の上に一つの物体が現れた。
木製の馬車だった。
頑丈そうな車輪と箱型の車体、装飾はほとんどなく、どこにでもありそうな旅用の馬車である。
「おー」
エステルが素直に声を上げる。
その横で、セラフィナが小さく微笑んだ。
「なんとなく作るだろうって分かってました」
落ち着いた声だった。
しかしエステルは馬車をぐるりと見回すと、不満そうに腕を組んだ。
「案外普通ね」
あまり感動していない顔だった。
「もっと豪華なやつにしてよ!」
不満たっぷりに言う。
カナタは軽く肩をすくめた。
「見た目は普通だけど中は豪華だから」
さらりと言う。
三人の視線が一斉に馬車へ戻る。疑いの目だった。
「ほんとに?」
エステルが半信半疑で呟く。
セラフィナも静かに続けた。
「それはあとで確認ですね」
リヴィアは腕を組んだまま小さく息を吐く。
「とりあえず乗れば分かるわね」
ストームホースが静かに地面を踏み鳴らす中、四人はその馬車へ視線を向けた。




