共同慰霊堂
皇帝がイオアンナ妃の宮に到着したとき、マルクス侍従は既に手遅れの状態であった。
その場で嘔吐を繰り返していたイオアンナ妃の口元には、解毒剤の正体である黒いペースト状のものが付着していた。そして、それは倒れているマルクス侍従の指先にも認められ、彼は自分の命よりも皇帝の子を宿したイオアンナ妃を優先して、解毒剤を無理やり飲ませたのだろうと推測出来た。
神殿から駆けつけたウーゴ神官は、マルクス侍従を診て首を横に振った。
皇帝が解毒剤を作らせたのは、このウーゴ神官である。
彼は熱心に医術を研究しており、昔から伝わる調合法ではヒ素を直接無毒化するのは不可能だと結論づけた。そうやって、珍しい野獣の体内から採れる胃石ベゾアールストーンを混ぜた『新しい解毒剤』を生み出したのだが、ベゾアールストーンは金より高く取引されるほど貴重なもので、なかなか手に入らぬ代物だった。
不運なことに、完成した解毒剤はナタリーに下賜された一つしか無かったのだ。
「ノーラン侍従」
皇帝の低い声に、ノーラン侍従は体を震わせた。
自分の管理する宮で事件が起こったこともそうだが、毒が入った飲みものを出したのは他でもない自分である。
「分かっているな?」
「はい……」
イオアンナ妃に仕えていた侍女一名、女中三名、ノーラン侍従と、その小姓二名、総勢七名が処刑されたという話が出回ったのは、これより十日ほど後のことであった。
イオアンナ妃は直ぐに神殿に運ばれ、母子共に一命を取り留めた。
マルクス侍従は毒を一気に、かつ大量に摂取したため、イオアンナ妃よりも症状の悪化速度が格段に早かったのだが、その時間の誤差が奇跡を生んだのだ。
自ら体験したことで、イオアンナ妃に現れたかなり早い段階の症状に気付いた。解毒剤を飲ませたのが、まだ臓器や血液に毒が回りはじめる前であったことから、イオアンナ妃の毒は完璧に中和され、後遺症も残ることなく胎児も助かったのである。
皇帝への忠誠を全うしたマルクス侍従の葬儀は、それが行われるまでの七日間、公葬か私葬かと議論された。
議員などのように帝国に貢献したとは言えぬが、皇帝の子どもを救った。しかし、子どもはまだ産まれたわけではない。というのが、議決の分かれ目だった。
結局、公費で葬儀はするが、故人がいかに偉大だったか、どれほど国に尽くしたかを称える広場での追悼演説は行わないという形に落ち着き、民衆には知らせず宮廷の面々だけで小規模な葬儀を行った。
郊外の共同慰霊堂への納骨は、生前マルクス侍従と親交のあった者だけで行くことになったので総勢五十名ほどしかおらず、その中にはイザヤ、デニス、ハリの姿もあった。
その共同慰霊堂は宮廷専用の施設で、何千人もの遺灰を納められる巨大な施設だった。
薄暗い地下の壁には、床から天井まで規則正しく並んだ穴が何百個もあり、そこに遺灰の入った壺が置かれ、名前が刻まれた大理石のネームプレートが掛けられていた。
職能組合に支払った金額が多額であった者は、また別の空間に遺灰が収められており、穴は大きく壺は二つになる。
マルクス侍従は、生前支払っていた金額と、さらに国費が加算されたため、遺灰が入った壺はかまくらのような大きな穴に収められ、その周りにはマルクス侍従が着ていた服や、好んでいたワイン、愛用していた高級な羽ペンなど、様々なものを一緒に収めた。
納骨が済んだ後、まるで迷路のような地下空間で、イザヤは辺りを見回していた。
このように巨大な共同慰霊堂に来たのは初めてで、壺には様々な形があるし、古さも様々だなと、ぼんやり考えていたのだが、新しい壺は最近亡くなった者だと判別出来るので、何を思うでもなくネームプレートを見ていた。
そして、ビルと書かれたネームプレートが目に入ったとき、思わず立ち止まった。
「イザヤ。どうしたんだ? 先に行くぞ?」
そう言ったデニスに「ああ」と生返事すると、前方で「どうした?」というハリの声が響いた。
「知らないが、先に行ってくれってさ」
「いや、待ってくれデニス。オイルランプを貸してくれ」
地下に入るのに、全員がオイルランプを持ってきたわけでは無かった。デニスからそれを借りると、イザヤは新しい壺を探した。
ただ、同じ名前の他人かもしれない。ビルなんて、よくある名前だ。と思いつつも、予感めいた嫌な感じが胸の中で育っていく。
無数にある穴に新しい壺を見つけては、オイルランプを近付けてネームプレートを確認した。
ビル。ニコ。ゼノ。ミロス。
元同僚四名と同じ名前のネームプレートを見つけるのは、困難ではなかった。
その四つの壺は、二つの取っ手が付いた青緑のガラス製で丸みがあり、全く同じ大きさだったからである。
低所得層の納骨場所に収められているのは、主に陶器や粘土の素焼きの壺ばかりなので、ビルの名前を見つけた時も、この室にしては高価そうな壺があるなと思ったため、たまたまそこに視線が向いたのだ。
イザヤは何を考えればいいのか分からなくなっていた。
ただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。




