第51話 旅立ちの理由
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公爵領を出て三日。俺とクロエは街道をひたすら東へと歩いていた。
目的地は王都アルスメラルダ──ではなく、その手前にある小さな宿場町、リンドバルだ。聖フランシス教団の動きを探るなら、まずは情報を集めるところから始めなければならない。
「ねえリック、本当にこの道で合ってるの?」
隣を歩くクロエが地図を覗き込みながら首を傾げる。旅装に着替えた彼女は、公爵家にいた頃の窮屈そうな空気が抜けて、どこか晴れやかな顔をしていた。
「たぶんな。ギルドの依頼票にも、この先に薬草の群生地があるって書いてあったし」
「たぶん、って……」
クロエが呆れたようにため息をつく。だが、その口元はどこか笑っていた。
「まあ、あんたの勘っていつも当たるから信用してるけどね」
「褒められてる気がしないんだが」
「褒めてないもの」
あっさりと切り返され、俺は肩をすくめるしかなかった。こういうやり取りも、もうすっかり馴染みになった。
ふと視線を上げると、街道の先に土埃が立っているのが見えた。馬車──いや、複数の騎馬だ。土煙の規模からして、少人数ではない。
「クロエ、あれ」
「……見えてる。数、多くない?」
クロエの声のトーンが変わる。冒険者として培った勘が、警鐘を鳴らしているのだろう。俺たちは街道脇の茂みに身を潜め、様子を窺うことにした。
やがて土煙の正体が近づいてくる。純白の外套に、胸元には見覚えのある紋章──聖フランシス教団の紋章だ。
「……教団の連中か」
「こんなところで何してるのよ」
クロエが小声で呟く。先頭を行く騎士は、フードを目深に被っていて顔は見えない。だが、その後ろに続く荷馬車には、鎖に繋がれた人影がいくつも見えた。
「あれ……もしかして」
俺は目を凝らし、そして息を呑んだ。荷馬車に押し込まれているのは、大人ではなかった。どれも、せいぜい十歳前後の子供たちばかりだ。
「子供……だけ……?」
クロエの声が震える。俺の脳裏に、以前アルフォンスが漏らしていた話がよぎった。──聖フランシス教団が研究している回復魔法は、幼い頃から素質を仕込むほど発現率が上がる。だから教団は、魔力の器がまだ柔らかい子供ばかりを集めているのだと。
「……回復魔法の実験体、ってことか」
考えたくもない仮説だったが、目の前の光景がそれを裏付けているようで、腹の底から怒りが込み上げてくる。俺たちが公爵家で耳にした噂──教団が各地で人を集めているという話は、まさに目の前で行われていた。
俺は拳を握りしめた。ここで飛び出せば、数の上で圧倒的に不利だ。無謀に突っ込めば、助けるどころか俺たちまで捕まって終わるだろう。
それでも。
「クロエ、聞いてくれ」
「……何よ、その顔。どうせろくでもないこと考えてるんでしょ」
「ああ。だから聞いてほしい」
俺は茂みの奥、街道から外れた森の方角を指差した。
「あの荷馬車、この先で一度休憩を挟むはずだ。地図によればこの先に水場がある。そこを狙う」
「本気? 相手は騎士団よ?」
「本気だ。それに──」
俺は自分の手のひらに視線を落とす。無限に湧き続けるこのリジェネレーションが、いったい何のために俺に与えられたのか。ずっと考えてきた。
役立たずと言われて追放されたポーション生成師。誰にも必要とされなかった俺のスキルが、今こそ試される時なのかもしれない。
「──こういう時のための、無限回復だろ」
クロエは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、やがてふっと表情を緩めた。
「はいはい。じゃあ付き合ってあげる。その代わり、絶対に死なないでよね」
「お互いにな」
俺たちは顔を見合わせて頷き合うと、荷馬車の後を追い、森の奥へと足を踏み入れていった。
***
予想通り、荷馬車の一団は森の中ほどにある水場で足を止めた。騎士たちが馬に水を与える間、荷馬車の周りには五人ほどの護衛が残っている。
その中で、ひときわ気配の違う一人がいた。
他の騎士たちが鎧を鳴らして落ち着きなく辺りを警戒する中、その人物だけは水場の傍で静かに佇んでいる。銀灰色の短髪、感情の読めない目。白の外套の下には、動きを妨げない軽鎧を纏っていた。
「……あれが指揮官か」
「なんか、他のやつらと格が違う感じがする」
クロエの言う通りだった。放っている空気そのものが、明らかに
只者ではない。
俺たちは木々の隙間を縫うようにして荷馬車へと近づいていく。そして、子供たちの拘束を確認できる距離まで来たところで、クロエが小さく息を吸い込んだ。
「──今!」
合図と同時に、クロエが飛び出す。短剣を一閃、荷馬車を繋ぐ縄を斬り裂こうとした瞬間だった。
「無駄ですよ」
静かな声とともに、銀灰色の髪の人物がクロエの前に立ち塞がっていた。目にも留まらぬ速さだ。
「っ!?」
クロエが咄嗟に身を引いて距離を取る。俺もすぐさま彼女の隣に並んだ。
「侵入者、ですか。この人数でよく発見できましたね」
感情の起伏が乏しい声だった。だが、その目の奥には確かな警戒の色が浮かんでいる。
「その子たちを、返してもらう」
「──それはできません。彼らは教団にとって、必要な存在なので」
「必要って……実験のためだろ!」
俺が声を荒げると、彼女の眉が僅かに動いた。だが、それ以上の反応は見せなかった。
「話し合いの余地は無さそうですね」
言うが早いか、彼女は腰の剣を抜いた。同時に、周囲の護衛たちも一斉に武器を構える。
「クロエ、荷馬車は任せる。俺はあいつを──」
「言われなくても分かってる!」
クロエが護衛の一人に斬りかかり、乱戦が始まった。
俺は目の前の指揮官と対峙する。彼女の剣筋は無駄がなく、まるで最初から俺の動きを見切っているかのように鋭かった。
「ぐっ……!」
何合か打ち合っただけで、俺の腕に浅い傷が走る。だが、傷口はすぐさま塞がっていく。リジェネレーションが働いているのだ。
「……回復スキル? まさか……」
彼女が呟く。俺はその隙を突いて踏み込んだ。だが、彼女の反応は俺の予想を超えていた。まるで死角から現れたかのように、剣が俺の脇腹を掠める。
「くっ……!」
浅くない傷だ。それでも、じわじわと肉が塞がっていくのが分かる。
一進一退の攻防が続く中、彼女のHPバーが目に見えて減っていくのが分かった。護衛たちの何人かはすでにクロエの手によって崩れ落ちている。数の利は、少しずつこちらに傾きつつあった。
「──そろそろ、限界のようですね」
彼女はそう呟くと、剣を構え直した。残りHPは、明らかに危険域だ。それでも、その瞳に怯えの色はなかった。
次の瞬間、彼女は自ら大きく踏み込んできた。まるで、自分の身を削ることを厭わないような、捨て身の一撃だった。
「なっ……!」
俺はとっさに剣で受け止めるが、勢いに押されて後ろによろめく。そのまま彼女の剣先が俺の肩を捉えた。
「うぐっ……!」
だが、その一撃と引き換えに、彼女のHPは限界まで削られたようだった。片膝が地面につきそうになる。
──と、そこで異変が起きた。
彼女の身体が淡い光に包まれたかと思うと、青ざめていた顔色がみるみる戻っていく。折れかけていた膝も、しっかりと地面を踏み締め直した。
「……間に合った」
彼女は小さく安堵の息を吐いた。
俺はその現象に見覚えがあった。回復魔法──いや、これはスキルによる自動回復だ。今の一瞬の隙、そして直前の捨て身とも言える踏み込み方から察するに、恐らくは追い詰められた時にしか発動しない類のものなのだろう。
彼女は何も語らない。ただ剣を構え直し、何事もなかったかのように間合いを詰めてくる。だが、俺の肩の傷もまた、その僅かな間に塞がっていた。何の代償もなく、何の条件もなく、ただ淡々と。
「……っ」
彼女の視線が、俺の肩に一瞬だけ留まった。
「……なんなのよ、それ……」
小さく、けれどはっきりと。それは指揮官としての言葉ではなく、ただ一人の人間の呟きだった。
俺はその一言に、彼女がこれまで背負ってきた何かを垣間見た気がした。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。
「リック! こっちは片付いた、あんたは!?」
クロエの声が響く。護衛たちはすでに全滅していた。
俺は目の前の彼女に向き直る。彼女は剣を下げたまま、こちらを見据えていた。もう戦う意思はないように見える。
「……今日のところは、退かせてもらいます」
「待て、子供たちは──」
「置いていきます。この状況で連れて帰っても、上への言い訳が立たない」
そう言い残すと、彼女は踵を返し、倒れた護衛たちを引き連れて森の奥へと姿を消していった。
その後ろ姿を見送りながら、俺はなんとも言えない感情を抱いていた。敵として現れたはずなのに、彼女の中に何か、放っておけない痛みのようなものを感じてしまったからだ。
「……名前、聞きそびれたな」
「何ぼーっとしてるのよ。それより早く、この子たちを楽にしてあげないと。別のやつらが戻ってくる」
クロエの声で我に返る。俺は頷くと、震えている子供たちの元へと駆け寄った。
こうして、俺たちの新たな戦いの幕が上がることになる。




