9話 王女エリザベスの不調(王都・王女視点)
「あら、今日もあのまずい食前ゼリーや食後の薬湯はないのね。急に見なくなったのは、どうしてかしら?」
私室に朝食を運んできた侍女が、気まずそうにエリザベスを見る。
「怒らないから、理由を言いなさい」と促して、ようやく侍女は口を開いた。
「……あのゼリーや薬湯はお辞めになったジゼル様が準備しておいででしたから、誰にも作り方がわからないのです」
「あの平凡聖女が……。そういえば、そうだったわね」
数日前にジゼルを追い出してから、全く思い出すことがなかったから忘れていた。
「同じ物を殿下がご所望でしたら、なんとかできないかと厨房に相談して参りますが、いかがなさいますか」
「理由が気になっただけだからいらないわ。味はどれも美味しいし、文句があるわけではないもの」
そう答えながら、ふと思いつきを口にする。
「でもそうね、食後に果物にクリームをかけたものを食べたいわ。それと、午前中のおやつの時間にバターの香りがするフィナンシェも食べたい気分よ」
「ではそのように伝えに行って参ります」
侍女は一瞬驚いた表情をしたものの、すぐに厨房へと向かう。
これも、今までならジゼルに反対されたことだ。
甘い物は一日に一度だけ。
好きな物を好きなだけ食べると体に悪いからと、ジゼルは専属聖女を命じた父である国王の名を盾に、エリザベスの日常に細かく口を出していた。
(私も、もう健康になったのだもの。あの平凡聖女もいないのだし、これからは好きな物を好きなだけ食べるわよ!)
早速、用意された朝食から好きな物だけをつまんでいく。
今まで律儀に食べていたサラダなんて、口にしない。
卵やハムといった好きな物だけを食べるのだ。
その上で、パンにはたっぷりとバターとジャムをつけ、甘さを堪能する。
ジゼルの代わりに新しく雇ったルイーズも「バランス良く食べてください」なんて口うるさく言うことはない。
(ルイーズも何も言わないわ。ということは、きっと今まであの平凡聖女が間違っていたのね)
そうしている間に、厨房にやった侍女が戻ってくる。
しかもエリザベスが注文したものの他に、小さなケーキが美しく盛り付けられた皿も準備されていた。
「なんて気が利くの!」
美味しい物は美味しいうちに食べなくては。
エリザベスは食事をやめ、デザートに取りかかった。
そうした日々を一月も過ごすと、徐々にエリザベスは不調を感じるようになっていった。
具体的には、少しのことでイライラしたり、眠りが浅くてよく眠れなかったりする。
体型も少し崩れてしまったかもしれない。
直視したくはないが、コルセットを身につける際に少しだけ苦労するようになったのだ。
(ルイーズもいるのに、どうしてかしら?)
もしかしたらまだ侍女としての仕事に慣れず、ルイーズは実力が出せていないのかもしれない。
そんなある日、エリザベスのもとにお茶会のお誘いがあった。
(公爵家に嫁がれた叔母様からだわ!)
ラルストン公爵家にはエリザベスの従姉妹にあたる、年の近い令嬢――マルヴィナがいる。
彼女は性格がきつく、エリザベスとはあまりそりがあわないものの、可愛がってくれる叔母様のことは好きだ。
「参加のお返事を書いておいて。後で確認するわ。くれぐれも叔母様に失礼がない文面で頼むわよ」
手紙の草稿を侍女に命じ、自分はドレスを選びに向かった。
五日後。
エリザベスは、お茶会の会場となるラルストン公爵家に向かった。
玄関ホールで出迎えてくれた公爵夫人とその娘のマルヴィナは、エリザベスを見て一瞬動きを止める。
(どうかしたのかしら?)
その疑問を尋ねる前に、すぐに叔母達が口を開く。
「失礼いたしました。エリザベス殿下、本日はよく来てくださいました」
「叔母様、本日はお招きいただきありがとうございます。今日の催しを楽しみにして参りましたの」
「嬉しいですわ。どうぞお楽しみくださいませ。ところで殿下はどこかご調子がお悪いのですか?」
「そんなことはありませんわ」
公爵夫人は首を傾けているが、マルヴィナに促され、会場となる部屋へと通された。
既に招待客は揃っており、エリザベスの姿を見てざわめきが起こる。
「まぁ! あのお姿、どうなさったの!?」
「美しく可憐な妖精が……、どうして……」
ざわめく会場を静めるように、公爵夫人が口を開く。
「皆様、本日は私のお茶会によく来てくださいました。本日は隣国で流行しているというお茶を準備しております。お菓子も共に取り寄せたものですから、どうぞお楽しみくださいませ」
話題は、公爵夫人の用意したお茶やお菓子なのだが、時々招待客達から視線が向けられるのが気になった。
「殿下も、どうぞこちらをお召し上がりください」
「まぁありがとう」
マルヴィナにとりわけられたお菓子を口に含む。
隣国産の茶葉を練り込んだ紅茶クッキーと紅茶は相性が良く、これはエリザベスも取り寄せてもいいかもしれないと思う味だ。
「いい香りね。ミルクを足してみても美味しそうだわ」
エリザベスが言うと、その場が静まりかえる。
「何かいけないことを言ってしまったかしら?」
「殿下の仰るとおりですわ」
「ですが、安心しました」
「本当に」
次々に上がる声に首を傾ける。
「マルヴィナはどういう意味かわかるかしら?」
従姉妹であるマルヴィナならば、忖度なく答えられるだろう。
そう思って隣に座る彼女に尋ねたところ、返ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「ご不敬に問わないと、おっしゃっていただけるならば」
「もちろんよ。あなたと私の間柄じゃない」
「でしたら……。僭越ながら、本日の殿下のご様子が、以前とあまりにも変わられているため、もしかしてご不調なのかもしれないと思っておりました。ですが、どうやらそれは思い違いで殿下が美食に目覚められただけだとわかって安心したのですわ」
公爵夫人が咎めるようにマルヴィナの名を呼ぶが、エリザベスはそれどころではない。
「美食に目覚めたってどういう意味?」
「その、少し頬のあたりの輪郭がふっくらされていて驚いたのです。ですが、以前の儚げな妖精のような殿下も麗しかったですが、今のふっくらされたお姿も親しみがわき、お美しいと思います」
確かに鏡を見て、以前より頬が丸くなったとは思っていたが、それほどだろうか。
周囲の令嬢はと思い、視線を巡らせるが、全員が目をそらしてしまう。
皆、同じようなことを思っていたのだろう。
そうとわかって真っ青になるエリザベスに、マルヴィナは言いにくそうに声を落とし、隣にいるエリザベスだけに聞こえるように囁く。
「それと、これは余計なお世話かもしれませんが、化粧水は以前の物に戻された方がいいと思います。少々、お肌が荒れていらっしゃいます」
マルヴィナが自らの頬を触ってみせ、エリザベスが真似をすると、今まではつるんとしていたはずの頬に、何かある。
「なに、これ……」
「ニキビと言われるものです。私も気を付けなければできてしまうと、いつも母に言われておりますわ」
気の毒そうに言われたものの、もうこの場にこれ以上いることはできなかった。
「私、急に目眩が……。本日はこちらで失礼させていただきます」
「殿下。娘が失礼いたしました」
「いえ……。不敬に問わないと言ったのは私だもの。今日はこちらで失礼するけれど、また呼んでちょうだいね」
慌てて王宮へと帰り、ルイーズを呼びつける。
「殿下。いかがなさいましたか」
「いかがなさいましたかではないわ! 見なさい! この肌を!」
「……?」
わかっていないルイーズの頬を、エリザベスは扇で打つ。
「よく見なさい! その目は飾り? ここにニキビが出来ているって言われたの! ほら!」
「あ……。ですが、そのくらい、皆できますわ」
「そんなことないわよ! こんなもの今までできたことはないわ!」
呆然とするルイーズに、怒りを抑えながら言う。
「早くこれを治しなさい!」
「ですが、どうやって……」
「回復魔術を使えばいいでしょう! それにこの体型も! 太っているって言われてしまったわ! あなたがなんとかするの! 聖女の魔術ならできるでしょう!」
「え、そんなこと、できるのですか……? そんなこと、習った覚えが……」
「何を言っているの! あの平凡聖女にできることは何でもできるって言ったじゃない! 私を騙したの?」
「い、いえ……!」
「だったら、あなたがなんとかするのよ!」
だが、何度もやり直させても、体型は元に戻ることはなく、ニキビもそのままだった。
ルイーズは魔力を使い切ったから許してほしいと涙をこぼしていたが、そんなこと許されない。
泣きながら土下座し謝罪を続けるルイーズに、まずい魔力回復薬を浴びるほどに飲ませ、倒れるまで回復魔術をかけさせ続けたというのに、結果は変わらなかった。
(平凡聖女がいた時はこんなことなかったのに……。姉の代わりができるという言葉は嘘だったの?)
けれど、既にジゼルは追い出した後だ。
(ルイーズが特別無能なだけで、他の聖女なら同じことができるかもしれないわ)
丁度良く、公務として教会への視察がある。
普段なら体調が優れないと兄王子達の誰かに押しつけるところだが、実際に行ってみるのもいいかもしれない。
エリザベスが珍しく公務に行くと返事したところ、両親は喜んでおり、普段よりも寄付を多めに積んでくれたから、少々範囲外のことを聞いても許されるだろう。
しかし、現実はそううまくいかなかった。
公務の際、ベテランらしき聖女に、肌の調子を良くしたり、太らないようにする魔術はないのかと尋ねたが、彼女は意外そうに目を瞬かせている。
「流石王女殿下、私達にはない発想をお持ちですね。残念ながら回復魔術には怪我を治すことしかできないんです」
「そんなことないわよ。実際に私の侍女だった者が回復魔術を発展させて、使っていたもの。肌を整えたり、ストレスを癒やしてくれたり。美容魔術と私が名付けて毎日かけてもらっていたわ」
「まぁ! そのような魔術の使い方、私達が教わりたいくらいです! 殿下にご許可いただけるのでしたら、一日だけでもその侍女の方をこちらに派遣をして教えていただくことはできないでしょうか」
「それは……。残念だけど、彼女は家庭の都合でやめてしまったの」
「それで私にお尋ねになったのですね。本当に、残念でございます……」
期待していた分落胆は激しく、それからどんな受け答えをしたのかは覚えていない。
だが多少エリザベスが上の空でも、周りの侍女がなんとかしてくれただろう。
(あんな平凡な子が、特別だったなんて、ウソよ……。たまたま珍しい魔術の使い方をしていただけに違いないわ)
でないとジゼルとルイーズと入れ替えたエリザベスが間違っていたということになる。
(公爵と婚約をさせてしまったし、呼び戻すにもなんて言ってお父様に願えばいいのよ)
それに、またあのジゼルの平凡で陰気な顔を毎日見なければならないと思うと気が乗らない。
そんな風にずっと考えていたところ、帰りの馬車の中、ふとエリザベスは思いつく。
(そうだわ! ルイーズも同じ家の出だもの。ジゼルにはできたんだし、言い聞かせればきっとすぐに習得できるはずよ!)
今までは気合いが足りなかったから、できなかったのだ。
早速帰ったら命じようと、エリザベスは御者に急ぐよう、侍女に声をかけさせた。




