名前はない感情
『⋯⋯なんといいますか、その、ただの記念品のつもりだったと言いますか』
夜が更けてきても、私は脇阪くんとの通話を続けている。
「うーん⋯⋯そういうの、あんまり女の子にやっちゃ駄目だと思う」
今はどんな流れで琴音にプレゼントを渡したのかを聞いていた所だ。
『なんで俺は心配して電話した相手に叱られてるんだ⋯⋯?』
「叱ってなんてないよ。ちょっとは自分の行動に責任を持ってもらいたいだけだよ」
『いや、それを叱ってるって言うんじゃ⋯⋯』
「何かな?」
『⋯⋯なんでもありません』
電話越しでもしおらしくしているのが分かる。少し申し訳ないけど、これについては釘を差しておかないと、勘違いしてしまう子が増えてしまう。
「大体脇阪くんは昔から⋯⋯っ!」
文句を言おうとした瞬間に、外が一瞬光った後に、少ししてからの轟音。天候は落ち着いて来ているけど、雷雲がなくなったわけじゃない。
「びっくりした⋯⋯流石に窓開けてると音大きいね」
『まだ窓開けてたのか?もう遅いんだし、暖かくして寝る準備しなさい』
「お母さんみたいな事言わないでよ」
『一人だと叱られる事もないだろ。俺も叱られた事だし、お返しだ』
「なにそれ、変なの」
笑いながらベッドに腰掛けて、そのままゆっくりと横になる。天井を見上げながら、スマホを耳に当てる。時折落雷の音は鳴るけれど、もうほとんど気にならない。
「なんかさ」
『なんだよ』
「こうやって話してると、安心する」
言ってから、子供っぽい気がして少しだけ恥ずかしくなる。けれど、不思議と取り消そうとは思わなかった。
『……そりゃ嬉しいね』
短い言葉。でも、ちゃんと受け止めてくれているのが分かる。
「……お父さんがいたら、こんな感じなのかなって思った」
ぽつり、と零れた言葉。この安心感に、理由をつけたかった。
『⋯⋯⋯お父さんはないだろお前。俺何歳だよ』
少し間が置かれてから返ってきた軽口に、また小さく笑う。
「ごめん、でもそれくらい安心するって事だから。⋯⋯なんでなんだろうね?」
答えを求めたわけじゃない。ただ、言葉にしてみただけ。深く考えようとしても、頭がまわらなくなってきた。
(……眠い)
緊張で張り詰めていた事や、ベッドで横になったからというのもあるんだろう。一気に睡魔が襲ってくる。
『おい、声小さくなってきてるぞ。眠いなら寝ろ』
「……うん」
素直に頷く。
本当はもう少し話していたい。というかご飯も食べてないし、お風呂も入ってない。でも、このまま寝てもいいと思えるくらいには、睡魔が襲っていた。
「⋯⋯ありがとね」
『何がだよ』
「電話……してくれて⋯⋯あと、プレゼントも⋯⋯」
『俺がしたかっただけだ。気にすんな』
最後の力を使っての感謝の言葉。それに対してのいつもの返事。その一言だけで、十分だった。
指先が、ぼんやりと携帯の画面に触れる。通話を切ろうとして、うまく押せない。――もう適当でいいか。
「……おやすみ」
『ああ、おやすみ』
微睡みながら携帯を操作して、通話を切って眠りにつく。
『⋯⋯おい前田さん?⋯⋯夏希さんや?⋯⋯マジかよこいつ』
携帯からは未だに脇阪くんの声がする。通話が切れていない事は分かったけど、もう指を動かす事も出来ない。
(⋯⋯やっぱり、安心する)
そうして彼の声を聞きながら、私は意識を手放した。
◇
『⋯⋯おやすみ』
「ああ、おやすみ」
通話越しに聞こえていた呼吸が、やがて静かな寝息に変わる。しばらくそのまま、携帯を耳に当てたまま動けずにいた。
(寝たか。随分機嫌良さそうだったな)
朝に話した時とは打って変わって、随分と饒舌に話していた。深夜テンションというやつだろうか。
(⋯⋯あいつ通話切って寝ないのかよ)
あれか?これが寝落ち通話というやつか?都市伝説かと思っていたが、まさか自分が経験する事になるとは思わなかったな。
(⋯⋯こっちから切れば良いだけだろ)
少し名残惜しい気もするが⋯⋯何考えてんだ?変な事考えるな。
自虐しながらも、通話を切るために画面を見る。
「……は?」
一瞬、何が起きているのか分からなかった。しかし、すぐに理解する。
そこに映っているのは、少し角度が傾いた、ベッドの上。
その中に。
「……おい、前田さん?⋯⋯夏希さんや?」
無防備に眠っている、彼女の姿。
「……マジかよこいつ」
あまりの出来事に頭を抱える。まさかここまで能天気な奴だとは思わなかった。
(いや、これは駄目だろ⋯⋯)
わざとじゃないにしても、流石に油断しすぎだ。俺の行動に文句言っていた癖に、自分はこれである。クラスの男子にしたら、勘違いするなんてレベルじゃないだろ。
画面の中では、規則正しく上下する肩。力が抜けて、緩んだ表情。
そして⋯⋯ほんの少しだけ、乱れた服元。
「……っ」
思わず、視線を逸らす。反射的に、携帯を遠ざける。
心臓が、やけにうるさい。
(……何見てんだよ、俺)
分かっている。これは見てはいけないものだ。通話を切らなければならない。
「……油断しすぎだろ、馬鹿……」
罪悪感が、胸の奥に広がる。でも、それと同じくらい――
(……なんだよ、これ)
胸の鼓動が、収まらない。夏希はただ寝ているだけだ。それだけなのに。
(⋯⋯そんなんじゃ、ないはずだろ)
誰にも見せていない表情を見ただけで、どうして、こんなにも意識してしまうのか分からない。
画面の中で、安心しきって眠る彼女。さっき、夏希は言っていた。
――安心する、と。
それも。
――父親みたいに、と。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
(……それなのに、これかよ)
自分の中に芽生えかけた感情と、彼女の言葉。噛み合っていない。いや、噛み合わせちゃいけない気がした。
「⋯⋯違うだろ、夏希とは、そういうのじゃないんだよ」
勘違いしているだけだと自分に言い聞かせる。この感情に名前をつけるのは、きっと簡単だ。
「第一、寝顔見てってなんだよ、結局顔でしか見れてないじゃねぇか。美人に見惚れただけだ」
でも、それを認めた瞬間に、今の関係はきっと変わる。彼女が俺に向けている感情を壊してしまう。
だから。
「……一旦、置いとけ」
自分に言い聞かせるように、低く呟く。この感情には、まだ名前をつけない。つけちゃいけない。
今はただ。彼女が安心して眠れている、それだけでいい。
もう一度だけ、画面を見る。さっきよりも、少しだけ穏やかな気持ちで。
『……ほんと、手かかるな』
呆れたように言いながら、心の中で感情に蓋をする。
『……おやすみ』
誰に聞かせるでもなく呟いて。今度こそ、そっと通話を切った。
――思い出す。
森下と出かけた時のこと。
夏希と、あの日一緒に過ごした時間。
どっちも、楽しかった。どちらも、デートだった。
でも。
今みたいに心臓が高鳴る事なんて事は、夏希の時にしか起きなかった。




