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6番目の妃候補に捧ぐ最期の口づけ  作者: sen
第二章 イザヤの出世とナタリーの覚醒

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デニスとハリ

「しかし、イザヤは残念だったな」


 デニスは、水で絞った布で首の後ろを拭きながら言った。

 貴族の息子だが三男だというデニスは、一時は近衛兵を目指していたらしく筋骨隆々の青年だ。短髪のカールヘアがよく似合っている。顔にも筋肉がついているのか丸顔だが、整った顔立ちをしているので、女性にモテそうな気がするなと思った。


 空はもう夕焼けで赤く色付いていた。

 石積みの方形の水場は、サイフォンの原理で壁に付いた管から水が流れ続けている。管の下に水がめを置いて流水を貯めるので、その待ち時間を水場の縁(へり)に腰掛けて、足を浸していた。


「残念?」


 イザヤの代わりにハリが答えた。

 ハリは顔を洗ったばかりで、肩まで伸びた赤毛から水が滴っている。


「イザヤはマケイラ様に気に入られたんだ。残念じゃないだろう」

「いやいや。これを聞くと残念だと思うぞ」

「どうかな。給料はホセ侍従よりマケイラ様の方が多くくれそうだし。もしかしたら、俺達より多いかもしれない。残念なことってあるか?」


 デニスとハリは、どちらも二十五歳らしい。二十二歳のイザヤとは年齢が近く、溝さえ埋まれば親しみやすい性格なのだと知った。


「イザヤはどう思う?」


 デニスは少年のように笑った。

 体格がいいので一見すると強面風だが、笑った顔は無邪気で、ハリが悩んでいるのを見て楽しんでいる。

 イザヤも謎を解こうと一瞬考えたが、ヒントが無かったので諦めて首を横に振った。


「実はな」


 デニスは周りに人が居ないのを確かめたはずなのに声をひそめた。

 聞き逃さないようイザヤとハリが耳を近づけると、デニスはさらに声を小さくした。


「ホセ侍従が小姓を連れて外出したんだ。行き先はどこだと思う?」


 やはり、ヒントがない。

 イザヤとハリが首を振ると、デニスは唇をなめてから口を開いた。


「娼館だ」

「本当かっ!?」


 ハリは立ち上がって驚愕した。

 その勢いで飛びはねた水まで驚いているように見えた。

 突然、大きな声を出されたので、デニスは耳に指を突っ込んで顔をしかめたが、デニスの声も平常時の大きさに戻った。


「ハリ。お前が悔しがってもお前の話じゃないぞ。そして本当だ。とりあえず座れ」


 ハリが腰を落ち着かせたのを確かめてから、デニスはイザヤの目を見つめた。


「イザヤは残念じゃないのか?」

「いや、まぁ……ここへ来るのが明日だったら、俺も行けたのになとは思う」

「良い答えだ!!」


 デニスは嬉しそうに、イザヤの頭をつかんで撫で回した。


「何だよ。やめろって」


 イザヤは抵抗する素振りを見せたが、決して嫌な気分ではなかった。

 貧しい環境で育ったせいで友人もいなかったから、このようなじゃれ合いには慣れていなかったが、心が弾むような気持ちだった。


「嫌だね。お前は分かりにくいんだよ。人間味がないと言うか……。離れたところから他人を見てる感じがするんだよな。でも良かった!! 人間だった!! ここに来て三年経ったんだろう? 人肌恋しいよなぁ」

「水を差すようで悪いが……」


 ハリが、デニスとイザヤを引き離した。


「まず、イザヤは経験があるのか?」


 ハリの顔は深刻である。


「自由に想像していい」

「いや、教えてくれよ!! 経験がないと言ってくれ!!」


 思わず笑ってしまった。


「じゃあ、ないよ」

「いや、本当のことを言ってくれ!!」

「本当のことが聞きたいのか?」

「いやいやいやいや、やっぱり言うな!!」


 ハリは分かりやすい性格だが、デニスが「こいつはまだなんだよ」と暴露した。

 ハリは十三歳で小姓になり、外出は一度もしたことがないと言うのだから、仕方のないことである。


「だが、イザヤのことが分かってきたぞ。お前は隠し事が出来る奴だな」


 デニスは太い腕を組み、うんうんと頷いている。


「そうかな」


 そうなんだろうかと思っていると、デニスは親指でハリを指した。


「で、ハリは出来ない奴」

「それは分かる」


 イザヤが即答すると、ハリが「え、何で?」と間抜けな顔を見せたので、デニスと思いきり笑いあった。


 そうこうしているうちに、いつの間にか水がめから水があふれていた。

 荷車に水がめを積み、それをハリが引いて、イザヤとデニスは押すことにした。

 水場での話は、ただの笑い話で終わったものだとイザヤは思っていた。

 しかし、帰り道の途中を過ぎた頃、デニスが口を重そうに開いた。

 先ほどとは違い、真面目な顔つきだった。


「さっきの話だが、俺も隠し事は出来ない奴だ」


 唐突に蒸し返したのは不自然だった。

 イザヤは少し考えてから口を開いた。


「何か言いたいことが?」

「ある」

「何だ?」

「俺もハリも隠し事が出来ない。だから、もし、ばれたらまずい秘密があるなら話さないでほしい」


 デニスはイザヤと目を合わせなかった。

 急に壁が出来たような発言だったが、デニスなりに悩んだ上で言おうと決心したのが見てとれた。


「もしかして……マケイラ様の直属が前例のないことだから、重大な秘密があると?」

「ないのか?」

「ははっ。ないよ。おそらく皇太后陛下への嫌がらせだ。今朝の挨拶で分かったが、マケイラ様は俺に興味が無いね」

「それは聞いてもいい話か?」

「マケイラ様と皇太后陛下が不仲なのは、誰でも知ってる話だろ」

「まぁ……そうだな。でも、気をつけてくれ。いつか秘密が出来た時は、俺のことを思い出せよ」

「ハリのことは?」

「ついでに思い出してやってくれ」


 ついでかよ、と思うと、デニスの真面目な顔が面白く見えてきて失笑した。

 すると、一人で車を引いているハリが「呼んだか?」と、振り向きざまに叫んだ。車を引く音で会話は聞きとれていないようだが、自分の名前だけは聞こえたらしい。


「呼んでない!! しっかり引け!!」


 デニスが叫ぶと「お前らもしっかり押せよ!!」と返事があった。

 それを聞いたデニスは手を離し、おどけて変な踊りを見せた。

 イザヤは笑ってしまったが「押せよ。重いんだよ」と、ハリに聞こえないように小声で言った。


「冗談だって。ま、覚えておいてくれよ」

「わかった。覚えておくから押してくれ」


 デニスの人柄のおかげで話は軽く終わったが、イザヤの心中は重かった。

 デニスの見当違いではあったが、イザヤが秘密を抱えていることは当たっていたからである。

 もちろん、ナタリーが内廷に出たことは誰にも話すつもりはないのだが……。


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