第23話 チート VS 最恐ダンジョン──死霊の館ネクロディアス攻略開始
カナタは街から少し離れた場所にある小高い丘の前に立っていた。
丘の上には一軒の古い館が建っている。石造りの重厚な建物で、長い年月を経ているのか外壁にはところどころ風化した跡があり、窓枠や屋根の装飾も少し色あせていた。
だが、それでも崩れかけているわけではなく、どちらかといえば「昔の貴族の館」といった落ち着いた外観で、遠目に見ればただの古い屋敷にしか見えない。
カナタは腕を組みながらその建物を見上げた。
「……ここが四大ダンジョンの一つ、"ネクロディアスダンジョン"か」
支店長から聞いた話を思い出しながら、カナタはゆっくりと視線を周囲へ巡らせる。
館の周囲にはぐるりと鉄の柵が設置され、その外側には数人の衛兵が配置されていた。槍を持った衛兵たちは無言で立っており、時折周囲を警戒するように視線を動かしている。
しかし、それ以外の人影はほとんどなかった。
普通のダンジョンであれば、入口の周辺には必ず冒険者の姿がある。攻略を狙う者、様子を見に来る者、依頼で訪れた者。だが、この場所にはそうした人間が一人もいない。
野次馬すら近づかない。
まるで、この場所そのものが最初から存在していないかのように、静まり返っていた。
カナタはそんな光景を見ながら、ふっと小さく息を吐く。
「まあ、入ったら死ぬって言われてる場所に好き好んで来るやつはいないよな」
その瞬間、カナタの視界に半透明のウィンドウが静かに展開された。
ウィンドウには淡い光の文字が浮かび上がる。
【DATA】
▷ 名称:ネクロディアスダンジョン
▷ 種別:アンデッドダンジョン
▷ 危険度:測定不可
▷ 概要:アンデッドダンジョンの頂点と恐れられる存在
表示された情報を見て、カナタは少しだけ眉を上げ、口元に軽い笑みが浮かべた。
「チート VS 測定不可の最恐ダンジョンか……」
カナタは再び館を見上げた。
「三日でSランクになるなら、ここを攻略するしかないよな」
そう呟くと、カナタは静かに一歩前へ踏み出した。
館を囲む柵の前まで来たカナタは、周囲の様子を軽く見回す。衛兵の視線は主に街側へ向けられており、館そのものを凝視しているわけではない。
カナタはその様子を確認すると、小さく肩をすくめた。
「まあ普通に入るわけにもいかないしな」
そう呟いた瞬間、彼の体がふっと空気に溶けるように透明になった。
姿を消したまま足元の地面から少しだけ体を浮かせ、そのまま静かに宙へと上昇する。
浮遊したまま柵の上を越え、音もなく内側へ降りると、衛兵たちは当然のように何も気付かない。カナタはそのままゆっくりと館へ向かって進んでいった。
そして館まで数歩という距離に近づいた瞬間だった。
「……うわ」
思わず小さく声が漏れる。館の方から流れ出している魔力が、明らかに普通ではない。
冷たいとか重いとか、そういう生易しいものではなかった。触れた瞬間に本能が拒絶するような、おぞましい感覚。
肌の奥にまで染み込んでくるような不快な圧力が体を包み込み、普通の人間ならその場で後ずさるどころか近づくことすらできないだろう。
その時、視界の前に半透明のウィンドウが展開された。
【DATA】
▷ 警告:この館から放出される魔力は生命の寿命を削る。
接近者は急速な老化を引き起こす。
長時間曝露した場合、死亡の危険あり。
表示された内容を読んだカナタは、思わず眉を上げる。
(チートなかったら絶対無理じゃね? 入ったら即死どころか入る前に死ぬじゃん)
だがカナタ自身は特に苦しんでいる様子もない。チートの力によって、カナタにはその影響が一切及んでいない。
「まあ、俺には関係ないけど」
軽くそう呟くと、カナタは館の扉の前まで移動する。そして手を伸ばす代わりに、そのまま一歩前へ踏み出した。
次の瞬間、彼の体は壁をすり抜けるようにして館の内部へと静かに侵入した。
館の壁をすり抜けたカナタは、そのまま静かに床へ降り立った。
内部は薄暗く、外から見た館の印象とはまるで違う空間が広がっている。
外観はただの古い屋敷だったが、中に入った瞬間、ここはすでに普通の建物ではないと理解できる。
空気そのものが重く、息を吸うだけで胸の奥に圧力がかかるような感覚があった。
「……うわ、すごいなこれ」
カナタは思わず周囲を見回す。
空間には黒紫のような霧がゆっくり漂っていた。霧の正体はすぐに分かる。魔力だ。濃すぎる魔力が空気中に溶けきれず、煙のように視認できるほど充満している。
普通のダンジョンでも魔力は感じられるが、ここまで目に見えるレベルで漂っている場所などほとんど存在しない。
「これ、普通の冒険者なら入った瞬間に倒れるんじゃないか」
軽く呟きながら前を見る。
そこに広がっていたのは、信じられないほど巨大な空間だった。
館の入口から続くエントランスは、常識的な建物の規模を完全に無視している。
床は大理石のような黒い石でできており、その中央には正面へ続く巨大な階段がそびえ立っていた。
幅も高さも異常で、階段だけで小さな建物ほどの大きさがある。
さらに視線を左右へ向けるが、端が見えない。
エントランスは左右にどこまでも広がっており、遠くは暗闇に飲み込まれていた。
「いや、館のサイズじゃないだろこれ……」
今度は上を見上げるが、またも天井が見えない。
闇の中に消えていて、どれほどの高さがあるのかまったく分からなかった。
「完全にダンジョンの異空間だな」
外から見た館の大きさなど、この内部空間とはまったく釣り合っていない。
外見はただの屋敷でも、内部は完全にダンジョンの異空間構造になっているのだ。
その時、カナタの視界に半透明のウィンドウが展開された。
【DATA】
攻略ルートを表示します。
次の瞬間、空中に淡い光の矢印が浮かび上がる。
その矢印の方向を見ながら、カナタはダンジョン攻略の一歩を踏み出す。
「まあ案内してくれるなら楽でいいか」
そう呟くと、足を床につけることなくそのまま宙に浮いたまま前へ進み始めた。
巨大なエントランスを横切り、矢印の示す方向へ進んでいくと、やがて正面の壁の奥に続く通路が見えてきた。
カナタはそのまま通路へ入る。
そこに広がっていたのは、異様なほど整然とした長い廊下だった。
床には深い赤色の絨毯が敷かれており、まるで古い城の内部のような雰囲気を作り出している。
ただし、その規模が明らかにおかしい。廊下の幅はおよそ十メートルほどあり、普通の屋敷どころか城の回廊よりも広い。
さらに天井の高さも同じくらいあり、巨大な空間がそのまま一直線に伸びていた。
カナタはゆっくりと前へ進みながら周囲を見回す。
壁には等間隔でろうそくが取り付けられていて、静かに炎を揺らしている。だがその炎は風もないのにわずかに揺れ、薄暗い光が赤い絨毯と石壁をぼんやり照らしていた。
廊下はどこまでも続いている。
前方は暗闇に飲み込まれていて、どれほど進めば終わるのかまったく分からない。
「……長すぎだろ」
カナタは小さく呟きながら前を見た。
だが、それ以上に異様なのは音だった。
足音もない。風の音もない。ろうそくの燃える音すら聞こえない。
完全な無音で、耳が詰まったような静けさが廊下全体を支配している。
普通の建物なら、どこかで木材が軋んだり、風が窓を鳴らしたりするはずだ。
しかしこの館には、そういった自然な音が一切存在しなかった。
カナタはその異様な静寂の中を浮遊したまま進みながら、周囲の空間を改めて見回す。
「これ、もう完全に館じゃないな」
外から見た古い屋敷の姿とはまるで違う。ここは明らかに普通の建物ではない。
ダンジョンの内部に作られた異空間だった。
赤い絨毯の敷かれた長い廊下を、カナタは宙に浮いたままゆっくり進んでいた。
「……さすがに何も出ないってことはないよな」
軽くそう呟いた、その瞬間だった。
空気がふっと揺らぐ。
次の瞬間、カナタの前方の空間から半透明の影が現れた。
人の形に近いが、輪郭は曖昧で、身体は霧のようにゆらゆらと揺れている。完全な実体はなく、薄く透けていて背後の廊下が見える。
「ゴーストか」
カナタがそう言った瞬間、視界の前にウィンドウが展開された。
【DATA】
▷ 名前:ネクロディアスゴースト
▷ 種族:ゴースト系アンデッド
▷ ランク:測定不可
▷ 説明:人間では視認できない速度で攻撃する霊体モンスター。
魔力体のため通常攻撃は無効。
表示が終わると同時に、ゴーストの姿がふっと消える。
「速――」
言い終わる前に、カナタの周囲の空間が一瞬だけ歪んだ。
普通の冒険者なら、何が起きたのか理解する前に首を刈り取られていただろう。
だが、カナタの体の周囲で、見えない衝撃がぴたりと止まった。
まるで透明な壁にぶつかったかのように、ゴーストの攻撃は完全に防がれていた。
「まあ、このくらいだよな」
カナタは特に慌てた様子もなく、軽く肩をすくめる。
次の瞬間、背後の空間に再びゴーストの姿が現れた。再び高速で襲いかかろうとしたその瞬間、カナタはゆっくりと片手を持ち上げる。
そして手のひらを前へ向けた。
「はい、消滅」
軽い調子でそう呟くと同時に、手のひらから魔力が放たれる。
次の瞬間、ゴーストの身体が光に包まれ、そのまま霧のように崩れた。抵抗する間もなく霊体は消え、廊下には再び静寂だけが戻る。
「あれでモブなんて……ボスモンスターは一体どんなやつなんだ」
カナタは消えたゴーストのいた場所を一瞬だけ見てから、すぐに視線を前へ戻した。
そして何事もなかったかのように、再び廊下の奥へ進み始める。
ネクロディアスダンジョン攻略は、今始まったばかりだった。




