第52話 王都の壁
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子供たちを近くの村の教会に預けてから、俺たちは再び東への道を急いでいた。
「それにしても、さっきは驚いたな」
「何がよ」
「護衛の五人、お前が一人で片付けただろ。俺が目を離してる間に」
クロエは一瞬きょとんとした顔をしたあと、ふいと視線を逸らし
た。
「別に、大したことじゃないし」
「いや、大したことだろ。前なら数の多さに手こずってたはずだ」
「……うるさいわね」
そう言いつつも、クロエの口元は僅かに緩んでいる。満更でもなさそうだ。
「強くなったな、クロエ」
「っ……そ、そう? まあ、ちょっとは成長したんじゃない?」
照れ隠しなのか、クロエはわざとらしく胸を張ってみせた。俺は思わず笑ってしまう。
「にしても、さっきの風魔法を混ぜた立ち回り、あれは独学か?」
「ああ、あれね」
クロエは少し懐かしそうに目を細めた。そういえば、公爵邸でノエルと決闘した時も、風魔法を使っていたな。
「侯爵邸にいた頃、ルナちゃんに教わったの。護身用に、くらいの気持ちだったんだけど」
「ルナが、教えたのか」
「うん。暇な時間があると、裏庭で付き合ってくれてね。『クロエさんは筋がいいので、すぐに上達すると思いますよ』とか言って、妙に褒め上手だった」
クロエの声には、どこか温かいものが滲んでいた。それと同時に、ほんの少しの陰りも。
「……元気にしてるといいけど」
「ああ」
俺も頷いた。ルナが教団に連れ去られてから、もう何日が経った
だろうか。無事かどうかさえ分からない。
「クリスティーナの奴、ルナちゃんに何もしてないといいけど」
「分からない。ただの人質として扱われているだけならまだいいが……」
「……洗脳、とか?」
クロエがポツリと呟いた言葉に、俺は言葉を詰まらせた。
「ないとは言い切れない、よな」
「縁起でもないこと言わないでよ」
クロエは自分に言い聞かせるように首を振った。だが、その表情からは拭いきれない不安が見て取れた。
「とにかく、今はできることをやるしかない。王都に着けば、何か情報が手に入るかもしれない」
「そうね」
俺たちはそれ以上何も言わず、ただ黙々と街道を進んでいった。
***
数日後、俺たちはようやく王都アルスメラルダの城門が見える位置まで辿り着いた。
「うわ……思ってたより、ずっと物々しいわね」
クロエの言う通りだった。城門には普段の何倍もの兵士が配置され、出入りする人々一人一人に対して、厳重な荷物検査と身分確認が行われている。
「これは……簡単には入れそうにないな」
「ちょっと、リック。あれ見て」
クロエが顔を強張らせながら、城壁に貼られた一枚の紙を指差した。そこには、見覚えのある二人の似顔絵と共に、こう書かれていた。
──『王家転覆を目論む重罪人。発見次第、最寄りの騎士団へ通報せよ』
「……とうとう、こんな形で出回ってるのかよ」
ロザリンドがカロー公爵領を訪れたあの日から、こうなることは覚悟していたはずだった。それでも、いざ自分たちの顔が堂々と貼り出されているのを目の当たりにすると、込み上げてくるものがある。
「冗談じゃないよ……スキルが危険だからって、ここまでされる筋合いある?」
クロエが悔しそうに歯噛みする。慌てて周囲を見回すが、幸い今のところ気づかれてはいないようだった。
「落ち着け。フードを深く被って、ひとまずここから離れるぞ」
俺たちは人混みに紛れながら、足早にその場を後にした。
城門から少し離れた林道まで来たところで、俺たちはようやく足を止めた。
「どうすんの? これじゃ王都に入って情報を集めるどころじゃないじゃない」
「ああ……正直、お手上げだな」
考えあぐねていたその時、前方から一台の荷馬車が近づいてくるのが見えた。御者台に座っているのは、青髪をポニーテールに結わえた見覚えのある人物だ。
「……あれ?」
向こうも俺たちに気づいたらしく、馬車を止めて身を乗り出してくる。
「おや、これはこれは。奇遇だね」
「アリアさん……!」
クロエが驚いたように名を呼ぶ。白衣の上から旅装を羽織った彼女は、相変わらずの飄々とした笑みを浮かべていた。
「こんなところで会うなんてね。しかも、随分と大層な手配書まで出回ってるみたいじゃないか」
「見てたのかよ……」
俺は思わず頭を抱えた。アリアは楽しそうにくすくすと笑う。
「ちょうど今、子爵領に帰るところだったんだ。王都はもう、僕みたいな半端者がいていい雰囲気じゃなくなってきたのでね」
「それ、どういう意味だよ」
俺が尋ねると、アリアの表情から笑みが消えた。
「……立ち話で済ませられる話じゃなさそうだ。積もる話もあるみたいだしね」
彼女は荷台の方へ視線をやりながら、口の端を僅かに上げた。
「乗っていくかい? 君たちの話、詳しく聞かせてもらおうか」
***
荷台に揺られながら、俺たちはこれまでの経緯を順を追って話した。荷台にはすでに、アリアの得体の知れない研究道具が満載されており、俺たち二人が乗るスペースを作り出すのは一苦労だった。ルナが洞窟でクリスティーナに連れ去られたこと。カロー公爵領での一悶着。そして、ノエルが呪いを受けて今はアルフォンスと公爵家に残っていること。
「……ふむふむ、なるほどね」
御者台からこちらを振り返りもせず、アリアは相槌を打つ。その声色は、驚いているというよりは「よくある話を聞いている」といった程度の温度感だった。
「それで、僕にどうしてほしいんだい?」
「……力を貸してほしい。ルナを助け出すのに、お前の知識が要る」
俺がそう切り出すと、アリアは小さく肩をすくめた。
「うーん、気持ちは分かるけど。僕、別にルナとそこまで深い仲ってわけでもないしなぁ。知り合いの一人、くらいの感覚だし」
「っ……」
「それに、正直に言うとね。今は僕自身の身の振り方だけで手一杯なんだ。さっきも言ったけど、王都はもう半端者が居ていい場所じゃなくなってる。没落貴族のはぐれ者だってだけで、睨まれる時代になりつつあるからねぇ」
どこか他人事のような口調だった。クロエが苛立ったように身を乗り出す。
「それでも、ルナちゃんはアリアさんのことを友達として慕ってたの! それなのに、見捨てるってわけ!?」
「見捨てる、ねぇ……」
アリアはそこで初めて、ちらりとこちらを振り返った。その目には、特に罪悪感のようなものは見て取れない。
「僕は研究者であって、正義の味方じゃないんでね。義理や人情だけじゃ、僕は動かないよ」
にべもない返答に、クロエが言葉を失う。俺も、どう説得したものか考えあぐねていた。
──その時、ふと思い出したことがあった。
「そういえば、アリア。前に話してなかったことがあるんだけど」
「ん? 何だい、改まって」
「このリンドヴルムのことなんだけどさ」
俺は背に負った魔剣に手をかけた。
「少し前──ドラゴンのアムルタートと戦った時、こいつの中から『リンドヴルム』って名乗る女の子が頭の中に現れて、俺と契約したんだ」
「……は?」
アリアの手から、手綱が滑り落ちそうになった。
「ちょっと待て待て待て。魔剣の中身が『少女の姿』で現れた……? それ、本当の話かい?」
「ああ。本人曰く……この剣、元はドラゴンだったリンドヴルム自身の牙を錬成して作られたものらしい。つまり、剣そのものに、かつて竜だった頃の魂がそのまま宿ってるってことだ」
「なっ……!?」
アリアは絶句した。
「しかも、戦ってたアムルタートのことを『古い知り合い』だとか言っててさ。因縁があるみたいだった。実際、あいつの攻撃をリンドヴルムで弾いた瞬間、刀身から一瞬、ドラゴンの幻影みたいなものが見えた気がしたんだよな」
「……初耳だよ!! というか、なんでそんな重大なことを今まで黙ってたんだい!?」
アリアは勢いよく振り返ると、御者台から身を乗り出して俺の肩を掴んできた。
「お、おい、近いって」
「ごめんごめん、つい! ……いいかい、リンドヴルムは数百年前に失われたと言われている伝説の魔剣だ。それが実は、元ドラゴンの魂そのものを宿した代物だったなんて話、文献のどこにも載っていないんだよ! しかも使用者と契約まで結んでいるなんて……!」
興奮気味にまくし立てるアリアに、クロエが戸惑いながら尋ねる。
「そんなに、大事なことなの?」
「大事どころの話じゃないよ! ドラゴンの魂が剣という器に宿ったまま自我を保っている、だけでも前例のない事例だっていうのに──人間と契約を結ぶなんて、理論上あり得ないはずなんだ。もしかしたら君のリジェネレーションと何らかの形で共鳴している可能
性だってあるかもしれない!」
先ほどまでの気怠そうな様子はどこへやら、アリアの瞳は爛々と輝いている。
「つまり……協力してくれるのか?」
「ああ、もちろんだとも! ……というか、こちらから頼みたいくらいだよ。リンドヴルムの観察に付き合ってくれるなら、僕も全力で君たちのルナ奪還に手を貸そう。ついでに言うと──」
アリアは俺の方にずいと顔を近づける。
「公爵領にいるという、ノエルの呪いにも、調べさせてほしいね。興味深い事例が、一気に二つも舞い込んでくるなんてついてるよ、僕は」
「……お前、本当に研究のことしか頭にないのな」
「おや、心外だな。これでも助かる人がいるのなら、それに越したことはないと思ってるさ。……まあ、一番のモチベーションが知的好奇心なのは否定しないけどね」
悪びれもせずそう言い切るアリアに、俺とクロエは思わず顔を見合わせて苦笑いした。
「ま、理由はどうあれ、味方になってくれるならありがたいよ」
「そうね。贅沢言える立場じゃないし」
アリアは満足げに頷くと、再び手綱を握り直した。
「よし、子爵領行きは中止だ。方針変更、王都近郊で潜伏できる場所を知っているから、そこを拠点にしよう。──さて、忙しくなるよ?」
そう言って不敵に笑うアリアを乗せた馬車は、来た道を引き返すようにして走り出した。




