罪と罰
皇帝の認可を盾に、近衛兵長は自らの勘を信じて皇太后宮へ踏み込んだ。
そして同時刻、部下の兵士らをマケイラ妃の宮へと走らせていた。イザヤ侍従の部屋は無論のこと、侍女や小姓の部屋、さらに鍵付きの場所など、見落としがあってはならぬと徹底的な家宅捜索を命じた。
第一に、皇太后の名を騙ったことを暴く。
第二に、凶器のダガーナイフを見つける。
二段構えの完璧な捜査の筈であった。
しかし、想定外の事態が起きた。
「真に……イザヤ侍従から預かっていると仰るのですか?」
侍女が「陛下を疑うとは不敬な!!」と声を上げたが、それを皇太后は掌で制止した。
「あれを」
その一言で侍女が運んできたのは、重厚な造りの樫の箱だ。
「その目でよく確かめなさい」
侍女が蓋を開けると、そこには紛れもない証拠品が静かに眠っていた。
グリップに緑柱石が嵌め込んである純金の|ダガーナイフである。
「そんな、まさか……」
それを目にしても、近衛兵長は信じがたかった。
長年の勘に間違いはないと固く信じていたのだ。
ならば、あの違和感は何だったと言うのか……。
「納得したかしら?」
皇太后は優しく微笑んだ。
その微笑みの裏に闇が潜んでいるのを、近衛兵長は知る由も無かった。
皇太后は、儀式の日にイザヤ侍従が謁見を申し込んできたことを思い起こしていた。
人払いを願われたので望みどおりにしてやると、イザヤ侍従は「率直にお訊きします。後宮では妃候補栄進の度に、ホセ侍従の小姓を殺していますね?」と言った。
つい動揺し「なぜそれを……」と口走ってしまったのがいけなかった。
鎌をかけられたのだ。
その後、イザヤ侍従は純金の髪飾りを出し、女中ミアの殺害を告白した。
そして、ナタリーが内廷の侵入者であったこと。
髪飾りをゾーイの治療の見返りとして神官に渡したこと。
ミアが髪飾りを証拠として、皇帝に告げようとしていたこと。
髪飾りを目撃した兵士が一定数以上いたので、本格的な捜査が行われれば危険だということ。
寝耳に水であった皇太后は、一挙に押し寄せたその情報にひどく混乱した。
その後、イザヤ侍従はダガーナイフを預かってほしいと差し出した。
後宮の秘密を知られてしまったので、そのアリバイ工作に協力するしかなかったのだ。
皇太后は、自尊心を打ち砕かれて呆然としている近衛兵長を見つめた。
近衛兵長は、齢五十を過ぎている。
戦傷や死体を見慣れている経験の流さから、ミアに致命傷を負わせた傷はダガーナイフだと目星をつけたのだろう。それは正しかったのだが、戦う相手が悪かったとしか言いようがない。
皇太后が鼻から吐息を漏らした時、ちょうどマケイラ妃の宮から駆けてきたのであろう兵士が、息を切らせて飛び込んできた。
「報告いたします!! マケイラ様の洋服箪笥から、大量のヒ素が発見されました!! 現在、イオアンナ様の暗殺未遂に使われたものと一致するかどうか神官が調査中です!!」
一同が凍りついた。
近衛兵長は、眉間に深い皺を寄せた。
自らの狙いが完全に外れたと思い知るや、棚からぼたもちのような事態である。
女中の殺人事件と、皇帝の子どもを身籠った妃への暗殺未遂――。
どちらが最優先事項か、誰にでも分かることだ。
釈然としない何かが胸中にあったが、近衛兵長は皇太后に深く低頭した。
「本日はご協力の程、感謝いたします。私は急ぎますので、これにて失礼することをお許しください」
踵を返し、マケイラ妃の宮へと急ぐ近衛兵長。その背中を見つめつつ、皇太后は物思いに耽った。
イザヤ侍従は、どこまで計算していたのだろう――と。
その後の展開は早かった。
ヒ素と呼ばれている物は、石黄や鶏冠石という、ヒ素を含む天然の鉱物をすり潰した粉末が毒として使用されている。
神官らは、イオアンナ妃が口にした飲み物の底に、僅かに残っていた沈殿物と、マケイラ妃の洋服箪笥から見つかった小瓶の中の粉末を白い布に広げて並べ、どちらからも金粉のように美しく輝く結晶が認められたことから「これらは石黄由来のヒ素である」と答えを出した。
石黄の結晶は掘り出された鉱山によって、黄色或いは橙色に見える。そして、すり潰された粒の細かさから差異を検証する。
神官らが出した結論は「イオアンナ妃の暗殺未遂に使われたものと一致する」であった。
マケイラ妃に仕えていた者らは連座で一時投獄となったが、黒幕を捕まえた後となっては見せしめの処刑は意味を為さぬので、皇帝の命で直ぐに解放された。
但し、侍女長だけは処刑された。
怒りから正気を失ったマケイラ妃が、侍女長はかつての主人を毒殺したと暴露したからである。
その後も、マケイラ妃は近衛兵長を買収しようと見苦しい姿を見せたが、彼は買収されるつもりも無いのに「どこにそんな大金があるのやら。庫には、殆ど何も残っていないが」と、わざわざ現実を突きつけた。
そして、マケイラ妃に初めて皇帝の意思で届けられた下賜品は、皮肉にもヒ素であった。
マケイラ妃は「こんなもの要らないわ!!」と、何度も投げ捨てたが、その度にヒ素は届けられた。
皇帝からの下賜品を望んでいたのは何も、高級品が欲しかったわけでは無い。道端に咲く花でも良かった。これを贈れば喜んでくれるだろうかという、自分のことを想ってくれたであろう時間や、その心が欲しかったのだ。
あれほど尽くしたのに……。
マケイラ妃の心には、もう皇帝への恨みしか残っていなかった。
もう何度目になるか分からないヒ素が届けられた時、同じことを繰り返し続ける気力も失せて、とうとうそれを口にした。
マケイラ妃。享年三十五。
かつて寵妃として権勢を誇った彼女は、その短い生涯を今ここに閉じたのである。




