第五話 「装置《そうち》」
新宿駅に着いたのは午後十一時過ぎだった。
人の波が引き始めた時間帯だった。それでも構内には帰宅途中のサラリーマン、旅行客、酔客が行き交っていた。
奈央と真は改札を抜け、南口のコンコースに立った。
「どこから見ますか」
「人の流れが最も集中する場所」真は構内を見回した。「柱の根元、ベンチの下、ゴミ箱の裏——低い場所を見てください。mosquito-Xの射程は上向きより水平の方が効率がいい」
二人は別れた。
奈央は自然を装いながら歩いた。キャリーバッグを引く旅行客のふりをした。
柱の根元を見た。何もない。
ベンチの下を見た。ガムのカスと小銭が一枚。
ゴミ箱の裏に回った。何もなかった。
もう一度回った。やはり何もなかった。
三十分が過ぎた。
——南口は何もありませんでした。東口に移ります。
奈央も移動した。
東口のコンコースを歩き回った。ベンチの下、柱の陰、案内板の裏——一つずつ確認した。
二十分が過ぎた。
見つからなかった。
奈央は立ち止まった。
考えた。
清掃員が毎日巡回する。保守点検の作業員も入る。磁石で貼りつけただけの異物があれば、遅かれ早かれ誰かが気づく。
つまり——目立たない形をしているはずだ。
奈央はもう一度東口のコンコースを見渡した。
目線を変えた。
異物を探すのではなく、駅の設備に溶け込んでいるものを探す。
柱に貼りついた配線カバー《はいせんカバー》。灰色のプラスチック製だった。よく見ると——一か所だけ、微妙に色が違うものがあった。
奈央はゆっくり近づいた。
しゃがんで見た。
配線カバーに偽装した黒い装置だった。駅の設備と同じ灰色に塗装されていた。知らなければ絶対に気づかない。清掃員も保守員も素通りするはずだった。
真にメッセージを送った。
——東口の柱。配線カバーに偽装されています。
一分で真が来た。しゃがんで装置を見た。ポケットから小型カメラを取り出し、無言で撮影した。
「精巧ですね」真は静かに言った。「駅の設備に合わせて塗装してある。設置した人間はプロです」
「触りますか」
「触らない。今は記録だけでいい。他の口も確認します」
西口の非常口の脇に一つ。
北口のゴミ箱の底面に一つ。
いずれも駅の設備に溶け込むように偽装されていた。
新宿駅だけで三つ見つかった。もしかしたらまだあるかもしれなかった。
構内を出て、近くの路地に入った。
真は地図アプリに記録を入力した。奈央は手が震えていた。
「三つもあった」
「新宿だけで三つ。しかも全部、駅の設備に偽装されている。これは一人や二人でやった仕事じゃない」
「組織的に設置した」
「しかも相当前から計画していた。塗装まで合わせるなら、駅の設備図面が必要です。内部に協力者がいる可能性がある」
奈央は路地の壁に手をついた。
夜風が吹いた。どこからか蚊の羽音が聞こえた気がした。気のせいかもしれなかった。
「相原さん、無能化装置の開発はどこまで進んでいますか」
「設計は終わっています。ただし電子回路の組み立ては私一人では限界があります。知人の技術者に頼んでいます。部品が揃えば一週間で作れると言っています」
「一週間」
「その間に先生にお願いがあります」
奈央は顔を上げた。
「mosquito-Xに刺された人間の血液サンプルが欲しい。生存者がいれば——」
「います」奈央はすぐに答えた。「一人だけ。原因不明の症状で入院中の患者が。まだ死んでいない」
真は初めて表情が緩んだ。
「それは大きい」
「採血して分析すれば——」
「mosquito-Xが注入した物質が分かる。何を体内に入れているのかが分かれば、医療的な対抗手段も見えてくる。ただし分析は知人の研究者に頼む必要があります。私の専門外です」
奈央は頷いた。
二人は路地を出た。大通りに戻ると人の流れに混ざった。
その時だった。
奈央のスマートフォンが鳴った。病院からだった。
「はい、高瀬です」
師長の声が緊張していた。
「先生、大変です。入院中の——原因不明の患者さんが——」
奈央は立ち止まった。
「どうしました」
「一時間前から容態が急変しています。先生に連絡するよう言われていたんですが、電話が——」
奈央はすでに走り出していた。
「今すぐ行きます」
真も走った。
二人は夜の新宿を駆けた。
生存者が死ぬ前に辿り着かなければならなかった。
第五話 了




