賄賂
神殿を出たミアは、後宮監督官の執務室に向かった。
叔父が当てにならない以上、自分で後宮監督官に頼むしかないと思ったのだ。
しかし、公平で真面目な後宮監督官はミアに冷たい目を向けた。
「イオアンナ様は侍女も女中も募集していない」
後宮監督官は手で払いのける仕草をした。
「なぜですか!? 人手不足の筈ですよね!?」
「なぜと言われても、募集していないものは募集していないとしか言いようがない」
「では私が納得できる理由を聞かせてください」
ミアは引き下がるつもりがない。
後宮監督官は、面倒だなと思った。
マケイラ妃の宮が人手不足となった時、セミル大神官に請われて異動の手続きを行なったが、このような性格でよくマケイラ妃の女中が務まっていたなと呆れた。
「現在は大事な時期だから、素性や経歴が不明な者は近付けるなと達しが出ている。ゆえに……」
ミアは最後まで話を聞かず、ぱちんと手を打って「そういうことでしたか!!」と顔を晴れやかにした。
「素性なら誰よりも確かです!! 私はセミル大神官の姪ですから!! それに、マケイラ様に仕えたという経歴があるんですから寵妃のお世話が出来るということですよ!?」
後宮監督官は、開いた口が塞がらなかった。
素性と言えば、確かに血筋や身元という意味もあるが、後宮に仕えている者の血筋や身元は言われなくても分かっている。
ここで言った素性とは、個人の本質のことだ。
「そういうことではない。イオアンナ様を害する恐れがあるかどうか分からない者は近付けられないということだ」
「ですから、それなら問題ないでしょう? 大神官の姪ですよ!? その私がイオアンナ様を害すると思うのですか!?」
後宮監督官は困った。
これほど話が通じないとは思わなかった。
イオアンナ妃の侍女が死刑に処されなかったのは、イオアンナ妃が妃候補として過ごした歳月を側で支え続けていたことで、イオアンナ妃から信頼されていたからである。
そういった努力も無しに、セミル大神官の名前を出せばどうにかなると思っている浅はかさと、そもそもマケイラ妃を見限ろうとしている時点で、自ら忠誠心が無いのを暴露している愚かさに、呆れを通り越して拒絶感が沸いた。
どうせ何を言ったところで、自分なりの理由を付けて意見を押し通すつもりなのだと思うと、ミアとは関わりたくないという気持ちになった。
「しかし、手土産も持たずに便宜を図ってもらおうとは呆れるな」
後宮監督官は、左手を見せつけるようにミアの前で揺らした。
左腕には昔イザヤから贈られた純金の腕輪があり、親指以外の四指にも同じくイザヤから贈られた宝石入りの指輪を嵌めている。
一介の女中には用意出来ない代物だ。賄賂だと思わせておけば、同等の品を用意出来ないミアは諦めるだろうという狙いであったが、その思惑通り、ミアは悔しそうな顔で立ち去った。
もしセミル大神官を頼ったとしても、賄賂を渡すためだとミアが話してくれれば、セミル大神官はこちらの思惑を察して言い聞かせてくれるだろう。
「叔父様!! 純金の腕輪を買って!! あ、指輪でもいいわ!! どうしても必要なの!!」
セミル大神官は、明日の儀式で使う聖水を入れるための青銅の盆や香炉、ワインを入れるための献酒皿を聖職者達に運ばせているところであった。
ミアが我儘を言いだすのは慣れているが、今度は突拍子もないことを言いだしたなと思うと、もうミアが何を考えているのか理解出来ない。
「そういう物が欲しいなら、自分でお金を貯めて買いなさい」
「今すぐ欲しいの!! お願いっ!!」
「我儘を言うでない!!」
つい怒鳴ってしまった。
祭壇の道具を運んでいた聖職者達が、立ち止まって様子をうかがっている。作業を続けろという意味で手を翳し、ミアに「大声を上げてすまなかった」と取り繕ったが、ミアは頬を膨らませて走り去った。
この時、セミル大神官が、あと少しばかりミアを気にかけてやれたなら、災難は起こらなかったのかもしれない。
まだ準備の最中であったことと、ミアの我儘に付き合うのも疲れていたので、後を追って話を聞いてやる気力が無かったのだ。
ミアはセミル大神官の執務室に向かっていた。
昔、セミル大神官は純金の髪飾りを持っていたと思い出したのである。
他人の物ではなく叔父の物だから、盗んだことにはならない。という歪んだ正当性で、もしまだ髪飾りを持っているなら、それを後宮監督官に渡そうと思ったのである。
ミアは、廊下に人気がないことを確認してから執務室に入り、執務机の引き出しを開けた。
「やった!!」
つい、喜びが声に出た。
非常に精緻な造りの髪飾りである。これほどの細工品なら、後宮監督官も文句は言わないだろうと思いつつ、窓から漏れる茜色の光に透かして、髪飾りをよく検めた。
あれ……?
既視感があった。
月桂樹の葉を模した純金の髪飾りは、決して珍しくない形なのだが、これほど職人の魂が込められた髪飾りは類を見ない。
ミアは化粧やドレス、宝飾品が大好きなのだ。自分は持っていなくても、妃達の宝飾品や豪華なドレスはほぼ覚えていると言っても過言ではないくらい、それらに関しては目が肥えている。
これはナタリーのものだと思い出した時、なぜ叔父がこれを持っているのだろうと考えた。
そして、結論が導き出されるのに時間は要さなかった。
叔父が髪飾りを持ってきたのは、反乱が起こった日だ。
女中虐殺事件では、黒髪に近かった女中ばかり殺されている。
つまり、内廷への侵入者はナタリーだった。
そう気付いた時、それを明かしてやれば、ナタリーは追い出されるだろうと思った。
そうなれば、生意気なゾーイは職を失って困る筈だし、犯人を見つけた私は褒められるかもしれない。
後宮監督官への賄賂はまた後で考えることにして、一先ず密告しなければ。とミアは未来に期待していた。




