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6番目の妃候補に捧ぐ最期の口づけ  作者: sen
第二章 イザヤの出世とナタリーの覚醒

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セミル大神官の葛藤

 内廷への侵入者。

 それは、今や鮮度の落ちた響きだが、セミル大神官がその秘密を守り続けて、もう五年が経つ。

 当時は、それを告げるべきかと散々悩みあぐねたが、彼が腹を括(くく)ろうと決心したのは、ナタリーがほぼ毎日のように神殿を訪れていたからだった。

 そもそもセミル大神官は、儀式日に早着するマケイラ妃に一目置いていたのだ。その中で考えを改めることになったのは、ナタリーが儀式の参加に消極的だったことが発端であった。

 一度、その理由をナタリーに訊ねたのだ。

 ナタリーは「儀式は大事だと分かっているのですが、雑念を感じるより一人で静かに祈る方が集中できるのです」と答えた。


 雑念とは……。


 セミル大神官は思い当たって失笑した。

 確かに、他の妃達は信仰心から儀式に参加しているわけではない。信仰する姿を皇帝に見せつけたくて参加しているのだ。

 ナタリーは、その邪(よこしま)な思いを感じとってしまうのだろう。


 そして、それを境にマケイラ妃の信仰心を疑うようになった。

 彼女は儀式日しか神殿に来ないのだ。

 他の妃達より、はるかに狡猾に、早着する姿を皇帝に見せているだけでは? という思いが過(よ)ぎった瞬間から、マケイラ妃の輝きは失せて見えた。

 セミル大神官は、皇帝の評価など気にせず静かな祈りを望むナタリーを、どうしても守ってやりたいと思ったのだ。


 そんなセミル大神官の思いとは裏腹に、姪のミアはナタリーを蔑んでいた。

 マケイラ妃にとってナタリーは、アサイ族だから、かろうじて覚えているだけの存在でしかない。そんな彼女の認識が、ミアには悪く作用したのだろう。

 一時はナタリーこそ主人であったのに、却(かえ)ってその経歴がミアには邪魔なのかもしれない。


 ある日、神殿の廊下でナタリーとミアが出くわした時、ミアは正面で向き合って一礼した。

 ナタリーは眉をしかめた。

 宮殿には、身分が上の者の通路を絶ってはもしくは通路を遮ってはいけないという規律がある。宮仕えの長いミアが、それを忘れる筈がない。

 元々、ナタリーの侍女であった時から、ミアの忠誠心の無さは透けて見えていたが、それでも表面上は礼儀を尽くしていたのだ。マケイラ妃に仕えたことで手のひらを返すような態度をとれば、不信感しか生じないのは当たり前である。

 ナタリーの後ろに尾(つ)いていたゾーイは耐えかねてナタリーの前に出た。


「ミア。無礼よ。道をあけて」

「失礼しました」


 足の爪先を見つめていたミアは、一瞬、顔をあげるか躊躇ったが、再び一礼しなおして廊下の端に寄った。

 ゾーイに注意されたことで気を悪くしたのは明らかだった。


「それに、今はもうナタリー様の侍女ではないんだから、出会ったら敬礼すべきだわ」


 ゾーイが追い討ちをかけると、ミアはとうとう忍耐に限界が来たのか、へつらう姿勢を止めて顔を上げた。


「ゾーイ。侍女になったからって偉そうにしないでって何度言えば分かるの?」

「なっ……!? あなた正気なの? ナタリー様の前なのよ。口を慎んだらどうなの」


 ゾーイは怪訝(けげん)な顔をした。

 ミアの態度には慣れているが、場を弁(わきま)えない馬鹿さ加減に心底呆れたようだった。

 しかし、ミアは「ナタリー様の前だからって何よ」と、鼻で笑った。


「私は他の女中(メイド)とは違うの。マケイラ様の女中(メイド)なの!! 私の方があなたより上でしょ!!」

「何を言ってるの? 女中(メイド)は女中(メイド)よ。それに、こんなことは言いたくなかったけど、ミアはマケイラ様から罰を与えられてばかりでしょ。役立たずだって皆言ってるんだから、もう自慢するのはやめたら?」

「何ですって!? 役立たずって、誰が言ってるのよ!!」


 ミアがゾーイの襟元を掴んだ時、セミル大神官は声を上げた。


「これ!! 聖なる神殿で騒ぐでない!!」


 セミル大神官は廊下の先に居たのだが、常日頃から祝詞を捧げている声はよく通った。

 手を離したミアは、振り返らずとも声の主を確信したらしく、その顔は穏やかではない。

 ナタリーは、セミル大神官が迫り来るのを待たず、腰を低くした。


「大神官。騒ぎを起こして申し訳ありません。侍女には私から言い聞かせます」


 侍女の不始末は、主人の不始末である。

 このような場では侍女に発言権はなく、ゾーイはナタリーに謝罪させてしまったことを、ただひたすら悔いつつ黙っているしかない。

 ようやくナタリーの目先に来たセミル大神官は、萎えたミアとゾーイを見極めると「ふむ」と一息ついた。


「大方、姪が要らぬ発言をしたのでしょう。こちらこそ申し訳なかった」


 ミアが咄嗟に顔を上げた。


「叔父様っ。私じゃないわ!! 先にゾーイが……」

「黙りなさい!! 私(・)が(・)ナタリー様と話しているんだ。それとも、この責任をマケイラ様に負わせるつもりか?」


 セミル大神官が厳しく言うと、ミアは「そんなつもりじゃ……」と、語尾を小さくして縮こまった。

 マケイラ妃の名を出したことで、その場はおとなしくなったが、ミアはそのまま引き下がる質(たち)ではなかった。

 二階の回廊から、ナタリーとゾーイが礼拝を終えてその下を通るのを待ち構えた。ゾーイに水を浴びせてやろうと思ったのだ。

 そこへ執務室に行こうと思っていたセミル大神官が通りかかった。

 ミアが花の挿されていない花瓶を手に、回廊から半身を乗り出して、階下(した)の様子をうかがっている。

 セミル大神官は、先の経緯からミアの思惑が何となく読めた。


 ミアは、何故こうも後先考えずに行動するのか……。


 馬鹿な子ほど可愛いとは言えど、限度というものがある。


「ミア!!」


 説教してやらねば。という怒りの声が出た。

 ミアは驚きに体を縮めた。

 事故であった。ミアは花瓶を手離すつもりはなかったのだ。動転したせいで手が滑った。

 セミル大神官は、花瓶が割れた音を聞いてすぐさま回廊に駆け寄り、階下(した)の様子を確かめた。

 ゾーイに覆いかぶさるようにしてナタリーが倒れている。


「何てことだ……」


 肝が冷える思いでセミル大神官が呟くと、その腕をミアが力強く掴んだ。


「そんなつもりじゃなかったの」


 ミアはさらに動転して顔面蒼白になっている。


「叔父様、お願い!! 私がやったと言わないで!!」

「お前は、こんな時まで……!!」


 こればかりは黙っておれぬと思い、ミアを叱責しようとすると「ナタリー様!?」と、ゾーイの叫ぶ声がした。

 再び階下(した)を見下ろしてみると、下敷きになっていたゾーイは体を起こしており、目の開かないナタリーの体を揺すっている。


「これはいかん……」


 急ぎ階段へ向かおうとすると、ミアは反対に背を向けて逃げ去ってしまった。

 セミル大神官は、一瞬それを制止しようかと足を止めたが、ゾーイがナタリーを呼び続けているので、やむを得ず階段へ急いだ。


「当たってしまったのか?」

「いいえ。ナタリー様は花瓶が落ちてくる前に気付いて私を庇ってくれたので当たっていない……と思ったのですが……」


 当たっていないですと言いかけたが、横たわったナタリーが全く起きる気配がないので、ゾーイは最後で曖昧にした。

 意識がないということは頭に当たってしまったのだろうか。

 セミル大神官は瘤(こぶ)が出来ていないか隈(くま)なく診(み)た。

 しかし、どこも腫れていないし怪我を負った様子もない。

 割れた花瓶の周りは水浸しになっているが、ナタリーとゾーイはドレスの裾が少し濡れている程度で、水をかぶった様子はない。

 ゾーイが言うように、やはり当たっていないのかと考えるが、ならば、なぜ気を失っているのか見当がつかない。

 やがて、騒ぎに気付いた神官らが駆け寄ってきた。


「誰か、担架を持ってきてくれ!!」


 セミル大神官は指示したのち、震えるゾーイの背中をさすった。


「一先ずベッドに運ぶ。皇太后陛下に、ナタリー様は今日は後宮に戻れないと伝えてきなさい」

「分かりました。しかし、なぜ花瓶が?」


 セミル大神官は息を呑んだ。

 ゾーイは皇太后陛下に経緯を説明せねばならぬのだ。当然、花瓶が落ちてきた理由についても問われることになる。分からないと言えば、皇太后はナタリーを案じて調査を命じるだろう。


「すまない。手を滑らせたのだ……」


 ゾーイは顔を曇らせた。


「誰が、ですか?」


 食い入るような眼差しが痛く、セミル大神官は視線をそらして唇を噛んだ。

 ミアだと言おうとしたが「私だ」と無意識に口にしていた。



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