憂鬱な朝
キャロラインは、ドアを激しく叩く音と甲高い声で目を覚ました。
「キャーシー。いつまで待たせるつもりなの」
ドアの前で怒鳴っているのは、義理の姉のパトリシアだ。どうやら帽子を仕上げた後に眠ってしまったらしい。
キャロラインは、大きく伸びをすると、ドアを開けた。
ドアの前に立っていたパトリシアは、眉を吊り上げていた。キャロラインの二倍ほどある豊満な肉体を贅沢なドレスで包み、丸い顔に化粧を厚く塗りたくっているパトリシアは、義母のブリジットの虚栄心をそのまま具現化にしたような少女だ。
「そんなに焦らなくても、帽子は、完成しているわ。ほら、どうぞ」
けばけばしいピンクサーモン色のつばつき帽子を差し出すと、パトリシアは礼も言わずにひったくった。
この悪趣味な色の帽子を少しはましなものにするため、どれだけキャロラインが悩んだのか、パトリシアには分からないだろう。しかし、パトリシアがブリジットを実の母親に持ってしまった不幸を思えば、我儘な性格も悪趣味も許せるような気がしていた。
帽子を眺めていたパトリシアは、フンと鼻を鳴らした。どうやら満足させることができたようだ。
「まあまあな出来ね。でも、ミセス・ベイツのお茶会なら、この程度で充分だわ。あの人ったら、いつも甥の自慢ばかりして、すごく退屈なんだから。そのくせ自慢の甥を私達に紹介すらしようとしないのよ。皇太子殿下にも劣らない美貌とか言っていたけど、すごく醜い男なんだわ、きっと。ねえ、この帽子、被ってみた感じはどうかしら」
パトリシアは、キャロラインの部屋の小さな鏡を覗きこんだ。
「そうねえ」
キャロラインは、婦人服店のやり手の売り子のように素早くパトリシアの後ろに立って鏡に映る姉の姿を眺めた。
サーモンピンクの帽子を被ったパトリシアは、とんでもなく下品に見えた。ブリジットは、自分の娘を飾り窓から男達を物色する娼婦にしたいのだろうか。
喉まで出かかった本音をなんとか押しとどめたキャロラインは、あたりさわりのない褒め言葉を言った。
「似合っていると思うわ。あなたの肌は、白くて、明るい色が似合うから。それとミセス・ベイツのことだけど、甥御さんが城勤めしていらっしゃるから紹介することができないという話を聞いたことがあるわ。きっと、新年のパーティにいらっしゃるわよ」
「どうだかね。あの人って、すごくけちんぼなんだから。お茶会は、いつもお茶とサンドウィッチだけ。甘いお菓子やジャムがほとんど出てこないなんて、信じられる?」
「健康によさそうだと思うけど」
キャロラインは、控えめに自分の意見を述べた。
ミセス・ベイツが甘い菓子をお茶の席に出さないのは、親友のミセス・バーキンが糖尿病を患っているからだ。それに糖分や脂肪分を摂取しないお茶会が恰幅のいいパトリシアに相応しいのではないかと思う。
パトリシアは、キャロラインの返事に満足しなかったらしく、どんぐりのように大きな目に薄らと怒りを浮かべてキャロラインを睨んだ。
「お茶会に参加したことないあんたに意見を聞くなんて、どうかしていたわ。ああ、そうだ。お母様が呼んでいたわ。金曜日のダンスパーティに着ていくドレスのウエストをつめてもらいたいそうよ」
パトリシアは、帽子をひったくるように掴んで、鼻息荒くキャロラインの部屋から出ていった。
キャロラインが食堂へ降りていくと、ブリジット・ナトリーが朝食をとっていた。ブルジットの朝食は、紅茶一杯と薄いビスケットだけだ。パンもチーズもベーコンも果物もなし。だから、娘のパトリシアと違って、ひどく痩せている。鼻や顎がとがっていて、神経の方もかなりとがっている。
キャロラインは、継母を見る度、絶望的な気持ちになる。死んだ父親は、どうして、いつも眉間にしわを寄せているような女性と結婚したのだろう。
洗濯屋のアガサによると、男性には時々理性を失うような瞬間というものあるらしい。
聡明でユーモアに溢れていたナトリー伯爵に魔が差すことがあったなんて到底想像できない。しかし、ブリジットという高慢で意地悪く、恐ろしく退屈な思考の持つ女性と結婚した理由は、やはり魔が差したとしかいいようがないように思えるのだった。
「おはようございます。お母様」
キャロラインは、父親が死んで以来、継母の前では、顔に貼りついてしまったような愛想笑いを浮かべた。ブリジットは、毛虫でも見るかのような目つきでキャロラインを一瞥した。
「今朝は、随分遅いのね。パトリシアは、一時間も前に起きていたのに」
「申し訳ありません。帽子を仕上げるために遅くまで起きていたものですから」
「言い訳は結構」
ブリジットは、キャロラインの言葉をさえぎるようにぴしゃりと言い放った。
さわらぬ神にたたりなしだと、身を持って知っているキャロラインは、それ以上何も言わなかった。
ブリジットは、いつものように矢継ぎ早に用事を申し付けた。
「今日は、郵便局と銀行へ行ってちょうだい。それから、私のドレスのウエストをつめておいて。靴磨きも忘れないで。それが全部終わったら、玄関と書斎を掃除しておいて。明日、ミセス・アランがいらっしゃるから、家じゅうを綺麗にしておかないと」
「はい、お義母様」
キャロラインは、はらわたが煮えくりかえる思いだったが、しおらしく返事をした。




