宮
「お引き立ていただき感謝いたします」
早朝、イザヤはマケイラ妃の宮を訪れた。
後宮は中心に中庭兼広間のアトリウムがあるが、それを四角で囲むように多くの宮がある。
妃候補に与えられる宮は、寝室、侍女室、居室の三室しかないが、皇帝に寵愛されれば、より広い宮へ移ることが出来る。
言わずもがな、マケイラ妃の宮は他二十名ほどの妃とは比較にならない広さで、後宮の一番奥にある皇太后宮の西隣にあった。東隣は皇后の場所と決められているので、そこが空き家となっている現在、マケイラ妃は後宮の序列二位と認定されているようなものであった。
そんな妃の宮ともなると、広い寝室には窓がある。それぞれの宮は独立しておらず全てが繋がった長屋なので、窓のない宮も多いのだ。
そして寝室の隣には、両開きのカーテンで仕切られた脇部屋があった。
初出仕の挨拶のためにイザヤとミアが通されたのは、その脇部屋だ。
そこは化粧部屋として機能しており、起床したてのマケイラ妃は寝室から移動してきたばかりで、ソファーに腰かけて目を閉じていた。
マケイラ妃の身繕いは、侍女が二人がかりで担当していた。一人は化粧で、一人はヘアメイクである。
木製のローテーブルには、薔薇の花びらから抽出した化粧水や、蜂蜜の入ったガラス瓶、様々なものが所狭しと置いてある。
化粧担当の侍女は孔雀石を砕いた粉末で深緑のアイシャドウを完成させ、木炭の粉を水で溶いて眉とアイラインを描いた。
ヘアメイク担当の侍女は、マケイラ妃の黒に近い色の髪を細かく編み込んでからポニーテールにして、金属のコテで毛先を巻いている。マケイラ妃の髪は、クルミの殻とニラを煮出した液体を塗って染められたものなので、黒というよりは濃い茶褐色だった。
そして、侍女長らしき年配の女性は、宝石箱を持って傍らに待機していた。
ミアはその光景全てに目を輝かせていたが、イザヤの挨拶が終わると、はっとして敬礼した。
「私も感謝いたします。誠心誠意お仕えします」
「その二人はマルクスに任せてちょうだい」
マケイラ妃はメイクの途中なので、目を閉じたまま侍女長に指示した。
マルクスとは、マケイラ妃の宮を管理している侍従である。
「お伝えしてきます」
侍女長が宝石箱を置こうとすると「私が代わりにお持ちしましょうか」と、ミアが一歩前に出た。
意欲ある姿をマケイラ妃に見せたいのか。はたまた宝石箱を持ちたいだけなのか。
イザヤは、頭の悪い女だなと思った。
侍女長、侍女、女中には、役目に見合った仕事があるのだ。侍女長の仕事を女中が取って代わろうなどとは、おこがましいにも程がある。
「お前っ……女中ごときが出しゃばるとは――」
侍女長が叱ろうとすると「いいわ」と、マケイラ妃が遮った。
知らぬ間に目を開けていた彼女は、ミアを検めている。
「任せるわ。持ちなさい」
ミアは浮かれたが、イザヤは釈然としなかった。
侍女達が目を見交わしたのを見落とさなかったのだ。
彼女達は無表情であったため、何が起こるのか予想もつかなかったが、ミアは厳しい洗礼を受けそうな予感がした。
侍女長は咳払いすると、宝石箱をミアに渡し「貴重な物だから決して落とさないように」と告げて部屋を出た。
マケイラ妃の傍らに立ったミアは、喜色に満ちた顔で背筋を伸ばしていたが、イザヤは警戒心を解けなかった。自由を奪って危害を加えるつもりかと思ったのだ。
しかし、しばらくしても何事も起きず、やがて侍女長がマルクス侍従を連れて戻った。
誤解だったか?
イザヤは腑に落ちなかったが、マルクス侍従に連れ出されたので、忘れることにした。
「名はイザヤだったな。私のことは?」
マルクス侍従は紳士的だった。
物腰の柔らかさに、大人の余裕を感じる男だ。白髪が混じりはじめた頭さえ洒落て見える。
「もちろん存じ上げています。マルクス侍従」
イザヤが一礼すると、マルクス侍従は満足したようにうなずいた。
彼が世話をしている小姓は貴族のみである。
ここで言う世話とは雇用のことだ。宮廷では、侍従が直接小姓を雇って給料を支払うことになっているのだ。
勿論、平民より貴族の小姓を雇う方が多額となる為、貴族の小姓しか世話をしないという時点でマルクス侍従が高給取りなのは誰もが分かることだった。
「ところで、私の所属はどうなるのですか?」
イザヤは疑問だったことを訊ねた。
イザヤの世話人、つまり雇い主はホセ侍従なのだが、給料を誰からもらえばいいのか気になっていたのだ。
「君はマケイラ様の直属になったそうだ。ホセ侍従にも了解を得ている」
「えっ!? 妃が小姓を雇えるんですか? 初めて聞いたのですが……」
マルクス侍従は「私もだよ」と苦笑した。
マケイラ妃が「任せるわ」と丸投げしたので普段の業務はマルクス侍従が指示するが、もしマケイラ妃の指示があれば、そちらを優先しろとしか言えないということだ。何しろ前例がない。
マルクス侍従の小姓二人も、はじめは戸惑っていた。
後宮担当の小姓は、女中には不向きな労働を担当するのだと知ったが、初めて後宮で働くことになったイザヤには、水がめに水を汲むのも、ゴミを捨てに行くのも、高所作業のためのハシゴを探すのも、教えてもらわなければ場所も道具の置場も分からない。
貴族は平民を冷遇しがちだが、戸惑われつつも仕事を一日中教えてもらえば、当然、会話も増える。
重労働が終わりに近付いた頃には、イザヤと二人はすっかり打ち解けていた。




