十三歳の僕の旅は終わる。
地下鉄が駅にたどり着き、僕は約十六時間ぶりに地上に顔を出した。まだ日も昇らない、深夜から夜明け前に特有の澄んだ気配が辺りを包み込んでいた。
すでにアナは一つ前の駅で降りていたので、僕は一人、家路を歩きはじめた。幸運にもビルの地下に隠された駅は家から歩いて帰れないこともない距離にあった。
大通りに車は一台もなく、遠く森の方からほーほーと名前の知らない鳥の鳴き声が聞こえてきた。僕が通っていた中学校はただ寂しげに闇の中たたずみ、いつも通学する生徒たちに吠えまくっていた大型犬も鎖につながれたままぐっすりと眠っていた。廃材置き場ではホームレスが毛布にくるまってぴくりとも動かなかった。
いつもなら気づきもしないことなのに、僕にはそんな何でもない景色を見るたびにその一つひとつがひどく懐かしく感じられ、こうして元の世界に戻ってきたということを実感させられるのだった。
家がいよいよ近づいてくると、僕はまた腕時計に目をやり、歩き出して何度目かになる時間の確認をする。
足取りはそう意識せずとも自然と重くなり、本当は四十分ほどで着く道のりのはずが、地下鉄を降りてからもう一時間が経とうとしていた。家に着くまで、まだもう五分ほどはかかるだろう。
僕はその間に、別れ際にアナが言っていた言葉を思い出した。
「どうしても耐えられなくなった時まで、一人で頑張ってみるわ。もしダメになってもあなたがいる、そう考えるだけで私、大抵のことには立ち向かえそうな気がするもの。それに、最初から一緒に頑張って、もし耐え切れなくなっちゃったらと思うと、私本当に怖くて……」
正直なところ、僕もアナと似たようなことを思っていた。けどそれを口にしてしまうとアナと会えなくなるから言わなかった。
会わないからといって、僕らはひとりになるわけじゃない。お互いに心の支えが必要なくなったらまた会えるし、もしこの世界にぶちのめされたときも、すぐに会いに行くことができる。だから僕らは「またね」と笑顔で手を振って別れた。
僕らは会おうと思えば、そう思ったときから一二時間で会うことができるだろう。僕らの距離は今のところそれで十分だった。ほんとは少し寂しいけど。
そんなことを考えるうちに、僕の家はもう目の前にあった。
二週間やそこらで見た目は変わりはしないけど、この数ヶ月で家の中身はずいぶんと変わってしまったんだ。僕はそんな風に思う。
玄関に入り、ドアノブを回す。鍵は開いているようだった。
「……ただいま」
僕は音を立てないようにして中に入る。
玄関にリュックサックをおろし、そのまま忍び足で移動し、母さんの寝室を覗くけどそこに母さんの姿はなかった。
風呂場を、トイレを、僕の部屋を探してもどこにも母さんの姿は見つからなかった。まさか僕がいない間に家を出てしまったんだろうか……不安な気持ちに押しつぶされそうになりながら、最後にリビングに入ると母さんはそこにいた。
その姿を見た瞬間、僕はハッと息を呑んでしまう。
母さんは普段着のまま、机に突っ伏すようにして微かに寝息を立てて眠っていた。その横にはすっかり冷え切ってしまった二人分のハンバーグが、白ご飯が、コーンスープが、手付かずのまま残されていた。
いつから僕の帰りを待っているんだろう。毎日こうして僕の帰りを待ち続けていたのだろうか。
そんな母さんの姿を見ていると、僕は自分のしてしまったことで一体どれほど母さんに心配をかけたかを思い知り、目頭が自然と熱くなっていった。
僕は母さんの後ろに立ち、ゆっくりと母さんの肩に手をやった。息を吸うたびに微かに上下する母さんの肩はか細く、ひどく弱々しかった。
僕は悲しみの多すぎる世界から母さんを守ることができるんだろうか。母さんはいつか僕のことを思い出してくれる時がくるんだろうか。
そのどちらにも、すぐに答えを出すことはできなかったけど、アナの言うとおり、きっと今なら何かを変えられるという確信めいた予感が確かに僕の中にあったんだ。
「ごめんなさい、母さん。本当に……ごめんなさい」
僕は母さんの肩に、椅子にかかっていた白いカーディガンをそっとかけてあげる。母さんは微かに身じろぎして、小さな声でありがとう、とつぶやいた。
僕の旅は終わった。夜が明けようとしていた。
今日まで学校は休んでしまおう、そんなことを考えながらひとつ伸びをすると、僕はもうひと眠りするために自分の部屋に向けて階段を駆け上がった。




