15話 平凡聖女は発熱する
化粧水は、最初に薔薇といくつかの草花を混ぜ、一緒に香りを抽出する方法を取ることにした。
そのため、薔薇と草花の混ぜる分量を変えて、記録しながら抽出を重ねた。
薔薇を多めにするか、他の草花を多めにするかでかなり印象は変わるため、時々私達だけではなく、侍女の皆さんにも意見を聞きながら、できるだけ多くの人に好まれる香りを探している。
「あともう少しで完成ですね! 楽しみです」
「そうだな。そういえば、ジゼル嬢はどういった香りが好みなんだ?」
「今まで抽出した薔薇のブレンドはどれも良い香りだと思いますが……?」
「完全に個人で作るとしたらの話だ」
「でしたら、もう少しだけゼラニウムの香りを強くしたものでしょうか」
「なら、売り物が完成してからになるが、残っている薔薇と草花を使って、ジゼルだけのブレンドを作ってみるか?」
「えっよろしいのですか!」
思いがけない嬉しい提案に、つい声が弾んでしまう。
公爵様はそんな私に微笑みを浮かべて頷く。
「もちろんだ。ジゼル嬢がいなければ、ここまで来るのにもはるかに時間がかかっていただろう。むしろその位の役得はあっていいと思ってな」
「ありがとうございます!」
「では、まずは最後まで、調整を頑張ろう」
そんなもうすぐ完成という目処が立ったある日のことだった。
「あれ……? もう、昼……?」
朝、いつも通りに起きたつもりだったのに、窓から差し込む光は、既に日が高いことを教えてくれていた。
慌てて飛び起きると額から濡れタオルが落ちたが、そのことに構っていられないほど酷い頭痛に襲われてしまう。
「ジゼル様! 気がつかれたのですね!」
「ミラさん……? 私、寝坊を……? 急がないと……」
「大丈夫です。どうかそのまま安静になさってください。ジゼル様は朝から熱が高く、旦那様からも今日はゆっくりおやすみなさるようにと伝言を預かっております」
「え……?」
疑問を浮かべる私にミラさんが状況を説明してくれる。
今朝、いつも起きてくる時間になっても姿を現さない私を心配して、ミラさんが様子を見に来てくれたようだ。
ミラさんはその場で発熱していることに気が付き、公爵様に伝えてくれたのだという。
私は体調がよくなるまでお休みしなければならないらしい。
「ですが、あと少しで完成なのに……」
「私を含め、屋敷の者は皆、ジゼル様のことを心配しております。どうか、ゆっくりなさってください。旦那様から聖女様はご自身には魔術をかけられないのだと伺っています。医師を呼んでまいりますので、どうかそのままお待ちください」
「……何から何までありがとうございます」
「お元気になられましたら、どうぞ旦那様にもお礼を言って差し上げてくださいね」
すぐに公爵家の侍医の診察を受け、過労と診断された。
数日、消化のよい食事を摂りゆっくり休めば治ると言われ、ほっとする。
医師の診察が終わると、ミラさんはパン粥を運んできてくれる。
「皆様に、ご迷惑をおかけてして申し訳ないです」
「そんなことはございません。それに普段あまり頼っていただけないので、私はジゼル様のお世話ができて嬉しいです。どうぞ心置きなく、休まれてください」
ミラさんの笑顔に邪気はなく、なんだか肩から力が抜けていく。
(私が気にしないように言ってくれているのかも)
そう思ったものの、パン粥を食べてお医者様からの薬を飲むと、気がつけば深い眠りに落ちていた。
◇
「寝坊しただって? この役立たず」
襟首を掴まれて、乱暴に雪の舞う裏庭に放り出される。
寒さに強ばった体では受け身さえ取ることができず、私はうっすらと雪の積もる地面に激突した。
「ごっごめんなさいっ! 明日は、ちゃんと、起きるから、だから、お願いします! お家に入れてくださっ……!」
痛みを我慢し、すぐに体を起こして裏口へと走ったけれど、今度は足でお腹を蹴られ、突き放される。
「お前の仕事はなんだかもう忘れたのか。無駄に泣きわめく前にさっさと水を汲んできなっ!」
涙を袖で拭って立ち上がり、裏庭の奥にある井戸へと向かう。
すり切れた服は、この寒さを防いでくれることはない。
今よりもはるかに小さい手でつるべを落とし、やっとの思いで水桶を井戸の縁へと持ち上げる。
とはいえ、幼い子供のすることだ。
桶には半分も水が入っていない。
その水を零さないよう、慎重に桶を抱えて裏口へと向かう。
「あれだけ時間をかけて、たったこれだけ? うちには無駄飯食らいを養う余裕はないんだよ」
桶を奪われ、汲んできたばかりの水を浴びせられる。
「……っ!」
「水瓶がいっぱいになったら、火に当たってもいい。ほら、さっさとしないと風邪をひくよ。ったく、本当にお前は役に立たないね」
桶と共に投げつけられたその言葉に、もう一度井戸の所へと向かう。
しかし、結局、水瓶を満杯にするまで一時間では終わらなくて、その後は酷い風邪を引いてしまった。
医者は呼んでもらえず、時々、継母が様子を見に来て「役立たずはまだ死んでいないのか」と罵られる。
誰もいない、しんとした屋根裏部屋で、ただ寒さに震えて薄い毛布にくるまった。
寒いはずなのに、体は燃えるように熱くなって、熱に浮かされただ目をただ閉じて必死に耐えることしかできなかった。
「誰か……けて……」
誰も助けてはくれないとわかっているのに、すがるような言葉が出てしまう。
そんな自分がバカみたいで、でも一応は血が繋がっている父親が、弱った私を見つけて助けを差し伸べてくれるのではないかと、少しだけ期待していた。
けれど結局、誰も助けてくれることはなく、私はこの後、生死の境を彷徨ったものの、一人きりでなんとか生き延びたのだった。
(そっか、これは、夢なのね……)
不意に気が付く。
確か私が五歳くらいの時に、こんなことがあったはずだ。
なんという悪夢だろう。
(どうせ見るのなら、もっと幸せな夢がよかったのに……)
けれどそんな時間、公爵領に来るまでにあっただろうか。
思い返して、これ以上悪夢は見たくないと、無理矢理に目を開けた。
「……?」
「……ジゼル? 気が付いたのか!」
ベッドの隣に、公爵様が座っている。
心配げな色がにじむ紫色の瞳にのぞき込まれ、私は思わずじっと見返した。
(これも、夢……?)
幸せな夢が見たいと思ったからだろうか。
ありえない光景にそんなことを思う。
ふと、手から伝わる温もりに、視線を向ける。
「す、すまない。ジゼル嬢がうなされていたから、手を握っていた」
ゆるく重ねられている手に、力を込める。
「ジゼル嬢?」
「夢じゃ、ないのですね……」
夢で見た光景とは関係がないのに、あの頃の私に公爵様が手を差し伸べてくれたみたいだ。
たったそれだけのことなのに、涙が出てくる。
感情の制御が効かないのは、熱が出ているせいだろう。
「なっ……!」
「すみません、怖い夢をみたので……。もう少しだけ、このまま……」
慌てる公爵様になんとかそれだけ告げると、そっと涙が拭われた。
「落ち着くまで、ここにいよう」
忙しい公爵様を引き留めてはいけないと思ったけれど、どうしても大丈夫だとは言えなかった。




