第十二話 「決行《けっこう》前夜《ぜんや》」
無能化装置が完成したのは深夜だった。
真から写真が送られてきた。
スーツケースほどの大きさだった。黒いケースに収まっていた。持ち運べる。目立たない。
——完成しました。明日動けます。
奈央は返信した。
——マスコミへの連絡は今夜します。村上さんと篠田さんに伝えてください。
奈央はノートを開いた。
連絡するマスコミのリストを作った。テレビ局三社、全国紙四社、ネットメディア二社。全部で九社。
一社ずつメールを書いた。
件名は全社共通にした。
「mosquito-X——人工ウイルスによる大量殺傷計画の証拠について」
本文には概要だけを書いた。詳細は明日直接会って話すと書いた。篠田の設計図と村上の写真を添付した。
送信する前に、もう一度読み返した。
誤りはなかった。
送信した。
午前一時だった。
夜明け前に佐伯の病室に寄った。
佐伯は起きていた。
顔色が戻っていた。点滴が一本に減っていた。
「先生」佐伯が笑った。「だいぶ楽になりました」
「よかった」
「何をしてもらったんですか。急に楽になって」
奈央は少し考えた。
「蚊に刺された傷の手当てです」
佐伯は不思議そうな顔をした。それ以上は聞かなかった。
「先生、顔色が悪いですよ」
「そうですか」
「眠れていますか」
奈央は苦笑いした。
「明日眠ります」
佐伯がまた笑った。
奈央は病室を出た。
朝になった。
マスコミからの返信が六社から来ていた。全社が会いたいと言ってきた。
奈央は真に転送した。
——六社から返信が来ました。
真からすぐに返信が来た。
——今日の午後、村上さんと篠田さんと一緒に会いましょう。場所を調整します。
次に村上からメッセージが来た。
——朝倉義雄が今朝、記者会見を開きました。
奈央は画面を見つめた。
——内容は?
——高瀬奈央と相原真による企業への不正アクセスと名誉毀損について。弁護士を通じて刑事告訴すると発表しました。顔写真付きで報道されています。
奈央はスマートフォンを置いた。
十分後、病院の代表番号に電話が殺到し始めた。
師長が青い顔で飛んできた。
「先生、外に記者が来ています。病院長が——」
「分かりました」
奈央は院長室に向かった。廊下の窓から外を見ると、病院の正門前に報道陣が集まり始めていた。カメラを持った男たちが病院のロゴを背景に中継の準備をしていた。
スマートフォンが鳴り続けた。知らない番号だった。出なかった。
病院長室に入ると、病院長が立ったままだった。
「先生、これはどういうことですか」病院長の声が震えていた。「テレビで先生の顔が——」
「朝倉義雄の反撃です」奈央は静かに言った。「想定していました」
「想定——」病院長は言葉を失った。「先生、今すぐ記者会見を開いて否定しなければ——」
「否定しません」
病院長が固まった。
「今日一日だけ待ってください」奈央は病院長を見た。「明日の朝には全て終わります」
「どういう意味ですか」
「明日の朝には分かります」
奈央は病院長室を出た。
廊下に真からメッセージが届いていた。
——SNSで炎上しています。ただし想定内です。先生、今日だけ乗り越えれば終わります。
奈央は返信した。
——分かっています。午後の打ち合わせ、予定通りで。
先手を打たれた。
しかし明日の朝、全部ひっくり返す。
午後、ホテルの一室で六社の記者と会った。
村上が証言した。篠田が設計図を見せた。真がデータを提示した。奈央が医療的な分析を説明した。
記者たちは黙って聞いた。
一時間が過ぎた。
最初に口を開いたのは全国紙の中堅記者だった。三十代の女だった。
「これは本物ですか」
「本物です」篠田が答えた。「私が設計しました」
記者は篠田を見た。長い沈黙があった。
「朝倉側は今日の会見で先生方を犯罪者呼ばわりしています。それでも公開しますか」
奈央が答えた。
「するからここにいます」
記者はノートを閉じた。
「いつ公開しますか」
「明日の朝、一斉に。それまで待ってもらえますか」
「明日の朝に何があるんですか」
「mosquito-Xが止まります」
記者たちが顔を見合わせた。
誰も笑わなかった。
夜、四人は都庁の周辺を下見した。
巨大なビルが夜空に聳えていた。展望台は一般公開されていた。しかし屋上は違った。
「どうやって入りますか」真が言った。
「展望台から非常階段で屋上に出られます」奈央は図面を広げた。「鍵がかかっています。でも——」
篠田が口を開いた。
「都庁に知り合いがいます。研究の関係で。頼めるかもしれない」
真が篠田を見た。
「危険になりますよ」
「もう十分危険です」篠田は静かに笑った。
奈央は都庁を見上げた。
明日、あの上に立つ。
新宿の街が眼下に広がる場所で、ボタンを押す。
怖かった。
しかし四十一人の顔が浮かんだ。佐伯の蒼白な顔が浮かんだ。村上の涙が浮かんだ。篠田が深夜に一人で辞表を書いた姿が浮かんだ。
奈央は都庁から目を離した。
「明日にしましょう」
四人は夜の新宿を歩いた。
眠れるはずがなかった。
第十二話 了




