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6番目の妃候補に捧ぐ最期の口づけ  作者: sen
第一章 内乱の日

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アトリウムの惨劇

 

「それが伝説のアサイ族か。なるほど、確かに耀くように黒い髪だな。他の色とはまるで違う」


 皇帝と目が合った。

 ナタリーは背中が冷たくなるのを感じた。

 まるで獲物に狙いを定めた鷹のような目だと思った。

 もし、治療をしてくれた神官が皇帝に話していたら言い逃れは出来ない。まさか皇帝はすべてを知りつつ、あえて焦らし追い詰めているのではと疑ってしまう。


「何を言うの!! ナタリーが後宮を出るはずがないでしょう!! ナタリーはウェストガーデンで矢に襲われたのよ」


 全く疑っていない皇太后の声に、罪悪感がありつつも心は縋(すが)った。


「ああ、心配しなくていい。私は彼女を疑っていない」


 思わぬ言葉だった。

 声が軽い。本心だろう。


「しかし――」


 ナタリーが安堵したのもつかの間、皇帝は「内廷に女が居たのは事実だ」と続けた後、一人の近衛兵に目で合図を送った。

 うなずいた近衛兵は、一人の女中(メイド)の喉に剣を突き刺した。

 アトリウムはたちまち、女中(メイド)達の絶叫の声で満たされた。


「よく聞け!!」


 皇帝は大声を発した。


「いま名乗りを上げれば、命は助けてやろう!! 後宮を出たのは誰だ!?」


 髪を引っ張られ、床に押さえつけられ、足掻いていた女中(メイド)達は、皆が周りに目をやった。名乗り出る者を探したのだ。

 ナタリーは手が震えた。立っているのもやっとなほど膝も震えていた。

 いま名乗り出なければ、また誰かが殺されてしまうかもしれない。しかし恐ろしくて声が出ない。


「お前か?」


 誰も名乗り出ないことに待ちくたびれたのか、皇帝は近くで押さえつけられていた女中(メイド)に問いかけた。


「わ、私じゃありません。信じてください」


 女中(メイド)は懇願した。

 顔は涙と鼻水にまみれ、体は恐怖におののいている。


「ふむ」


 皇帝が再び近衛兵に目で合図すると、アトリウムに悲鳴が谺(こだま)した。

 兵士の剣が高々と持ち上がると、それはうずくまった女中(メイド)の背中に、垂直に落ちたのだ。

 女中(メイド)は串刺しになった。すぐには絶命せず、苦悶して事切れた。


「なぜ殺したの! 彼女は違うと言ったでしょう!」


 皇太后は悲痛に叫んだが、皇帝はそれに答えなかった。


「名乗り出る者は居ないようだ。皆、始末しろ」


 ナタリーはそれを止めねばと思った。

 待って、と叫ぼうとした。

 しかしその瞬間、強い拳が腹部にのめり込み、胃の中の物を吐き出した。

 拳を打ち出したのはイザヤだった。


「ナタリー様、どうされましたか?」


 イザヤはわざとらしく声を上げると、前のめりに倒れそうになったナタリーの体を受け止めた。


「ナタリー、どうしたの!?」


 異変に気付いた皇太后に、イザヤが答えた。


「あまりの惨状に気分が悪くなったようです」

「もっともだわ。ナタリーが見るものじゃない。私だって倒れそうよ……」


 皇太后はイザヤの言葉を素直に信じている。

 ナタリーは違うと叫びたかった。

 しかし、イザヤの手がナタリーの口を強く押さえていた。


「あなた、ナタリーを部屋に連れていってやって。無事な女中(メイド)も動けそうにないから」

「承知しました。さあ、ナタリー様。参りましょう」


 ナタリーは首を振りうめいた。しかし、かすかなうめき声は、女中(メイド)らの断末魔の叫びによって掻き消された。

 もはや手遅れだったのだ。

 四肢の一部や肉片が飛び散ったエントランスホールは、血の海と化した。


「なぜ止めたの!? 私が名乗り出ていれば彼女達は殺されなかったのよ!」


 ナタリーは、部屋に送り届けてくれたイザヤの頬を力まかせに打った。

 涙がとめどなく溢れた。


「名乗り出ていればナタリー様が殺されていました。皇帝陛下が命を助けるとおっしゃったのを鵜呑みにしたのですか?」


 イザヤは冷静に答えた。

 打たれた頬を押さえることもせず、痛いとも言わず、ナタリーに憎しみの目を向けることもなく、ただただ冷静だった。

 その冷静さに物怖じして、ナタリーの興奮も静まった。

 確かにあの皇帝なら、皇太后の縁者である妃候補であろうと、いささかも躊躇わず殺してしまいそうだ。あの冷めた目を見れば、他人の痛みや悲しみなどには無関心なのだろうと分かる。

 女中(メイド)達が殺される瞬間を直視していたのに、皇帝は眉一つ動かさなかったのだ。

 ナタリーは泣き崩れた。

 自分の浅はかな行動が、これほど多くの犠牲を出してしまうとは夢にも思わなかったのだ。

 心の底から自分の運命を呪った。

 養父は、あの冷酷な皇帝の妃になれと言うのだ。今すぐここから逃げ出したいと思った。


「咄嗟のこととはいえ、ナタリー様のお体を痛めつけてしまい申し訳ありませんでした。しかし、このことは何とぞ隠し通してください」


 イザヤが膝をついて頭を下げたとき、ふとゾーイの存在を思い出した。

 自分のことしか頭になかったが、宮令に背いたのはナタリーのみに限らずゾーイとて同じである。

 皇帝が話の通じる御方ならまだしも、まともに調べもせずに女中(メイド)を殺してしまうような御方には、何を訴えても無駄だろう。おそらく、ナタリーもゾーイも殺される。

 イザヤの行動は、ゾーイを案じたからだと気付いたとき、ナタリーは双肩に乗った命の重みを知った。


「分かったわ……」


 とてつもなく重苦しいものを飲み込んだ気分になった。

 喉の奥が灼けるように熱かった。

 私はここで生きてゆけるのだろうか。

 不安が、後から後から押し寄せてくるようであった。



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