いつも通りが出来ない日
正直、来るんじゃなかった、と思う自分が少しいる。
『脇阪、ちょっと気になるから、家庭科室行ってきてくれ』
『えぇ⋯⋯自分で行ってきてくださいよ』
『教師ってのは案外忙しいんだ。顧問の言うことは素直に聞きなさい』
『⋯⋯それ、職権乱用ってやつじゃないですか?』
雑な担任からの指示で、ここに来る事になっていたが、あまり乗り気では無かった。
「前田さん、これレンジで加熱してから一回混ぜてくれ」
「分かった、どれくらい?」
「二分くらいだな」
今は焦げパンケーキを多少は美味く食べられるようにと、カスタードクリームを作っている。
それと同時並行で、彼女達と同じように昼ご飯用にパンケーキを作る事にした。材料が既に出ていたので作りやすいしな。
「え、ワッキーそれってメレンゲとかいうやつだよね?」
「そうだな、作るのはスフレパンケーキだ」
ただし、同じ物を作っても面白みに欠けるので、少し違う物にはなるが。
角が立ったメレンゲを、他の材料を混ぜた生地に入れてさっくりと混ぜ合わせる。⋯⋯このさっくりと混ぜ合わせる。という表現が嫌いだ。どの程度混ぜるのかが分かりにくいんだよ。
混ぜ終わった後は、焼きの工程に入る。火加減は弱火。さっき森下がやらかしてたであろう強火の調理とは違って、ゆっくり均一に火を通す。焦らず、急がず。そうすれば、誰でも失敗する事はない。
(……なんであんな事言うんだよ)
予め予熱しておいたフライパンの上に生地を乗せる。じわじわと色づいていく生地を見ながら、そんな事を考える。
さっきの一言が、頭の中で何度も繰り返される。
『強いていうなら愛情、かな?』
思い出した瞬間、無意識に溜め息が漏れそうになるのを抑えた。
別に、深い意味なんてないのは分かってる。あいつはそういうの、深く考えずに口に出すタイプだ。今までだって似たような事はいくらでもあった。
『私は脇阪くんとなら、気まずくなんてならないと思うけど』
『脇阪くんと話してたから、楽しくて気付かなかっただけだよ』
映画を観に行った時、通話した時、思い出してみると、夏希と話していると会話の中に一度は失言がある気がしてくる。⋯⋯いや、俺が無駄に気にしすぎているだけなんだろうけど。
(馬鹿みたいに意識するな。いつも通りいればいい)
自分の考えを整理するためにも、心の中でそう言い聞かせる。
「脇阪くん。これ固まってないんだけど」
「固まらないのが普通だ。ある程度混ぜたらもう一回レンジ入れて一分だ」
けど、それでも。
最近はどれだけ意識を外に追いやっても、夏希の顔を見ることが難しい時がある。いつも通り、声をかける事が出来ない時がある。
「おー!お店で見た事あるやつだ。やっぱワッキー上手いねぇ」
その理由が、この間見た寝顔が頭から離れないから、なんて話したらどんな反応されるか分かった物じゃない。無防備で、妙に近くて、画面越しだったはずなのに。異常に緊張して⋯⋯余計な事だな。考えるな。
「当たり前だろ。お前と一緒にするな」
「ひっど!私だって成長途中なんですー!」
森下の事を適当にあしらいながら、生地に焼き目がついたタイミングでひっくり返す。通常のパンケーキとは違うので、返すタイミングは感覚だ。
「前田さん、皿ある?」
「⋯⋯あ、うん。用意するね」
少しだけ間を置いてから返ってくる声。さっきから、夏希の方も妙に静かだ。
いつもならもう少し会話がある気もするが、今日はやけに大人しい。
(……そりゃそうか)
あんな事言って、何も気にしてないわけがない。むしろ、あっちの方が気まずいはずだ。
皿を受け取りながら、ほんの一瞬だけ視線が合いそうになって――
「悪い、助かる」
「⋯⋯どういたしまして」
すぐ逸らした。別に、避けるつもりはなかったのに。
(……何やってんだ俺)
自分でもよく分からない反応に、内心で苦笑する。
焼き上がったパンケーキを皿に移して、粉糖をかける。
「ま、こんなもんだろ」
家庭科室にはコンロもフライパンも複数あるので、同時に二枚焼いた。バターを乗せてみると、高さのあるパンケーキから、溶けたバターが流れ落ちる。
「おー!見た目からして違う!美味しそう!」
「当然だろ。まず種類が違うからな」
森下が大げさに反応するのを軽くいなしながら、皿をテーブルに置く。
「こっちも固まってきたけど」
夏希に頼んでおいたカスタードクリームも出来上がりが近づいてきたようだ。夏希が隣に立ちながら、ある程度の固さを保ったカスタードクリームを見せる。
「そうだな、そんなもんで良いだろ」
手元にあったバニラエッセンスを数滴加え、ボウルに入ったカスタードを氷水で冷やす。本来ならこの後冷蔵庫でしっかり冷やすんだが、即席なのでそのあたりは省略だ。
「ある程度冷めたら焦げた物質に付けてみよう。ある程度誤魔化せるだろ」
「はえー⋯⋯やっぱ色々手際良いねぇ。というか物質って言い方はあんまりじゃない?」
「じゃあなんて呼ぶんだ?」
夏希の方を見ることが出来ず、自然と森下と話す事になるが、こいつとの会話は楽ではある。多少雑に扱っても良い感覚は助かる。
(さて⋯⋯時間が余ったな)
俺が受けた相談は、森下が作成した焦げパンを美味く食べられるようにすることだ。カスタードが冷えなければその目的は達成出来ない。
「カスタード冷めるまで暇だな⋯⋯前田さん。今俺が作ったやつ食べても良いぞ」
「え?それ脇阪くんのお昼ご飯じゃないの?」
確かにそうだが、暇なので自分の分はもう一度焼けば良いだけの話だ。昼ご飯だし、今度はパンケーキでエッグベネディクトを作っても良いかもな。
「いらないなら俺が食うけど」
「いや、いらないとかじゃないけど⋯⋯」
「なら、早く食べた方が良いぞ」
手作りは店のと違ってすぐに萎むからな。
「あ、ありがと。琴音、食べよっか」
「お?私も食べて良いの?」
「ああ、二枚あるからな」
そうして、二人が皿に並べられたスフレパンケーキを頬張る。
「すっごぉ⋯⋯フワシュワだぁ⋯⋯」
「⋯⋯凄い美味しい。ほとんど同じ材料なのに」
夏希の顔は見れない、と思っていたが、俺の料理を食べて、綻ぶ顔を見る事は出来た。
「そりゃ良かった。作った甲斐があるもんだな」
そうだ。変に意識することなんてない。
彼女の幸せそうな表情を見れるだけで、充分なはずだ。
――はず、なんだけどな




