審判権と後宮監督次官(一)
後宮監督官は、後宮を総括する皇太后とは別の権限を持ち、後宮の運営や管理を任されている。
後宮内の人事権は皇太后にはあるが後宮監督官にはなく、兵権は後宮監督官にはあるが皇太后にはない、といったように、それぞれの持つ権限が異なるので、ときにぶつかり、ときに協力し合って、後宮の秩序を守っている。
その後宮監督官の持つ権限の一つに、後宮内の争いや事件を解決するという審判権がある。
審判権を行使するうえで決められていることは、外部の圧力に負けぬことだ。いかなる者からの指揮や干渉も受けてはいけない。中立公正な立場で事件を解決することが義務付けられている。
仮にマケイラ妃が事件を起こし、皇帝が無罪にしろと命令してきても、それに従ってはいけないのが審判権なのだ。
しかし、暴君の現皇帝に逆らえば殺されそうなので、もし皇帝が干渉せざるを得ない事件をマケイラ妃が起こすようであれば、自分の命をかけてまで審判権を行使するつもりはない。選択肢は、黙認か退職だろう。
ところがありがたいことに、マケイラ妃自身が公になる事件を起こしたことはないので、これまで審判権の義務に怯えたことは一度もないのだが、実のところマケイラ妃の小姓イザヤに少々問題があった。
マケイラ妃の命令でイザヤが外出した回数は、もう両手足では数えきれない。
イザヤは街に出ると、必ず後宮監督官への土産を持ち帰った。賄賂でもなく、それに見返りを求めるわけでもない。ただの土産なのだ。ゆえに後宮監督官はそれを受け取るしかなかった。
しかし、それが毎度ともなると、流石におさまりが悪くなってくる。
後宮監督官は、いつか頼みごとをされるのではと常々身構えていたが、一年待ってもイザヤが何かを頼んでくることはなかった。
ある日、後宮監督官は堪えきれずに口を開いた。
何が望みなのだと訊ねたいくらいだった。
「いつも感謝しているよ。しかし、私に返せるものはない。知っての通り、君のように外出が叶う立場ではないのでね」
そう前置きした上で「私に出来ることはあるかい?」と訊いた。
「そう畏まらないでください。監督官が仰ったように私は外出が出来ます。その外出許可証を発行しているのは監督官です。せめて土産を持ち帰れば、外の様子を味わえるのではと思っているだけです」
「しかし……」
「他意はありません。ただ喜んでいただければ結構です」
イザヤは軽く一礼した。
礼儀作法はマルクス侍従を見習っているのか、背筋の伸びた姿勢に気品が出てきたな、と後宮監督官は思った。
イザヤは他の宮の小姓と衝突することがよくあったのだ。
落ち着き払っている今の姿だけを見れば、騒ぎを起こすようには見えないのだが、これほど別人を装えるということは巧妙に人を騙す才能があるのかもしれないなと思った。
イザヤが初めて騒ぎを起こしたのは、いつであったか……。
野次馬に経緯を訊くと、はじめは侍女と小姓の口論だったと言う。
そこへイザヤが仲裁に入ったが、その小姓がイザヤを突き飛ばしたのだ、と。そして危うく殴り合いに発展しかけたところを周りの者で制止したということであった。
後宮監督官はイザヤには罰を与えず、他の宮の小姓にだけ罰を言い渡した。
イザヤから常に土産を受け取っている後ろ暗さはあったが、処罰の決定に私情を持ち込んだつもりはなかった。良心に従い、公正な審判を行った筈であった。
しかし翌日、後宮監督官の執務室にイザヤが訪れた。
迷惑をかけたお詫びだと言って、純金の腕輪を渡された。細くて装飾のないシンプルな物だ。高貴な妃達の腕輪には及ばぬが、それでもただの後宮監督官には身に余る品だった。
「いや。これは受け取れない。君が悪くないことは聞いているんだ。気にすることはない」
「いいえ。騒ぎを起こしたのは事実です。しかし、私は処罰を与えられていません。監督官が目をかけてくださったのだと思っています。だから申し訳ないのです。どうか、私の気持ちを受け取ってください」
後宮監督官は心臓が縮み上がる思いになった。
目をかけたつもりはなかったのだ。
しかし言われてみれば、騒ぎの原因を問わず当事者双方に罰を与えるべきであったかとも思ってしまう。
「うう……ん」
見返りのようで、腕輪を受け取るには抵抗があったが、私の気持ちだと言われては拒むのも躊躇われて、しぶしぶ懐に納めた。
そう何度も騒ぎは起こすまいと思ったのである。
しかし、騒ぎは度々起こった。
しかも、毎回同じ侍女が渦中にいる。
その侍女とは、妃候補ナタリーの侍女ゾーイである。
何故だろうと思い、ある日さらに詳しく話を聞いてみた。
「クロエ様の小姓がナタリー様の悪口を言ったんです」
目撃していた女中がそう言うと、別の女中も証言した。
「そうそう。そこへナタリー様の侍女が通りかかったんです。侍女ですから、それは怒りますよ。でも、小姓は侍女にも悪口を言ったんです。女だからって舐めてるんですよ。酷いです!!」
「そうです!! あんな奴、私だって許せないです!!」
女同士が徒党を組むと怖いということは、長年の後宮勤めで知っている。
普段はいがみ合っていても、男の共通する敵が現れた途端、なぜか同調し始めるのだ。遠巻きの群れで蔑視するなどして敵を精神的に追いつめていくこともある。
力ならば負けぬのに、わりと男は精神的に脆いのだ。
「分かった。クロエ様の小姓が悪いのは分かった。それで、マケイラ様の小姓イザヤは?」
「彼は揉めてるのを見つけて走ってきました」
「お姫様を助ける王子様みたいで素敵だったよね」
「わかる!! かっこよかったよねぇ」
先ほどまで鬼のような形相をしていたくせに、今度は高い声をあげてはしゃいでいる。
後宮監督官は、やれやれと心の中で呟いた。
しかし、目撃者の証言で安堵した。公正な判断だったと確信したのだ。
一方で、ゾーイに関わる理由は全く分からなかったが、騒ぎの原因はいつも同じなので、イザヤを有罪にしたことはなかった。




