皇太后の思惑
「ああ、ナタリー。無事だったのね。心配していたのよ」
ナタリー達が後宮に戻ると、肉付きのよい年配女性がナタリーを出迎えた。
その女性のまとめ髪には、鳥の羽のような派手な髪飾りがあしらわれている。彼女はナタリーの後見人、皇太后である。
「皇太后陛下、女中が四名亡くなりました」
ナタリーは形式どおり、胸の前で右手の拳に左手を乗せて敬意を表す礼をした。落ち着いて話したつもりだったが、その手は震えていた。
それに気付いた皇太后は、優しい手でナタリーの肩を抱いた。
「ああ、恐ろしい目に遭ったのね。ウェストガーデンに行ったと聞いたから、兵士に探させようとしていたのよ。怪我はない?」
イザヤが負傷したゾーイを背負っているからか、皇太后は検分するような目でナタリーの体をくまなく見つめた。
「私は何事もありませんが、彼女が怪我を……」
ゾーイの顔色は先ほどよりも青白さを増していた。長い距離をイザヤの背中で揺られてきたのだ。早く休ませてやりたい。
「それは大変だわ。誰か、彼女を運んでやりなさい」
皇太后が言うと、ホールの隅で控えていた女中達がゾーイをイザヤの背中から降ろし、担架に乗せて去っていった。が、どこへ連れていかれたのかは皆目見当がつかない。
「心配しなくても大丈夫よ。女中部屋まで運んでくれるわ。ところで、彼は?」
皇太后がイザヤに目をつけた。
「ウェストガーデンで会ったのです。女中をここまで背負ってきてくれたので何かお礼がしたいのですが」
ナタリーは神殿に行ったことや、イザヤがゾーイの兄であることはひとまず伏せておいた。
一つ話せば、治療場所が内廷通用門の向こう側、つまり内廷にまで展開されていて、許可なしで後宮から出てしまったことも話さねばならないからだ。しかし、緊急時であったし、ゾーイを診てくれる神官を探していただけで直ぐに戻ったから、さほど問題ないとは思うのだが。
後で落ち着いた頃に話す方がいいだろうと判断したのだった。
「そうだったの。ナタリーを助けてくれたのなら、私も何かお礼がしたいわ。こちらへいらっしゃい」
皇太后は不審がっていた顔を晴らすと、二人を宝物庫に誘った。
野次馬のごとく集まっていた他の妃候補たちが「どこの誰かも分からない小姓を連れてきても咎められないのだから羨ましいわよね」と悪意に満ちた囁きを放ったが、ナタリーは聞こえない振りをした。
彼女らがどんな目で自分を見ているか知っているからだ。
「体格も美貌も大して優れているわけでもないのに」と話していたのを、ミアがどこかから聞いてきたのだ。しかし、皇太后に優遇されたところで、王の寵愛をいただけなければ、ここを追い出されるのはナタリーとて同じ。
嫉妬されるほど私は何も勝っていないのに――と思えば思うほど、そんな惨めな心は見せたくなかった。
地下にある宝物庫へは、壁からアーチ型の天井まで漆喰が塗り込められた階段を降りた。
外からの光が届かない通路は冷気に満たされ、壁には等間隔でキャンドルが灯されている。
ナタリーには地下室というものが珍しく、皇太后の侍女が先導する通路をしきりに見回していると、それを察した皇太后が振り返った。
「ナタリーはまだここに来たことがないのよね」
「ええ、初めてです。こんなところがあるなんて知りませんでした」
「ここには私の庫だけでなく、妃達の庫もあるの。あなたも妃に召されれば、いずれ必要になるわ」
「はあ」
ナタリーには想像がつかなかった。
通路は途中で交差路がいくつかあったが、どこも折れずに真っ直ぐ進むと、やがて大きな樫の扉に突き当たった。
「ここが私の庫よ」
侍女が錠を解き、扉を開けた。
重厚な扉は、悲鳴のような軋む音を立てて外側に開いた。
薄闇の通路からは、中は見えない。
皇太后は通路に掛けてあったキャンドルで燭台に火を移した。
「わぁ、凄い……」
ナタリーは目を見張った。
隣に立つイザヤの喉元から、唾を飲み下す音が聞こえた。
絵画、書物、銅像、冠、首輪、指輪……。様々なものが整頓されて並んでいる。どこにも埃が見当たらないのは、女中が欠かさず掃除をしている証拠だ。
「あなたの主人は誰?」
皇太后がイザヤに訊ねた。
「名乗るほどの主人では……」
イザヤは口を濁した。
どことなく、隠そうとしているようにも感じられる。
「主人とは?」
ナタリーは皇太后に訊ねた。
イザヤが仕えているのは宮廷で、宮廷の主と言えば皇帝ではないのか、と不思議に思ったのだ。
「ああ。ナタリーはまだ勉強中よね。小姓は侍従に面倒をみてもらって侍従になるの。主人というのは侍従のことよ」
皇太后はイザヤの服装を見つめた。
「あなたは平民ね。平民の小姓を抱えている侍従と言えば……」
思い当たる侍従を考えている。
「ノーラン? それともコルトンかしら?」
「どちらも私の主人ではありません。陛下」
「では誰かしら?」
「ホセ侍従です……」
イザヤは答えたくなかったという顔をした。
皇太后は「ああ……」と、思い出したように呟いたが、気分のよい顔には見えなかった。
「陛下? 何か……」
ナタリーが問うと、皇太后は「侍従の多くは貴族と平民、両方の小姓を抱えるけれど、ホセ侍従のところには貴族の小姓がいないのよ」と言い「周りからの風当たりが強いのではなくて?」とイザヤに訊ねた。
ナタリーは、どことなく違和感を感じた。
皇太后の答えは、咄嗟に言い繕っただけに聞こえたのだ。
「はい。しかし、貴族も平民もいるところでは貴族が優先されてしまうので、平民は出世しにくいと聞いています。私は侍従になりたいので辛いとは思っていません」
「そうなの」
皇太后は微笑んだ。
またしても、ナタリーは違和感を感じた。
イザヤが話している間、皇太后は何かを考え込んでいる様子だったのだ。しかし、ふと思いついた顔を見せてから笑顔になった。
「あなたとナタリーが知り合ったのは何かの縁ね。ナタリーが妃になれば専属の侍従が必要になるもの。ぜひ、ナタリーのために侍従になってほしいわ」
本心かしら、とナタリーは首を傾げずにはいられなかった。
皇太后の笑顔が一瞬だけ、作り物のように見えたのだ。




