予言
静寂の中、ぽたぽたと滴る水音が響く。
額がひやりとして、まどろみから覚めた。
この感触は、かたく絞られた冷たい布だと気付いたとき、視界から手が遠ざかっていった。
「ナタリー様!! 気がついたのですね!!」
手の主はゾーイだった。
「ああ、良かった。本当に良かった。あ、待っていてくださいね。セミル大神官を呼んできます」
パタパタと遠ざかっていく足音を聞きながら、ナタリーは漆喰が塗られた高い天井を虚ろに見つめた。
ここはどこだろう。
セミル大神官の名を片隅に置きつつ、ゆっくりと周囲に目をやった。
とても広い空間に、沢山の無人のベッドが整列している。その数は二十くらいだろうか。
そこは神殿の病室だった。
やがてセミル大神官がやって来た。
セミル大神官は先ほどゾーイが座っていた木の椅子に腰を下ろすと、今しがた額に置かれたばかりの布を取って、手のひらで体温を確かめた。
「まだ、熱がありますな。外傷は見当たらないが、どこか……」
そう言いかけたセミル大神官は、ナタリーの顔を見て動揺した。
ナタリーの目から、ぼろぼろと涙が溢れていたのだ。
「どこか痛むのかね?」
「頭が……割れそうに痛いんです……」
「ああ、そうか。冷やそう。それがいい」
セミル大神官は狼狽えている。
ゾーイは「花瓶が当たったのですか!?」と問いつつ、セミル大神官から受け取った布をもう一度水に浸した。
「いいえ……当たっていないわ……」
ナタリーはゆっくりと体を起こした。
「起きあがっては辛いでしょう」
セミル大神官がそう言ったが、ナタリーは頭を振った。
「大丈夫です。二人に話さなければならないことがあるので……」
余韻で泣きだしそうになったが、ナタリーは呼吸を整えて涙を手で拭った。
「今、話さなければならないのか? 少し落ち着いてからの方がよいのでは……」
「いいえ……。突然のことで整理がつかなくて……忘れてしまわないうちに話さないと……」
セミル大神官もゾーイも、ナタリーは混乱しているようだと気付いていたが、ひとまず言葉の続きを待った。
「私……未来を見たわ……」
「ん?」とだけ発したセミル大神官は、脇に立っていたゾーイを見上げた。
ナタリー様は何を言ってるんだ? という目でゾーイに助けを求めたのだ。
しかし、ゾーイにもナタリーの言葉に心当たりはなかったので、わかりませんという顔で頭を振った。
「ああ……。何を言いだしたんだって思うわよね……。私が頭を打っておかしくなったと思っているでしょう?」
「いやいや、そんなことは……」
セミル大神官は狼狽えた。
「「やはり落ち着いてから……」」
セミル大神官とナタリーの声が重なった。
思わず、セミル大神官とゾーイは目を見交わした。
「信じられないのは分かる……。けれど事実なの。大神官。花瓶を落としたのはミアですね?」
セミル大神官は、驚愕して口籠った。
「え……? それは大神官が手を滑らせたのでは……」
ゾーイは、信じがたい様子でセミル大神官を一瞥した。
「大神官はミアを庇ったの。でも、これは事故よ。ミアは落とすつもりじゃなかった。この事を掘り起こすつもりはないから、ゾーイも表沙汰にはしないでね」
「え……と。ナタリー様が望むなら、それに従いますが……」
ゾーイが不満げに応えると、セミル大神官は諦めたように口を開いた。
「返す言葉もないよ。馬鹿な姪で申し訳ない……しかし、未来が見えたと言うのは……」
セミル大神官は半信半疑である。
「見えたから、花瓶が落ちてくるのが分かったんです。それで避けることが出来たんですが……それから様々なことが見えて頭の中がいっぱいで……今もまだおかしくて……」
ナタリーはこめかみを揉んだ。
頭痛は外因的な痛みではなく、情報量が多すぎるせいで、頭の中を何かが這い回っているような得体も知れぬ感覚なのだが、それが辛くて何かせずにはいられないのだ。
「あぁ……。大神官は、私の髪飾りを持っていますよね。内廷への侵入者は私だと知っていたのに黙秘してくださったこと、本当に感謝しています」
「え……」と、声を発したのはゾーイだった。
セミル大神官は理解が追いつかず、手のひらで口を拭った。
「あの時、ウーゴ神官に治療していただいたのが彼女、ゾーイなのです。ウーゴ神官にも感謝の言葉しかありません。お二人のおかげで、私とゾーイの命は助かったのだと思っています」
セミル大神官は、何と答えればいいのか分からなくなっていた。
ナタリーが「信じていただけましたか?」と訊くと「いやいや」と首を振った。
「夢を見てるみたいだよ……。しかし、アサイ族の能力は予言の能力だと聞くが、過去まで見通せるのかね?」
「いいえ。過去は見えません。未来が見えれば過去を読めると言うか……。それに予言は……未来を大きく変えることになるので、遠い未来の予言をすれば必ず外れます。当たっていると信じてもらうには、私が知らないはずの話をするか、少し先の未来しか話せないのです」
「なるほど。確かに今聞いたのは、普通ならナタリー様が知る筈のない話だ。しかし、何らかの手でそれを知ったと疑うことも可能だ。ほとんど信じているが、まだ八割と言ったところか……」
セミル大神官が言うと、ナタリーは分かっていたかのように頷いた。
「では、少し先の話を……。もうすぐイザヤが大金を手に入れます」




