無礼な紳士
ブルックス書店のドアベルが軽やかな音を立てた。売れ行きの悪い本を集めた棚の埃を叩いていたトマス・ベンジャミンは、青い小枝模様のドレスに白い前掛けを付けた背の高い少女を見て、相好を崩した。
「やあ、キャロライン。ソーシャル・レディーの最新号を買いにきたのかい。そら、こいつだ」
「ありがとう、トマス。発売日に手に入れることができるのは、あなたのおかげよ」
キャロラインは、お礼を言うと、代金をトマスに渡して雑誌を受け取った。
「それは、いいっこなしだ。何しろ、ブリジットの恐ろしさは、餓鬼の時分から知っているからな」
トマスは、気風よく言い切ると、にやりと笑った。
少年の頃、煙突掃除屋だったトマスは、ブリジットの家へよく仕事をしに行ったそうだ。つまり、ブリジットの人使いの荒さを知るキャロラインの同志である。
もう一度お礼を言おうとした時、一人の客がキャロライン達に近寄ってきた。背が高く、灰色の背広を着て、流行の、つま先のとがった皮靴を履いた、いかにも貴族風の若い男だった。
「おい、店主。ソーシャル・レディーという婦人向けの雑誌をほしいのだが」
男は、そう言うと、ソーシャル・レディーを手にしているキャロラインをじろじろと眺めた。無遠慮な視線を向けられたキャロラインは、ぷいと顔を逸らした。
男が苛立たしげに眉を寄せたので、トマスは、キャロラインに早く帰るよう目で促した。キャロラインも頷くと、踵を返した。
トマスは、男に視線を戻してからすまなそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。あいにく、品切れでして」
「町中の書店を回ったんだ。一冊くらい都合がつかないのか」
「人気商品なので、すぐに売り切れてしまうんですよ。もう少し多く仕入れられればいいのですが」
男は、低く唸った後、店を出て行っていた。
「おい、そこの娘。ちょっと、待て」
大通りのごったがえす人混みを歩いていたキャロラインは、腕を強く引かれて後ろに仰け反った。
危うく転びかけ、たくましい腕に受け止められる。見上げると、先程、書店にいた男が立っていた。
どうせソーシャル・レディーを譲れと言いにきたのだろう。
それにしても、妙齢の娘の腕をいきなり掴むとは無礼な男だ。紳士の風上にも置けない。キャロラインは、顔を上げ、怯むことなく男を見上げた。
男は予想以上に上背があり、キャロラインの頭ひとつ分は大きかった。長身のキャロラインは、普段、男性に見下ろされることはほとんどないので、なんとなく癪に障る。
望むところだ。キャロラインは、顎を上げて視線を合わせると、高圧的な灰色の瞳を見据えた。
「雑誌を譲ってほしい」
「無理です」
「知り合いに頼まれているんだ。譲ってくれ」
「私だって頼まれて買いに来たんですから」
相手があくまでも引かないのを見て取った男は、懐から銅貨を一枚取り出すと、キャロラインの手に握らせた。
「お金をもらっても無理よ。今日、ソーシャル・レディーを持っていかないとすごく困ったことになるの」
キャロラインは、銅貨を男に突き返した。
「僕だって、困った事態になる。なんなら、銅貨3枚払ってもいい」
「無理だと言ってるでしょう。話の分からない人ね」
「君こそ、強情な女だな」
二人は、鼻息荒く罵り合った後、睨みあった。しばしの沈黙の後、男が口を開いた
「では、公平にいこうじゃないか。この雑誌が必要な理由をお互いに述べる。より優先すべき理由を持つ方が雑誌を手に入れる」
「この雑誌は、私が買ったのよ。一方的なこと言わないで」
キャロラインは、相手の尊大な態度に腹を立てて猛烈な勢いで反論した。
「いいや。こちらの事情を聞けば、理解してもらえると思う」
訴えかけるように見つめられたキャロラインは、たじろいだ。心の中で小さく呻く。事情とやらを聞いても譲る気は全くなかったが、一応聞いてやるのが礼儀だろう。結局、彼女はお人よしだった。
「いいわ。一応聞いておきましょう」
キャロラインは、ため息混じりで呟いた。
「医者から余命幾ばくもないと言われている病気の祖母がいる。ソーシャル・レディーを毎週楽しみにしているんだ。どうしても読ませてやりたい」
「毎週読んでいるなら、いつも購入している書店が取っておいてくれるはずだわ。あなたのような身なりの人なら、予約代くらい払える身分でしょう」
予約制度が始まって以来、ほとんどの平民はソーシャル・レディーを手に入れることができなくなった。ケチな継母は予約代を払ってくれないので、キャロラインが毎週ソーシャル・レディーを手に入れることができるのは奇跡に近い。
「下働きの少年が書店に頼んでおくのを忘れたんだ。手に入らなかったと知ったら祖母は落胆するだろう。どうか譲ってもらえないか」
「そんな」
キャロラインは、手に持っていたソーシャル・レディーを見つめた。今日中に渡さなければ、またブリジットの機嫌を損ねることになる。でも、だからといって、病気の老人の楽しみを奪っていいのだろうか。
しばらく様々な思いと葛藤した挙句、とうとうキャロラインは決意を固めた。
「わかったわ。この雑誌は、あなたに譲ります」
キャロラインは、なおも言葉を続けた。
「でも、今だけです」
「どういう意味だ」
「ただ貸すだけという意味です。お祖母様が読み終わったら、返してください。明日の晩までに。これだけは譲れません」
「わかった」
男は、渋々といった感じで頷いた。
「明日の夜8時までにブルックス書店の店主に預けておいてください」
キャロラインは、雑誌を差し出した。
「礼に受け取ってくれ」
雑誌を受け取った男は銅貨をキャロラインの手に握らせて人混みの中を足早に去っていった。
男の姿が見えなくなると、キャロラインは、大きく息を吐いた。ブルジットには、書店の雑誌の手配が遅れていたと言っておけばいい。
「大丈夫、キャロライン。もうすぐお金が貯まるんだから。そしたら、あなたは自由よ」
自分に言い聞かせた後、キャロラインは家路を急いだ。




