見捨てられた妃候補(二)
「ご覧ください、ナタリー様。満開ですわ。お疲れなら東屋で休息いたしますか?」
薔薇の双璧の通路を進むと中央が開け、正方形の石を隙間なく並べて造られた方形の池があった。
掃除が完璧に行き届いた池は、膝下くらいの深さだろうかと容易に判断できるほど清らかな水が張られている。しかし、水草も浮いておらず、魚が飼われていないことは一目瞭然で、池を覗き込む楽しみさえない。
「そうね。少し疲れたわ」
近くに二層の八角屋根を乗せた東屋があった。屋根を支えているのは木の柱だけだ。壁はない。
日陰になったベンチに腰を下ろすと、爽やかな風が吹き抜けていった。
こういう穏やかで何の変哲もない日々が、日ごとにナタリーの心を蝕んでいく。
ナタリーは、この日もいつもと同じ退屈な一日を終えるものだと思っていた。
「ナタリー様。いかがされましたか」
傍らで控えていたミアが、首を傾げたナタリーに気付いた。
主と一緒に日陰に入れるのは、侍女の特権だ。他の女中らは東屋の外に立ち並んでいる。
「何か聞こえなかった?」
「何かとは?」
「わからないけれど……何か……」
風はぴたりと止んでいた。空気が張りつめている気がした。
確証はないが、何かが起こる前触れのような気がしてならなかった。
あの、両親を失った日と同じ、死の無風――。
「ナタリー様? お加減が優れないのですか?」
ミアが顔を覗いてきた直後の事である。
ヒュッと風を切った矢が、東屋の外にいた女中の顔を貫いた。微かに聞こえた頭骨を砕く音が、生々しく耳に粘りついた。
「ひっっ……」
「ぎゃっ!!」
矢の雨が降りしきった。女中らの胸に、腹に、足に、次々と空から落ちてきた矢が刺さった。
ナタリーとミアは無事だった。
東屋の屋根が矢を止めた。弾かれて地面に落ちた矢もあった。
「いや……あ……」
ミアが震えた手でナタリーにしがみついた。真っ青な顔で、ぼろぼろと涙を流している。
背中に矢を受けて倒れた女中が、手を伸ばしているのに気付いた。
「た……すけ……て」
一旦、矢の襲撃が止んだ。
「こっちよ!!」
ナタリーはミアの手を振り払い、東屋から飛び出した。
今、何が起こっているのか見当もつかないが、急いで避難しなければならないのは確かだ。
「早く!! 急いで!!」
とりあえず東屋に入れば、再び矢が飛んできてもそれからは逃れられる。しかし、背に刺さった矢は思いのほか深くにまで達しているらしく、女中はなかなか立ち上がることができない。
「ミア!! 手伝ってミア!!」
ナタリーは大声を発した。
妃候補として慎むことを心がけていたナタリーが、初めてミアに強く当たった瞬間である。
泣き崩れていたミアは、驚きに身を縮め息を呑んだ。泣いていたことも忘れて我に返ると、不安げに辺りを見回して立ち上がった。
「急いで!! 早く手伝って!!」
協力者のいる前提で、ナタリーが女中の片側を担ごうとした時だった。
「ミア、待って!! 手を貸して!! ミアっ!!」
ミアは、ナタリー達を見捨てて逃げたのだ。




