10話 平凡聖女は手紙を読む
専属聖女として公爵様に雇われ、あっという間に二ヶ月が過ぎた。
公爵様のご体調は順調に良くなっている。
今の公爵様を見て、もう誰も『骸骨公爵』などとは言えないだろう。
体を鍛えはじめた公爵様は精悍さを増し、彼が日に何度も発作を起こすほどに病弱だったと疑うことさえないはずだ。
(私も、もうすぐお役御免かしら……)
公爵様の魔力循環は改善し、今では魔術や薬草クッキーの補助を少しずつ減らしていっているところだ。
こちらも問題なく進んでおり、いずれは補助なしで日常生活を送れる日も近いだろう。
食事を栄養バランス良く取ること、体を鍛える際の注意点など、公爵様のためにやったことは全てご本人や執事のモーリスさん、料理長と共有している。
公爵様は、最近は公爵家が抱える騎士団から騎士を呼び、一から体作りの基礎を習い始めており、私にできることは日々少なくなっていた。
(そろそろ、公爵様のところをおいとまする準備を始めないと……。手続きがどうなっているか、確認しておかなくては……)
元は、婚約を解消するまでの間の契約だったはずだ。
そんなことを考えていたある日のことだった。
「ジゼル様。お手紙が届いております」
「いったい、誰から……」
執事のモーリスさんが持ってきてくれた手紙を受け取ると、宛名を確認する。
そこに書かれた名前を見て、一瞬、表情が凍り付いたのが自分でも分かった。
「あとで、確認します。ありがとうございました」
「もしお返事を書かれるなら、ミラか私に渡してください。まとめて出しますので」
わかりましたと答えて、ミラさんに手紙を読むから一人になりたいと伝える。
ミラさんは怪訝そうにしながらも、一旦部屋を下がってくれた。
ほっとしつつ、気合いを入れる。
手紙は継母からのものだった。
何が書いてあるにしても、楽しい話でないことは確かだ。
(大丈夫。もうあの家は出たのだし、私は帰るつもりはない。だから、あの人達に何もできないわ)
そう自分に言い聞かせて、手紙を開いた。
書いてあったのは、ある意味予想通りの内容だった。
王女殿下の御不興を買い、骸骨公爵に嫁ぐ私とは縁を切るということ。
除籍の手続きが終わるのを待ってからこの手紙を書いているため、既に子爵家に私の籍はないということ。
だから骸骨公爵が死んでも戻ってくるな、勝手にどこかで野垂れ死ねと書いてある。
(私、子爵家の人間じゃなくなったの……?)
読み終わってすぐに思ったことはそれだった。
幼い頃は、どれほど子爵家を出たいと願ったか。
それがこんなに簡単に叶ってしまって、むなしいような、嬉しいような、複雑な気持ちだ。
(それにもう帰るつもりはなかったけど、改めてあちらから突きつけられると変な感じね……)
ふと、手紙に水滴が落ちる。
慌てて拭くものを探し、そうしながら自分が泣いていることに気がついた。
まだ心のどこかで家族として認められたいという思いが、残っていたのかもしれない。
(あの家で、誰も私のことを家族と思っていなかったのに……。馬鹿ね……)
もうこれからは、あの家に振り回されることはないし、思い出す必要もなくなるのだ。
涙を拭い、今後のことを考える。
とはいっても、このお屋敷を出たらどこかの教会にお世話になるくらいしか思いつかない。
(公爵様にまで不要って言われる前に、そろそろおいとましたいってお伝えしてみようかしら)
今まで酷いことをされた元家族からの手紙でも、これだけダメージを受けているのだ。
優しくしてくれた公爵様に邪魔だなんて思われていたら、立ち直れない。
(公爵様に言うときは、泣かないようにしないと。お優しいから、気に病まれてしまうわ)
幸い、お給金は驚くほどにもらえている。
たった二ヶ月働いただけだが、自分一人だけであれば一年くらいなら何もせずとも暮らしていけそうだ。
さすがに今日明日出て行くつもりはないが、あと二週間もすれば公爵様は私の魔術の補助なしで毎日を過ごせるようになるだろう。
そうと決まれば、早めに婚約の件を確認して、出て行くつもりがあることを伝えておこう。
気持ちが落ち着き、今後の方針を決めたところで、公爵様に面会を申し込んだ。
その日の夕方には、面会の時間をとってもらえた。
公爵様の執務室の応接ソファに、向かい合って座っている。
「なに、専属聖女を辞めたい?」
「今日、明日ということではないですが。もうあと二週間もすれば、公爵様は私の魔術の補助なく過ごせるようになりますし、その後のことを考えておこうと思いまして」
「……この家で、何か気に入らないことがあったか?」
「いえ、私にはもったいないくらい皆様によくしていただいています」
「だが、どうして突然……?」
理由を探るようにじっと見つめられ、私は何も答えられなかった。
(捨てられる前に、出て行こうと思ったなんて言えないし……)
そもそも、これだけ公爵様の体調がよくなっているのだ。
治療が終わるからと言えば、納得してもらえると思っていた。
そんなことを考えている間に、公爵様が言う。
「そういえば、子爵家から手紙が来ていたな。あれに何か書いてあったのか?」
「どうしてそれを……」
「中身は見ていないが、念のため誰から手紙が来ていたかはモーリスが確認してくれている。これはジゼル嬢に限った話ではなく、公爵家に仕える全員に対して行っていることだ。その手紙に戻って来いとでも書いてあったのか? そうであれば、私の名で断ることができる。それとも、私では頼りないだろうか……」
なんでも相談してほしいとまで言われてしまい、さっきあれ程泣いて、出尽くしたはずの涙が再びこぼれそうになる。
「むしろ、戻ってくるなと。私は子爵家の籍を抜かれたそうです。貴族令嬢でもなくなりましたし、これ以上お世話になるわけには参りません」
「なんと……。そのような、手紙だったのか……」
絶句した後、公爵様はつらそうに顔を歪める。
「お気になさらないでください。もともと、子爵家の方々とはうまくいっていませんでしたし、あちらから言っていただけて助かりました」
「無理するななどと言っても難しいか……。だが、たとえジゼル嬢が貴族令嬢でないとしても、私の命の恩人だということには変わりがない。身分など気にせず、ずっとこの屋敷にいてくれていいのだ」
「ですが、公爵様もすっかりお元気になられました。仕事もないのに、ずっとお世話になるわけには……」
「気になるのはそこか。なら、こうしよう。私だけではなく、この屋敷に仕える者や領民達の怪我や病気の際にも、ジゼル嬢を頼らせてほしい」
しかも立場はそのままで、給金などの待遇も変えないという。
思いがけないことを言われ、私は目を瞬かせる。
「それだと私に都合が良すぎませんか?」
「そんなことはない。ジゼル嬢のように優れた聖女を招こうと思っても、すぐには見つからないことがほとんどだ。だから、出て行かれないよう手厚く遇するのは、どこの領でもやっている」
「ですが……」
「実は侍女から、ジゼル嬢が使えるという美容魔術について、機会があればもっと詳しく聞いてほしいと相談を受けていた。皆、気になっているようだから、病気や怪我ではなくとも、そういった相談があるだろう」
「そういうことでしたら、お力になれそうです」
「それに、私もジゼル嬢に頼みたいと思っていたことがある」
「私にですか?」
「ああ。今度、領地の視察に向かう。その際に、もし怪我や病気をした領民がいるなら、対応を頼みたい。患者が私だけでなくなる分、ジゼル嬢の負担が大きくなるだろう。それでも引き受けてくれるだろうか」
「もちろんです。むしろ、今後もこちらで聖女のお仕事があると聞き、心置きなくお世話になれます。どうぞよろしくお願いします」
「ああ、頼む」
公爵様は、明らかにほっとした様子だ。
もしかしたら、余程侍女達に美容魔術について聞かれていたのかもしれない。
視察は、一週間後に予定されているという。
その際に同行することを約束し、執務室を後にした。
部屋に帰ってから、婚約の件がどうなったのか聞くのを忘れていたと思い出したが、手続きが終われば知らせてくれるだろう。
そもそも子爵令嬢ではなくなったのだから、婚約自体なくなったかもしれない。
改めて確認しようとすれば、また公爵様に心配をかけてしまうかもしれないと、そちらについては一旦心の中だけで留めておくことにした。




