妃候補と小姓
火事の翌年、妃候補イオアンナが栄進することになった。
事の顛末は、ナタリーがイオアンナを救ったことで二人が親交を深めたことから始まる。
二人は互いの宮を行き来する仲になり、神殿に通うナタリーにイオアンナも付いていくようになった。
そしてある日、神殿に出向いた皇帝と、ナタリーに付いてきたイオアンナが顔を合わせた。
皇帝は精神力の強い女性を好む傾向にある。
不安や恐怖で混乱する者は問題外。自身の感情や言動をコントロール出来ぬ者も好まない。
マケイラ妃は不満を言葉にこそしなかったが、笑顔の裏に黒い感情が潜んでいるのは、彼女の言動の端々から見えていた。
皇帝は一目でイオアンナとは冷静に話し合えそうだと感じるものがあり、一度、彼女を指名してみようと思った。
話し合うだけならば、ナタリーと同じように神殿で密会する方法もあったが、そうしなかったのはマケイラ妃を牽制するためでもある。
マルクス侍従から「下賜品をめぐってマケイラ様がナタリー様を打とうとしました」と聞いたからだ。とうとう化けの皮が剥がれたかと思ったが、十年間もマケイラ妃を指名し続けていたことが、彼女をつけあがらせた原因だとも分かっている。
報告を受けたときはマケイラ妃の配下を処刑しようかと思っていた。
しかし、右腕となる者を処刑してこそ示しがつくのに、直属小姓イザヤはマケイラ妃の命令に従わなかったと。絶対的に服従しているわけでは無いのだと思うと、なかなか興味深いなと思った。
さらに異例の直属小姓という肩書きは利用価値があるとも思い直し、処刑は選択肢から消えた。
そして残された策が、新たな寵妃であった。
しかし、周囲の者に寵妃と認めさせるからには、マケイラ妃に怯む姿を見せるようであってはいけない。
また、預言者のナタリーを矢面に立たせるつもりもない。マケイラ妃の嫉妬を買えば、危険に晒されるからである。適材の妃はいるだろうかと思っていた頃、後宮監督官から妃候補イオアンナの話を聞いた。
イオアンナは、宮の火事で恐ろしかったであろうに毅然としていただけでなく、ナタリーと話しながら笑っていたと言うから気になっていたのだ。
イオアンナを寵妃とするかどうかはさておき、一先ず妃に召し上げて様子を見るか、というのが皇帝の本心であった。
これまで皇帝が妃候補の栄進に関わった前例は無い。
イオアンナの栄進は、宮廷中で湧き立つ噂となった。
◇◇◇
イオアンナ栄進発表の数日前、イザヤは兵士から後宮通用門に来てほしいと呼ばれた。
「ああ!! 来てくれたか!!」
そこで待っていたのは、ホセ侍従に仕えていた頃の同僚ムラトである。
ムラトの身なりは、相変わらず清潔感がない。外の作業をしているため仕方ないのだが、門兵の汚いものを見るような視線がいたたまれず、イザヤは早足で神殿へと歩いた。
ムラトは「待ってくれよ」と慌てて後を追ってきたが、美しい妃達の住む場所から場違いな者を早く遠ざけたかった。
「突然訪ねてくるとは何の用事だよ」
神殿には入らず、人気のない木陰で足を止めた。
つい、そっけなく当たってしまった。
「急に悪かった。イザヤは忙しいだろうと思ったんだけど……。ビルがいなくなったから、聞きたいことがあって……」
ムラトは不安そうに呟いた。
「いなくなった? ホセ侍従から所用を頼まれたんじゃないのか?」
「いや、そうかもしれないし、そうならいいんだけど……」
「率直に話せ。何が言いたいんだ」
「間違ってるかもしれないけど……。もしかして、妃候補がもうすぐ妃になるんじゃないか?」
まだ、イオアンナに内示があったばかりで、栄進の発表はされていない時である。
イザヤは勿論、後宮中の誰もが知らない情報だった。
「いや、それは聞いてないが……」
「そうか……。イザヤが分からないってことは、分からないんだよな……」
ムラトは額を押さえて下を向いた。
冗談で話す内容ではないし、根拠のない噂話を真に受けている様子でもなかった。
「詳しく話せ。その情報はどこから仕入れた?」
「いや、そうじゃないんだ。他の三人が辞めたって言われたときと似てるんだ」
「似てるとは?」
「昨夜、ビルが風呂で香油を使ってて珍しいなと思ってたんだけど、そういえば三人とも居なくなる前日に同じ香油を使ってた気がするなと思って……。皆が辞めた頃って妃候補が妃になった頃じゃなかったか?」
「言われてみれば、ニコとゼノが辞めた頃はそうだったが……。その前のことは覚えてないな」
「俺は覚えてるんだ。ミロスが辞めたって言われたときは、横領で追い出された人が妃になった頃だったんだ。なんとなくだけど、関係ある気がして仕方ないんだ。だって、妃候補は六人だったよな? イザヤはマケイラ様に引き抜かれたけど俺達も最初は六人だったじゃないか。妃候補が妃になる度に一人ずつ消えてる気がするんだよ」
「消えてるって……」
イザヤは苦笑したが、ニコがおそらく帰省していないことを思い出していた。
しかし、それを口にするつもりはなかった。
まだ何も分からない状態なのだ。余計なことを口走って、ムラトの不安を煽る必要はないと思ったのだ。
「ただの思い過ごしかもしれないし、たまたまかもしれないだろ。もしかしたらビルが戻ってくるかもしれないし待ってみたらどうだ?」
半ば強引にムラトを納得させて帰したが、イザヤは数日間、落ち着かなかった。本当に妃栄進の発表がされるのか気になって仕方なかった。
随分昔のことで忘れかけていたが、皇太后からダガーナイフを下賜されたとき、主人を問われてホセ侍従の名を出したが、そういえば皇太后は何かを考えている素振りだったと思い出したのだ。
もし、ムラトの勘が当たっていれば、皇太后は何かを知っている。
そして数日後、イオアンナが栄進した。
妃候補の栄進とホセ侍従の小姓が辞めることに、どういった関連があるのか謎は深まるばかりである。
しかし……。
イザヤは内心、ホッとしていた。
自分でも気付いていなかったが、この数日間、もし栄進があるなら、ナタリーとイオアンナ、どちらが妃になるのだろうと考えていたのだ。
知らぬ間に、ナタリーには妃になってほしくないと願っていたのだった。




