皇帝との対面
突然、女中がせわしく駆け込んできた。
「陛下。皇太后陛下!!」
「何事なの。騒々しい」
「皇帝陛下がいらっしゃいます!!」
「何ですって!? それは確かなの!?」
女中の声にうんざりした顔を浮かべていた皇太后は、驚愕して訊ねた。
ナタリーとて驚愕した。
ナタリーが後宮にやって来てから丸十日、皇帝は一度も後宮を訪れたことがなかったのだ。ようやくお姿を拝見できると思うと、焦る気持ちが抑えられなかった。
「確かです!! 馬でこちらに向かっていると、望楼から連絡がありました」
「こうしている場合ではないわね」
皇太后はナタリーを一瞥すると、髪飾りや首輪を仕舞っている箱からナタリーに似合いそうなものを選び始めた。
「きっと他の妃候補も着飾ってくるわ。ナタリーを一番に目立たせなくては」
「しかし、皇帝陛下は何故こちらへお越しになるのでしょう? マケイラ様にお逢いする為なのでは……」
ナタリーは、ふと思いついた不安を口にした。
「いいえ。彼女に逢うつもりなら、こちらで休むでしょうし、前もって連絡がなかったのを考えると別の理由ね」
皇帝が後宮に泊まる際は、必ず専用の宮を使う。
その宮の準備のためか、あるいは妃に仕度の時間を与えるためか、伽を命じる妃には午前中のうちにその旨が後宮監督官の口より告げられ、それは皇太后にも報告されるのだ。
「別の理由……」
「ええ、そうよ。きっとナタリーに会いにくるのよ。断られてばかりだったけれど、しつこく話した甲斐があったわ」
皇太后はルビーを埋め込んだ髪飾りと首輪をナタリーにつけた。
「ああ。いいわ、ナタリー。この黒い髪にルビーの赤がよく映えているわ。あなたもそう思うでしょう?」
皇太后に同意を求められたイザヤが、ナタリーを見つめた。
彼が反対意見を述べられるはずがないのだ。答えは分かっている。
「はい。よくお似合いです」
しかし、イザヤがそう言ったとき、それはミアの口から何度も聞かされた安っぽい言葉であったはずなのに、ナタリーにはまるで別の言葉のように聞こえた。
イザヤの声はまっすぐ心に響いたのだ。
とりあえず褒めておけばいいと思っているような軽く適当に扱う感じではなく、しっかりとルビーの髪飾りを見たうえでナタリーの目を見つめて答えてくれた。その目に嘘はなかった。初めて、自分に自身が持てた瞬間だった。
しかし、皇帝はナタリーに会いに来たわけではなかった。
それは地上の廊下に出たときの異変で察した。アトリウム(中央に天窓と水盤がある中庭風の広間)の周辺がやけに騒がしく、悲鳴まで聞こえてきたのだ。
一体、何が起こったのか。
扉の代わりに布を垂らした部屋の出入口から、恐る恐る廊下の様子をうかがっている女中や、壁際に集まって震えている女中、皆がアトリウムのある方角に怯えていた。
アトリウムの天井には屋根がない。中央の水盤に雨水を貯める仕組みになっている。
その天窓から降り注ぐ光の下に、二十代後半くらいの男がいた。裾を刈り上げた美しい銀髪の男はチェーンメイルを付けて、マントを羽織っている。皇家の色である紫のベルベットに、皇家の紋章であるコブラが金刺繍されているマントだ。
ナタリーは、すぐに皇帝だと気付いた。
「何事なの!?」
皇太后は皇帝に怒鳴った。
なぜならば、皇帝の周囲を取り囲んだ近衛兵らが女中達を捕らえていたのだ。先ほどの悲鳴は女中の声だった。
「母上にも、もう報告はあっただろう。今回の件がウィリアム卿の仕業であったと」
皇帝は冷たい目を女中に向けている。
ナタリーは、次々と皇帝の前に引っ張り出されていく女中達を見たとき、彼女らの共通点に気付いて血の気が引いた。
「ええ、勿論。反乱軍は鎮圧したとも聞いたわ。しかし、それとこれと何の関係があるの!?」
皇太后は、その共通点に気付いていない。自分が管理する宮殿を荒らされた苛立ちを隠せずにいる。
「負傷兵が証言したのだ。内廷通用門を越えた女を見た、と。しかし、調べてみると後宮の外出許可証は発行されていない」
皇帝は言葉を味わうようにして、続きを重ねた。
「内廷はこちらの領分なのだ。侵入者とウィリアム卿の繋がりを疑うのは当然では?」
「侵入者だなんて……。しかし、根拠もなく女中を捕らえるのは……」
皇太后は白黒つけかねている。
「根拠か。髪が黒かったそうだ。そういえばアサイ族の妃候補は漆黒の髪だとか……」
ナタリーは固唾を呑んだ。
まるで胸の鼓動が一時活動を止めたかのような圧迫を一瞬感じると、活動を再開した鼓動は次第に速くなっていった。
やはり、女中達の共通点は髪の色だった――。
後宮にはナタリーほど漆黒の髪色を持つ女はいないが、暗所では黒に見える濃茶の髪色の女なら大勢いる。近衛兵に捕らえられている女中達の髪色は、まさしく濃茶色ばかりであったのだ。




