報奨金
その日、イザヤは後宮監督官の執務室に居た。
監督官の執務机のはす向かいに、新たに次官の机が設置されている。
次官は名ばかりと言えど、いかなる職務を担っているかは覚えておくべきであると、監督官はイザヤに学習させていたのだ。
「帳簿の見方は、大体分かったかい?」
「帳簿のつけ方は教えてもらっていたのですが……」
イザヤは、机上に置かれた数十枚にも及ぶ羊皮紙を睨んでため息を吐いた。
妃の宮は、生活費用の予算が決められている。侍女達の人数、使用したキャンドル数、冬には床暖房の炉にくべる薪、食器、調度品、寝具など、必要経費と認められるものが記録された帳簿を、それぞれの宮から侍従が提出してくるのだ。
「不正を見つけるのは難しいか?」
監督官はイザヤが悩んでいるのを見て、満足気に笑った。
容易に見抜けるものではないからこそ、経験が必要なのだ。長年の経験があれば、直ちには見抜けずとも、些細な違和感に気付くことがある。
「はい。先ずマケイラ様だと、侍女達の人数も多いので、規模が大きすぎて分かりません」
「ははっ。やはり自分の宮が気になったか。心配せずとも、マケイラ様に不正はない。皇帝陛下から賜る夜伽の報酬は莫大だ。そんな、せこい真似はしない」
「なるほど。しかし、小さな宮でも難しいのは同じですね。規模に応じたおおよその必要量と見比べても……」
イザヤは一先ず、羽ペンをペン立てに挿した。
同規模の宮のキャンドル数をいくつか書き出してみたが、どこも数が違うので誤差の適用範囲さえ想像がつかないのである。
監督官はイザヤの机に広がった数十枚の羊皮紙の中から一枚を取って、イザヤの目先に突き出した。
「私はクロエ妃の宮が怪しいと思っている」
「どの数字が怪しいのですか?」
「それはまだ分からないが、何か違和感がある。それに、古参より新参の妃に目をつけろと言うのが古くからの教えだ」
それからイザヤは宮仕えを終える度に、毎晩、執務室を訪れた。
監督官は「熱心だな」と、はじめの内は感心したが、五日を過ぎたあたりから「根を詰めるな」「本職ではないのだぞ」と、中断させようとした。
なぜなら、朝の執務室で、イザヤが机に伏せて寝ている事が多々あったからである。一つのことに没頭すると凄まじい執着心だなと監督官は思ったが、このままでは体を壊さないかと心配になった。
「キャンドルの浪費になるから、帰って寝なさい」
そう言えば帰るかと思ったが、イザヤは月明かりで帳簿を見ていることもあったので、監督官は折れるしかなかった。
ある日、寝不足のイザヤは、デニスとハリと水汲みに行くと、待ち時間にうたた寝をしていた。
いつものように水場の縁に腰をかけて足を浸し、水がめに水が貯まるまで雑談をしていたのだが、ゆらゆらと頭が揺れていたイザヤはとうとうデニスにもたれかかって目を覚ましたのだ。
「お前、大丈夫か?」
顔色の悪いイザヤを案じてデニスが訊くと、イザヤは虚ろに呟いた。
「ああ、悪い……寝そうになってた……」
「いや。存分に寝てたんだが」
「え……寝てたか?」
デニスとハリは目を見交わした。
「自分が寝てたかどうかも分からないっておかしいぞ。本当に大丈夫か?」
ハリが困惑して訊くと、デニスが同感だとばかりに頷いた。
「まぁ……寝てたみたいだな。少し楽になったよ」
イザヤは顔を洗った。頭が冴えた気がした。
「ところで、二人に訊きたいことがあるんだ」
満杯になった水がめと空の水がめを交換しつつ話した。
「例えば、俺がデニスに金を渡してパンを買ってきてくれと頼んだとする。デニスはパンを買ったが、金は余らなかったと言った。しかし、実は余った金を横領したんだ。その証拠がない時、どうやってそれを暴く?」
デニスは「何故、俺に例えたんだ」と冷めた顔をしたが、ハリは「お!!」と、ひらめいた顔をした。
「よし。言え、ハリ」
「デニスを殴って吐かせる!!」
「ダメだ。はい、次」
次はデニスが閃いた顔で、ぐっと拳を握った。
「デニス。良案を頼む」
「パン屋に訊く!!」
「あー、パン屋は口裏を合わせてるかもしれないんだ。パン屋からも証拠は出なかったという前提で考えてくれ」
「難しいな……」
デニスが呟くと、ハリがすかさず「パン屋を殴って吐かせる!!」と得意げに言った。
「お前は殴ってばかりだな……」
「じゃ、デニスの後を尾ける!!」
「もう終わったことなのに尾けても無駄だろ」
イザヤは呆れたが、仕方ないかと思った。
詳細を省いた説明に、難解な答えが返ってくる筈がないのだ。
「俺の問題に付き合わせて悪かった。もう少し自分で考えてみるよ」
そう言うと、デニスが「無理はするなよ」と肩を組んだ。
「難しい問題だと思うが、実際ハリの言った通り、証拠がないなら自白しかないと思うし、尾行もいい考えだと思うぞ。悪事は成功したら、何度も繰り返す奴の方が多いからな」
その言葉にイザヤは思うところがあった。
難しく考えすぎていたのだと思った。
イザヤがクロエ妃の宮を監視するのは無理があるが、代わりの人物を用意すればいいだけだと気付いたのだ。
そして、クロエ妃の女中を一人買収した。
小姓の給料に加えて次官の給料も入るようになったので、一人の女中を密偵に変えるのは容易いことであった。
その女中は、よい働きをした。
クロエ妃は、調度品が壊れたとか、食器が割れたことにして、それらを売っていると突き止めた。
デニスが言った通り、悪事は繰り返されたのだ。
イザヤは監督官から兵士を借りて、クロエ妃の宮を強制的に捜査した。
売り飛ばす為に隠していた金の燭台や、ガラスのゴブレット等、数点を押収し、クロエ妃に自白させた。
彼女の父は議員で、父は妃選定会議の票を集める働きをして娘を妃に押し上げたが、妃とは皇帝に所望される見込みがあるという名目だけで、実際に皇帝の手がついた妃は数少ない。
無論、クロエ妃も夜伽の報酬を稼げる立場では無く、ドレスを買う金が欲しかったと言った。
彼女の実家は決して貧乏ではないが、入宮時に揃えたドレスや装飾品に大金を注ぎ込んだ為、父を頼ることが出来なかったのだと。
ならばドレスを欲さなければいい話だが、妃になったからには他の妃達と足並みを揃えなければ、自分は認めてもらえないと思ったらしい。
クロエ妃とそれに加担した侍従は追放となり、彼女の父は罷免、実家の財産は没収になった。
そして、横領を突き止めたイザヤには、クロエ妃の財産の一部が報奨金として支給されたのであった。




