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mosquito-X (モスキート エックス)  作者: 八雲 海


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第十一話 「設計者《せっけいしゃ》」

女性の名前は篠田《しのだ》京子《きょうこ》といった。

 元アークバイオ製薬の主任研究員《しゅにんけんきゅういん》。専門は遺伝子工学《いでんしこうがく》だった。退職して三年、今は大学で非常勤講師《ひじょうきんこうし》をしていた。

 「いつから関わっていましたか」

 「七年前です」篠田は静かに話し始めた。「最初は普通の研究でした。新しいワクチンの開発です。朝倉会長から特命《とくめい》プロジェクトとして任されました。予算は潤沢《じゅんたく》でした。研究者として恵まれた環境でした」

 「どこから変わりましたか」

 「五年前です。プロジェクトの方向が変わりました。ワクチンを届ける新しい手段を開発しろと言われました。注射でも経口《けいこう》でもない方法を。そのためにドローン技術のチームが合流してきた」

 真が口を開いた。

 「アークテックですか」

 「そうです。最初はワクチンを効率よく届けるための技術だと説明されました。過疎地《かそち》や紛争地域《ふんそうちいき》でも医療を届けられると。私はそれを信じていた」

 篠田の目が曇った。

 「信じたかったのかもしれません」

 

 奈央は静かに聞き続けた。

 「いつ気づきましたか」

 「四年前です。ウイルスの設計を変えるよう指示が来ました。体内で緩やかに臓器《ぞうき》を侵食《しんしょく》するウイルスを作れと」

 篠田は少し間を置いた。

 「その夜、研究室に一人残りました。眠れなかった。画面に映る遺伝子配列を見ながら——これは何のためにあるのかと、ずっと考えていました。医療のためなら、こんな設計にする必要はない。人を病気にするためにしか使えない構造でした」

 「それでも続けたんですか」

 「翌朝、理由を聞きました。既存のワクチンでは対応できない新しい病気の研究だと言われました」篠田の声が低くなった。「私は——信じようとしました。信じれば続けられると思ったから」

 「断りましたか」

 篠田は俯《うつむ》いた。

 「断れませんでした。家族のことを言われました。そして——」篠田は手を見た。「研究者としての好奇心《こうきしん》が勝ってしまった。誰も解いたことのない問いを解いているという感覚が——それが一番の罪だと思っています」

 誰も責めなかった。

 

 「三年前に完成しました。mosquito-a01と社内では呼んでいました。正式な開発コードです。その時初めて全体像が見えた。これは医療ではない。これは兵器だと」

 篠田は奈央を見た。

 「先生が『mosquito』と名付けたと聞いて、少し驚きました。呼び方まで似ていたので」

 奈央も小さく驚いた顔をした。

 「蚊の食痕《しょっこん》にしか見えなかったので」

 「それは——私たちも同じでした」篠田は静かに言った。

 「その時に退職したんですか」

 「辞表を書きました」篠田は静かに言った。「深夜に一人で書きました。書きながら泣きました。自分が何を作ったかが、その時ようやく全部分かったから」

 「しかし辞表を出した翌日、朝倉会長に呼ばれました。お前が知っていることは全部こちらも知っている。家族に何かあっても知らないと言われました」

 「それでも退職できたのはなぜですか」

 「証拠を持っていたからです」篠田はバッグから封筒《ふうとう》を取り出した。「mosquito-a01の完全な設計図です。三年間、自宅の床下《ゆかした》に隠していました」

 真が封筒を受け取った。中を確認した。

 目が鋭くなった。

 「制御周波数《せいぎょしゅうはすう》まで載っています。これがあれば無能化装置の精度《せいど》が全然違う」

 「朝倉会長のサイン入り指示書はありますか」真が篠田に聞いた。

 「設計図は持ち出せました。しかし指示書は社内サーバーにしかありません」

 「別ルートで取れるかもしれない」真はノートパソコンを開いた。「知人のハッカーに当たってみます。ただし時間がかかる」

 「どのくらいですか」

 「一日か二日」

 奈央は頷いた。

 「並行して動きましょう」

 

 「三年間持ち続けました」篠田は奈央を見た。「いつか誰かが気づいてくれると信じて。先生が気づいてくれた」

 奈央は篠田を見た。

 「よく持ちこたえましたね」

 篠田の目に涙が浮かんだ。

 「先生こそ」

 

 深夜、真が設計図を分析した。

 奈央と村上と篠田が見守った。

 一時間後、真が顔を上げた。

 「無能化装置の設計を修正できます。mosquito-a01の制御周波数が特定できた。明後日《あさって》には完成します」

 奈央は篠田を見た。

 「証拠を警察に持っていくことはできますか」

 「できます。ただし——」篠田は言葉を選んだ。「朝倉会長は警察の上層部《じょうそうぶ》とも繋がっています。通常の告発《こくはつ》では揉《も》み消される可能性があります」

 「では——」

 「マスコミです」村上が言った。「証拠と証言を持って、複数のマスコミに同時に持ち込む。一社では潰《つぶ》せても、全社は潰せない」

 真が頷いた。

 「無能化装置を作動《さどう》させると同時に証拠を公開する。mosquito-Xを止めながら、真実を世に出す」

 奈央は三人を見た。

 村上——三年間罪悪感《ざいあくかん》を抱えた男。

 篠田——三年間設計図を守り続けた女。

 真——大切な人を守れなかったと言った男。

 そして自分——ワクチン反対派の変わり者の女医。

 誰も最初から英雄《えいゆう》ではなかった。

 それでも四人が揃った。

 「やりましょう」奈央は言った。「全部同時に動かします」

 

 解散したのは夜明け前だった。

 奈央は一人で外に出た。

 千代田区の空が白んでいた。遠くに都庁《とちょう》のシルエットが見えた。

 あの屋上でボタンを押す。

 まだ二日ある。

 奈央は歩き出した。

第十一話 了


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