選択
マケイラ妃の宮には庭がある。他の妃の宮にはない。
ミアは草むしりをするという体で木陰でさぼっていた。
そこには月桂樹やザクロの樹が植えられており、その足下には春の訪れを告げる白や青紫のスミレが咲き誇っている。
ミアはため息を吐きつつ、ぶちりと草を引きむしった。
近頃のマケイラ妃は、些細なことで当たり散らしてくるのだ。彼女を避けているのはミアだけに限らず、侍女らでさえ何かしら適当な仕事を見つけて側を離れている。酒浸りで正気を保っていない彼女には、もう仕える者らを監視する気力さえないらしく、体罰は無くなったのだが、泥酔して過度に怒鳴りつけてくるのもまた厄介なのである。最高潮に機嫌が悪くなると食器を投げつけてくるので、なるべく近づかないのが賢明なのだ。
この日は要領の悪いデニスが逃げ遅れてマケイラ妃の餌食になった。
ミアは手持ち無沙汰に草をむしりつつ、再びため息を吐いた。
マケイラ妃の女中になったばかりの頃は、皆から凄いと言われて気分が良かった。妬みの陰口さえ原動力になった。寵妃だったから誇れたのに、今は「マケイラ妃の女中」という言葉に効力はない。
皇帝直々のお召しだとかでイオアンナ妃が注目されはじめたが、どこの誰とも分からない新参者に寵妃の座を奪われるのは許せなかった。マケイラ妃には早く返り咲いてほしいのに、呑んだくれてばかりいられては期待も出来ない。
さらに大きくため息をついたとき、執務室から「ナタリー」という言葉が聞こえた気がして、ミアは柱の影に移動した。
マルクス侍従とデニスが何やら話している。
「ナタリー様の侍女」と聞こえた。
ゾーイのことだ。
あの生意気なゾーイのことが話題に上がるとは、一体何の話をしているのだろうと、ミアはますます聞き耳を立てた。
最後まで聞き逃さなかった。
イザヤとゾーイが兄妹……。
ミアの脳内に渦巻いたのは、激しい憎悪と歓喜だった。
ゾーイが楯突いてくるのも、イザヤが手加減せずに打ってきたのも、二人が裏で繋がっていたせいだと思うと、馬鹿にされていたようで腹立たしかった。
しかし、これは鬱憤を一気に晴らすチャンスだとも思うと、高揚感を抑えられなかった。
これをマケイラ妃に告げればどうなるだろうと考えるだけで、口元の緩みは元に戻らなかった。
「兄妹ですって?」
早速、マケイラ妃に耳打ちすると、彼女はカップを持ったまま目を閉じた。
何かを考えているのかと思ってミアはしばし待っていたが、マケイラ妃の頭がこくり、こくりと船を漕ぎはじめたのを見て、思わず腕を掴んだ。
「マケイラ様!! お聞きになってますか!? 妃候補の侍女が妹なんです!! あの男はあっちの手先かもしれないんですよ!?」
ミアがまくし立てると、マケイラ妃は「うるさいわね!!」とカップを握った手でミアを払いのけた。
カップに残っていたワインが少しかかったが、ミアはマケイラ妃が起きているうちに伝えなければという焦りから口調を強めた。
「陛下が下賜品を届けたのも、あいつらが何かを企んだからかもしれないんですよ!? このまま放っておいていいんですか!?」
「だから何なのよ!! 関係ないでしょ!!」
ミアの頭を掠った粘土の素焼きのカップは、床に当たって砕け散った。
ミアは呆然とするしかなかった。
失望したと言っても過言ではない。なんて使えない女なんだと思った。こんな女では、いつまで待っても寵妃に返り咲くのは無理だろうと。
しかし、マケイラ妃はこの時はまともな思考が出来なかったが、うとうととまどろむ間にもイザヤへの猜疑心はぼんやりと擦り込まれていた。
翌朝、マケイラ妃はイザヤを化粧部屋に呼んだ。
いつも起きぬけからワインを求める近頃の姿は皆に敬遠されているので、彼女を探しに来る者はいない。昨日、告げ口したミアさえ、マケイラ妃に失望したことで先行きに期待は持てず、近くにはいなかった。
二人の話を知るのは、側に仕えていた侍女長だけである。
「アサイ族の妃候補だけど……。そこの侍女はお前の妹だそうね」
この日のマケイラ妃は酔っていなかった。
かつての残酷さが蘇った眼光は、イザヤを鋭く突き刺した。
「見上げたものね。お前を雇ったのは私だけれど、まさかあちら側の人間だったとは気付かなかったわ」
まだ夜着姿のままのマケイラ妃は侍女長に髪を梳かせているが、かつてのように着飾る気配はない。
「いいえ、あちら側というわけでは……」
「ああ、勘違いしないで。責めているのではないわ。それはもうどうでもいいの」
マケイラ妃は悪どく微笑んだ。
その笑みはイザヤをひどく緊張させた。
この笑みは散々見てきたから知っているのだ。責めない時こそ、マケイラ妃はどうやって相手を突き落とそうかと考えている。
「あちら側の情報を渡しなさい」
「あちら側……と言いましても、未だに栄進しない、たかが六番目の妃候補ですよ。大した情報はありませんが……」
「情報がないなら探ればいいでしょう。お前の妹を殺させてもいいのだけれど、これで我慢してやるのだから、お前は私に従うしかないでしょう?」
イザヤは生唾を呑んだ。
大きな塊を呑み下したときのような不快感が、いつまでもそこにあった。




