露見
マルクス侍従は、宮の一角にある執務室で、帳簿を睨みつけていた。
人件費に食費、光熱費、建物の修繕費など、計上しなければならない項目が数ある中で、これまで莫大な数字を見せていたのが宝飾品などの無駄金であった。
皇帝の指名が途絶えてからというもの、それらの支出は止まっているが、この宮にマケイラ妃が継続して居住するには、妃に割り当てられる予算だけでは厳しくなる。しばらくの間は、これまでに蓄えた夜伽の報酬や多方面から受け取ってきた贈答金で対処出来るだろうが、数字に無頓着なマケイラ妃はこの危機に気付いていない。
このまま指名されぬ状態が続くと、いずれマケイラ妃の庫は空っぽになるだろうなと思っていると、正面の壁の向こうから、マケイラ妃の怒声が聞こえてきた。
「いつまで待たせるの!!」
マケイラ妃は寵妃の立場が衰退してからというもの、酒浸りの毎日なのだ。とくに、妃候補だったイオアンナを皇帝が直々に召し上げてからは酒量が増えている。大方、ワインが無くなったのだろうと思っていると、左手にある入口を水差しを持ったデニスが横切った。
「遅いのよ!!」
右手には壁がなく、列柱様式(等間隔で柱が立ち並ぶ建築)の廊下の向こう側は庭になっている。
その造りは、今マケイラ妃が過ごしている居室にも繋がっているので、怒声は庭を通して執務室にまで響き渡るのだ。
彼女が寵妃だと持て囃されていた頃は、これほど声を荒げたことはなかったのに、こうも毎日怒声を聞かされていると嫌気がさしてくる。
空の水差しを持ったデニスが再び入口を横切ろうとしたので、マルクス侍従はそれを呼び止めた。
「デニス」
「はい、何でしょうか?」
マケイラ妃に怒られたばかりのデニスは、外作業の用事などを言いつけてほしいのか、素早く目の前に来た。
「ワインはまだ残っていたか?」
「え~っと、甕が三つ残っていて、一つ開封したばかりです。厨房から貰ってきましょうか?」
デニスは落ち着きのない様子で訊ねた。
マケイラ妃から離れたくて外に出たいという思いもあるだろうが、デニスの理由はおそらくそれだけではない。
「今、厨房に行っても、ナタリー様の侍女と会える可能性は低いと思うが、それでも行くか?」
「えっ!? なぜ知ってるんですか!? あ、別にそれは関係ないんですけど……えっ?……何か……関係ありますか?」
デニスは誤魔化すのが下手過ぎる。
これがイザヤならば、動揺する素振りなど全く見せずにしらを切るだろう。
「ナタリー様の侍女ばかり見ているのに、隠せていると本気で思っていたのか?」
「え……。そんなに分かりやすいですか?」
マルクス侍従は「まぁ……」と答えつつ、そういえば後宮監督官から話を聞いていたから気付いたとも言えるかと思い直した。
数年前のことだったが「イザヤとデニスは、なぜかナタリー様の侍女が絡まれているところに首を突っ込むんだが」と聞かされたのだ。
「若者の間では、そうやって格好をつけるのが流行っているのか?」と、後宮監督官に問われたが、その点については分からなかったので「よく観察しておきます」としか答えられなかった。
しかし、イザヤが後宮監督次官を兼任するようになってからは小姓同士の争いは滅多に起こらず、マルクス侍従がイザヤとデニスの救出劇を目撃することは終ぞ無かった。
ただ、それがきっかけで二人の様子を気にかけていると、それまで見ようとしていなかったことさえ視界に入ってくる。
デニスの場合は、誰もがよく通る厨房までの通路を行き来したがり、偶然を装って彼女と会いたがるのだ。
「しかしお前に脈はあるか? イザヤの方が彼女と親しそうに見えるが」
農神祭の日のことだ。
各宮の専属侍従は妃らが注文した料理が間違われていないか目録と現物を確認した後、納品書を受け取らなければならない。そのため、後宮監督官の執務室で並んでいた。
イザヤは、近頃のマケイラ妃からは用事を言いつけられることも無くなっていたので、目録と納品書を照らし合わせる作業など、後宮監督官の補佐を務めていたのだが、そこへナタリーの侍女ゾーイが兵士の派遣を要請しに駆け込んできたのだ。
後宮監督官は直ちに席を立ち、納品書受け取りの行列は野次馬と化して執務室を出たのだが、人気の無くなった室で情報を共有する二人は親密だったと記憶している。
「違いますよ」
デニスは、何も知らない者に自分が教えられる優越の笑みを浮かべた。
「イザヤと彼女は兄妹なんです。顔は似てませんが、髪も目も同じ色をしてるでしょう? あ、これはここだけの話ですよ。マルクス侍従は信用出来るから話しましたが、内緒にしろって言われてるから誰にも言わないでくださいよ」
デニスは悪気なく言う。
マルクス侍従は話を聞いて、ようやく腑に落ちた。
後宮監督官を悩ませた救出劇は、イザヤは純粋に妹を助けており、デニスは恋心で助けていたのだ。
こんな単純な話で……。と、マルクス侍従は呆れたが、マケイラ妃とナタリーにそれぞれ仕えている兄妹の身からすれば、それを隠そうとするのも頷ける。
「デニス。今の話を他に知る者は?」
「分からないです。私は初めて話したので……」
「なるほど。イザヤなら秘密を共有する相手は選びそうだが……」
しかし、デニスに隠し事をさせるのは無理があるだろう。
「もう誰にも話すなよ」と念を押したが、マルクス侍従は、柱の影にいたミアの存在に気付いていなかった。




