本当に、恋なんてしていない
「脇阪くん。私と結婚しよう」
琴音の突然の求婚に、皿を洗う手が止まる。
今は食事を終えて、私と琴音で洗い物をしている所だ。脇阪くんは料理を作るのは嫌いじゃないけれど、作った後の洗い物が嫌いなのだ。
そんな時にされた発言。琴音がよくやる冗談だ。そんな事は分かりきっているのに、脇阪くんの返事がどのような物になるのかを気にしてしまっている。
「じゃあ家事はするから養ってくれ」
脇阪くんの返答を聞いて皿を落としそうになる。⋯⋯落とさなかっただけ褒めてほしい。いつもの軽口だ。彼にそんな気なんてないのは分かってる。
「するする!毎日こんなご飯食べれるなら琴音ちゃん頑張っちゃう!」
機嫌良く返事をする琴音。⋯⋯洗い物残ってるんだけど?早く洗ってくれないかなぁ?
「じゃあ手取りで一千万な?頑張れ」
「任せなさいな!夏希!脇阪くんと結婚したら式には呼ぶね!」
「その時は呼ばなくて良いから」
「うわっ、夏希がガチ切れしてる⋯⋯ごめんて冗談ですって」
怒っているつもりはなかったけれど、自分でも驚くほど低い声が出た。軽く咳払いしておく。
「でも、こんなに美味しいご飯毎日食べられるのは羨ましいよねー」
それは本当にそう思う。何度食べても飽きない味。本人は認めないけど、凝り性な脇阪くんに料理という物が合っているんだと思う。
「流石に脇阪くんの幼馴染も、このご飯は食べてないんじゃないの?」
ニヤつきながら、琴音が私の方を見る。なんとなく考えている事は分かる。脇阪くんの幼馴染が、流石に手料理までは食べていないだろうと、これはアドバンテージ(?)だと、言いたいんだろう。
「いや、食べた事あるな」
残念ながら、食べた事あるんだけどね。
「くっ、流石幼馴染だ。強いね。頻度は?」
「結構食ってるな」
というか、同じだけ食べてます。同一人物なので。
「それもう胃袋掴んじゃってるじゃん!何してんの!?」
それについては本当に申し訳ないです⋯⋯
「そう言われても、お互いにそっちのが都合が良い時が多いんだよ」
「どんな理由なのよそれは⋯⋯」
琴音が頭を悩ませている。他人から見てみると、そんなにおかしな関係に見えるんだろうか。
「そこまでしといて、好きとかじゃないの?」
琴音の急な質問に、体が強張る。なんて質問をするんだこの友人は。
「それは前も言ったろ?まぁ腐れ縁だよ」
私の緊張とは打って変わって、脇阪くんの方はさらりと琴音の質問を躱す。
「そうなの?脇阪くんが好きじゃなくたって、向こうは好きだと思ってるかもよ?」
琴音のさらなる発言に頭が真っ白になる。⋯⋯そういう事を言うのは本当に辞めてほしいんだけど。
「⋯⋯そういうもんか?」
一瞬だけ、脇阪くんの視線がこちらに向いた気がする。そのせいか、心臓が早鐘を打っている気がする。
「そりゃそうでしょ、食べてる理由は聞かないけど、好きでもない人の手料理そんな食べないでしょ」
琴音、それ以上は、何も言わないでほしい。手元に集中する事で、脇阪くんと視線を合わせないようにする。
無心になろうとしても、どうしても文化祭や先日のデートの事を思い出してしまう。あれもこれも、全部私が彼の事を好きだから起きた事だと考えた方が、納得性があるのだ。
(琴音の言う通りなのかな⋯⋯)
もう、私達の関係はそういう物じゃないんだと否定できない気がした。
「そうじゃないんだとしたら、その子もう好きとかじゃなくて、脇阪くんに依存してない?」
だけど続く琴音の言葉を聞いて、依存、という言葉がやけに腑に落ちた気がした。
(依存⋯⋯そうなのかもしれない)
最初に彼に頼ったのは、先生の思いつきだった。だけど、その後彼を頼ったのは私だ。
文化祭を振り返る、高藤くんに誘われた時、私は何をした?
『その⋯⋯ごめんなさい!』
離れて行こうとする脇阪くんに、わざと聞こえるように声を出した。彼に助けを求めるように。
そう考えると、私が彼に抱いている感情が、とても醜いものに感じてくる。
彼といると安心する。それは単に、彼を利用しているだけなのかもしれない。いなくなったら困ると思っているけれど、こんな打算的な感情は、きっと恋なんかじゃない。
「そんな事ないと思うぞ?俺がいなくなったって、なんとかやっていけるだろうしな」
「本当かなぁ⋯⋯夏希はどう思う?」
琴音の質問に冷ややかな声で即答する。
「最低な子だと思う」
そう、最低だ。こんな子に付きまとわれて、脇阪くんも大変だろうな。
「いや、そこまで言うなよ⋯⋯可哀想だろ」
可哀想なんて事ないと思う。心の中で何を考えているかなんて、分からないんだから。
「あー⋯⋯ごめん、なんか地雷踏んだ?私余計な事言いやすくてさ」
その言葉で、周囲の空気が可笑しくなっている事に気付く。琴音は何も悪くないのに謝らせてしまった。
「大丈夫だよ、洗い物終わったし、帰る準備しよう?」
俯いていた顔をあげて、笑顔を作る。⋯⋯ちゃんと出来ているだろうか?変な空気にしてしまった事にも、罪悪感が生まれてくる。
「そ、そうだね!脇阪くん!私この部屋の鍵返してくるから、後の事頼んだ!」
そうして廊下まで出た所で、逃げるように走り去っていく琴音。
「丸投げしやがったなあいつ⋯⋯」
二人だけの廊下が、いつもより気まずい。
「⋯⋯依存してるとは思ってないぞ?前田さんは充分一人で頑張ってるよ」
ああ、こうやってまた私を甘えさせるんだこの人は、その優しさに甘えたくなる。
「ありがと、気にしてないから大丈夫だよ。⋯⋯一緒に帰ったら琴音に勘違いされちゃうし、今日は琴音の事、送ってあげて?」
そうして彼の事を見れずに、玄関まで歩いていく。気にしてない、なんて嘘までついてしまった。今日は何とも上手くいかない日だったな。
(明日からは、いつも通りに戻ろう。急に距離とったらそれはそれで琴音に気を遣わせちゃうし)
初めの頃、いくらだって迷惑をかけていいって、言ってくれた。その言葉に救われた。
だけど、これは依存なのかもしれない。彼がいなくなったら、今一人になったら私はきっと生きていけない。だからこそ、優しい彼に頼ってしまう気持ちだけは、少しずつ変えていかなければならないだろう。
(私は、脇阪くんに恋なんてしてない)
依存するようなこの感情が、もしも好きだという気持ちなんだったら、私は彼に恋なんてしたくない。
久しぶりに一人で歩く帰り道の景色は、不思議と歪んで見えた。




