第六話 「生存者」
病院に着いたのは深夜十二時を過ぎていた。
真は正面玄関で待った。奈央は走って病棟に向かった。
「ここにいても仕方ない。データベースを見ておきます」
真は事務所に向けて踵を返した。
ナースステーションに師長が立っていた。顔が青かった。
「状態は」
「血圧が下がり続けています。意識はまだあります」
奈央は病室に入った。
ベッドに四十代の男が横たわっていた。顔色が土気色だった。点滴が三本入っていた。モニターの数値が不安定に揺れていた。
名前は佐伯といった。会社員だった。三週間前から原因不明の倦怠感と発熱が続き、二週間前に入院した。検査では何も出なかった。
奈央だけが諦めていなかった。
「佐伯さん」
男がゆっくり目を開けた。
「高瀬先生」声が掠れていた。
「少し採血させてください。痛いですが、大丈夫ですか」
男は小さく頷いた。
奈央は丁寧に採血した。通常より多めに取った。男は顔を歪めたが声を出さなかった。
「ありがとうございます。必ず原因を見つけます」
男がまた目を開けた。
「先生」
「はい」
「私、何かに刺されたんでしょうか」
奈央は手が止まりそうになった。続けて処置した。
「どうしてそう思いますか」
「あの日、新宿駅で——何かが頬を掠めた気がしたんです。蚊かと思ったが、季節が違う。それからずっと気になっていて」
奈央はサンプルを手に立ち上がった。
「必ず助けます」
それだけ言った。
廊下に出て、真に電話した。
「サンプルが取れました」
「事務所に戻っています。大学時代の共同研究者の設備が借りられることになりました。今夜中に持ってきてもらえますか」
「行きます」
奈央は師長に最低限の指示を出して病院を出た。
深夜の道を真の事務所に向かいながら、佐伯の言葉が頭を離れなかった。
——新宿駅で何かが頬を掠めた。
やはり新宿駅だった。
秋葉原の事務所に着くと、真がすでに機材を準備していた。
真はサンプルを受け取った。「専門は生化学です。ただし完全な解析には外部ラボへの依頼が必要になります。今夜分かるのは概要だけです」
奈央は椅子に座った。
真が無言で作業を始めた。モニターに数値が流れた。奈央には読めない数字の羅列だった。
一時間が過ぎた。
奈央はうとうとしかけた。
真の声で目が覚めた。
「先生」
モニターを見た。真の顔が険しかった。
「概要だけですが——出ました」
「何が入っていましたか」
真は画面を指さした。
「自然界には存在しない化合物です。神経に作用する成分が含まれている。ただし何のためのものかはまだ分からない。外部ラボの完全解析を待たないと——」
「いつ結果が出ますか」
「明後日の夜には」
奈央は立ち上がった。怒りが込み上げてきた。静かな、しかし深い怒りだった。
「人工的に作られた物質が体内にある。それだけで十分です」
「ただし——」真は慎重に続けた。「これがナノシス・ラボやアークバイオ製薬と繋がるかどうかは、まだ証拠がありません。焦って動けば向こうに手の内を見せることになる」
奈央は壁を見た。
「佐伯さんを助けるには何が必要ですか」
「体内の化合物を特定して対抗物質を作る。ただし完全解析の結果を待たなければ設計できません」
「明後日まで佐伯さんが持つかどうか——」
奈央はコートを着た。
「明後日の朝、結果を送ってください。私が対抗物質を作ります」
真は頷いた。
「先生」
「はい」
「気をつけてください。向こうはもう先生の動きを追っています」
奈央はドアを開けた。
夜明け前の秋葉原の空が少しだけ白んでいた。
「お互い様です」
第六話 了




