切り方も距離感も難しい
「これ、どれくらい焼けば良いの?」
フライパンの上で、肉の表面が焼かれていく。強火で焼かれる肉からジュウ、と音が立つたびに、夏希が不安そうにこちらを見てくる。
「焼き目さえつけば完成だ。適当にひっくり返して良いぞ」
「⋯⋯ちょっと難しいね」
塊肉をトングで挟みながら、焼き目を一面ずつつけていく。その工程に対して夏希は真剣そのものだ。もっと適当にやっても良さそうなもんだけどな。
「どうせ火は通ってるんだ。そこまで気を張らなくても問題ないぞ?」
「でも、味は変わるでしょ?ちゃんと焼けてた方が美味しそうだし」
ほう、良い考え方だな。まぁせっかくここまで作ったんだし、料理が成功で終わるというのも良い経験だろう。一面一面、しっかりと丁寧に焼いていく姿には好感が持てる。
「⋯⋯よし、そんなもんで良いだろ。始めてにしては上手く出来てると思うぞ?」
しっかりと全面が焼き上がった塊肉は、見るからに旨味が詰まっていそうの見える。成功と言って良いだろう。
「んじゃ切り分けてくれ。薄めが良いと思う」
少しだけ肉を休ませてから、夏希に切ってもらう事にする。初心者には案外この工程が難しいだろう。
「こ、こんな感じ?」
夏希が少しもたつきながらも、包丁でローストビーフをカットしていく。悪くはないんだが、少し厚みがありすぎる。
「どうかな?」
「あー⋯⋯どう説明するか。ちょっと貸してみてくれ」
夏希から包丁を借りて、一旦目の前で薄めにカットしてみる。目算で三ミリくらいの厚みだろう。
「これくらいだ」
「いや、そんな簡単に薄く切れないんだけど⋯⋯」
そうだろうな。分かっていた事だが、最後の最後で少しだけ躓いた。薄切りにするコツがあまり分からないようだ。
「まぁ、別に多少分厚くても問題ないだろ」
「でも、ここまでやったんだから、ちゃんと切りたい」
「そうか?じゃあ切り方としては⋯⋯」
やる気のある人間を止める理由もないので、口頭である程度説明しながら、何度かローストビーフをカットしていくが⋯⋯
「ふむ、中々上手くいかないな」
失敗という程でもないレベルで、肉の塊が切られていく。目の前の塊肉は何度も切っていかれるせいで、少しずつだが、確実に量が減ってきていた。試せる回数は残り少ないだろう。
「うーん⋯⋯なんか良い方法ないかな?」
良い方法と言われてもな。これ以上は口で説明するのは難しい。
「あんまり気乗りしない方法でなら、教えられんこともない」
「それって、脇阪くんが大変って事?」
いや、俺が大変ってわけではないんだけど。
「後で色々と怒られそうだ」
「怒らないよ。私が大変なだけなら、一回やってみてもらっても良い?」
⋯⋯やってみて、ねぇ⋯⋯
「後で後悔するなよ?」
「? どういう⋯⋯!?」
やってみろ、と言われたのならやってやろう。夏希の背後に回り込んで、包丁を持っている夏希の手をそっと掴む。簡単に言ってしまえば二人羽織の状況だ。
「!!?!?」
急展開に頭が追いついていないのか、掴んだ手は明らかに震えている。なんか包丁振り回されそうで怖いな。
「前田さん、刃物持ってるから変に動かれると危ない」
後ろから少し強めに手を掴みながら、注意だけはしておく。怪我をさせるのだけは阻止したい。
「ひゃっ⋯⋯!」
どういう反応だよ。⋯⋯いや、こんな事されて落ち着けるわけないか。
「悪い、やっぱ辞めとくか?」
「だ、だだ大丈夫!続けて!」
「そうか?じゃあやってみるぞ。感覚覚えとけ」
夏希の事も考えて早めに済ませなければならない。手を軽く握り、ローストビーフに包丁を当てて前後に動かす。流石に自分一人でやるのとは勝手が違うが、それでも夏希が一人でやるよりは上手く切れているだろう。
「⋯⋯⋯っ!」
当の本人はプルプルと震えながらも、肉が切れる様を凝視している。切り方を見るのに集中しているのだろうか。
(⋯⋯手、案外小さいんだな)
そんな勉強熱心な夏希を他所に、俺は余計な事を考えている。
前にどこかで手を掴んだ覚えもあるが、その時は何か別の事に必死で、こんな事を考える余裕が無かった。
「こんな感じだな。どうだ?出来そうか?」
しかし、これはただの調理実習なのだ。これ以上の余計な感情は出さないように努める。
「み、耳元で話さないで!?」
耳を真っ赤にしながら夏希が今日一の声を出す。なるほど確かに。耳元で話されるのは集中出来ないか。
「悪かった。ちょっと近すぎたな」
ある程度の枚数も切ったことだし、手を離して夏希からある程度の距離をとる。
「⋯⋯別に、私がやってって言ったんだから、脇阪くんは悪くないよ」
「いや、反省はしてる。それでも、これで切り方は大体分かったんじゃないか?」
軽率な判断で、夏希の体力を無駄に奪ってしまった。明らかに力が抜けた表情をしている。
「や、やってみる⋯⋯」
そのせいか、次に切られたローストビーフは。
「⋯⋯前田さん、切るの下手になってる気がするんだけど」
最初に切られた物よりも、歪な形に切断されていた。
「感覚覚えとけって言ったけど、あんまり覚えられなかったか?」
疲れさせたのは申し訳ないが、俺も苦肉の策で教えたというのに、この結果は少し残念だ。
「⋯⋯そこには集中出来なかったかも」
そこにはってなんだよ、他に集中する場所なんてないだろ。
「そうか。悪かったな変な事して」
だが、今回の一件は俺にも非があるだろう。昔より少しは話せるようになったからと、距離感を間違えたような気がする。
「べ、別にあれくらいなら、普通でしょ」
いや、普通なわけがないだろ。女友達同士なら普通なのかもしれないが、男があそこまで近いのはアウトだろ。
「⋯⋯だって、今日は私、脇阪くんの彼女なんでしょ?」
「⋯⋯⋯は?」
夏希が呟いた言葉は、そんな俺の思考を吹き飛ばすには充分な、爆弾発言だった。




