9.苛立つオルタナ
『クレアはもう、いないの?』
サンドラの少し悲しそうな顔は僅かな期待を含んでいる。だけどそれ以上に諦めているようにも見えた。
クレア・ヘインズ。
ヘインズ伯爵家に生まれ、両親からは放置され母が亡くなった後は後妻と異母妹から邪魔者扱いをされ領地に逃げたクレア。学園入学からは王都にて寮生活を行い極力家族との付き合いを避けたクレア。将来の為にと勉学に励み、実技も手を抜かず、友人であるサンドラの隣にいても恥ずかしくないよう礼儀作法にも手を抜かなかったクレア。地味を装い影となりひっそり生きていたクレア。
そのクレアは今、どこに居る?
サンドラのその問いについ笑い出しそうになった。だってそうだろう。まるで私がクレアに成り代わったようではないか。それは違うよ。
「〝始まりの魔女〟である事の記憶と魔力を封印しただけで、私がクレア・ヘインズである事には変わりありません。性格も、口調も、行動も。クレアから貴族令嬢という柵を取り払い、淑女の皮を脱ぎ去り、常識という檻から抜け出したのがオルタナです。死んだ訳でもオルタナという人格がクレアを乗っ取った訳でもありません。私がオルタナでありクレア・ヘインズでもある。ご理解いただけましたか?」
私はクレア・ヘインズ。そしてオルタナでもある。クレアは決して死んだ訳ではないのだ。さっきも言ったようにクレアから柵をすべて取り除いたのがオルタナだ。この世界の頂点に立つオルタナであると同時に貴族令嬢クレア・ヘインズでもある。かといってヘインズ伯爵家と親密な関係かといえばそうでもない。血縁上の父には既に生みの母以外に愛する人がいる。愛する子がいる。家の為に仕方なく作られたクレアと違い、心から望まれた子供がいる。
私には与えられることがなかった愛が、そこにはある。
記憶を取り戻す前のクレアは成人後、家を出ようとしていた。婚約者は妹と婚約を結び直せばいいと、互いの家には何の問題もないのだとそう思って。家の為に生きるのは貴族として当然の事。それが当たり前だと信じていたクレアは両親から放置されていたとしても、母が亡くなり後妻と異母妹を連れて来ても、反論する事は無かった。
後妻と異母妹が私を排除しようとさえしなければ。
クレアはあの家族をどうこうしようとは思わなかったというのに奴らはそうではなかった。命の危険があるような嫌がらせはなくとも、前妻の子であるという理由とこれまで日陰の身に追いやられていた事の怨みなのか、まるで使用人のように扱う奴らにこれからもいいようにされるのかと思うと馬鹿らしいという思いが沸々と湧いてきた。
だから逃げた。領地は田舎である為あいつらはやってこない。領地に逃げて学園に入学して卒業まで帰らず、卒業後は籍を抜いて平民として自立する。文官でも女官でも、パン屋でも冒険者でも構わない。ヘインズ伯爵家のクレアでなくなるのであれば、何だって良かった。
「クレア・ヘインズは死んでなどいません。魔女オルタナとして今もここに生きています。そしてクレアはヘインズ伯爵家から籍を抜き、貴族社会からも戸籍からも抹消される事を望んでいます。これはオルタナとしての記憶が蘇る前から考えていた事。魔女であろうとなかろうと、クレアは学園卒業と同時に姿を消す算段をしていました」
何処かで誰かが息を呑む。その人が誰かなどはどうだっていいがこの際だ。国王に私の戸籍を抹消しておくよう言っておこう。
「国王、ヘインズ伯爵家から私の存在の抹消手続きを行うよう部下に命じておけ。金輪際、私がヘインズを名乗る事は無いし血縁上の父が死んだとしても葬儀に出る事も財産を相続する事もない。よってヘインズ伯爵家がオルタナの名を騙った場合、相応の処罰を行う。連帯責任だ。その時は王家にも同様の罰を授けよう」
「そんなっ……いえ、畏まりました。おい! すぐに手続きを!」
「はっ!」
そうして文官が慌てて駆け出して行く。これで戸籍から私の名が抹消されたらもう用はない。
「ぺテリウス。私はもう帰るが奴らがちゃんと仕事をしたのか確認が取れたら連絡を寄越すように」
「はっ! 承知いたしました」
「待ちなさい!!」
この脳天に突き刺さるような甲高い声は……。
「まったく……。話を理解できない女はカス女だけで十分だというのに」
帰ろうと椅子から立ち上がった時、部屋中に響き渡るような大声でそう叫んだのは予想通りの馬鹿。
「お姉様、そんなところで何をなさっているの!? 皆様にこんなに迷惑を掛けて!」
「お前に何の関係がある」
「なっ!? 私はお姉様の事を思って……! なのに、お姉様ったら……! 皆様、我が家の愚姉がご無礼を働き申し訳ありません。連れ帰ってしっかり教育し直しますので、どうかご容赦を……!」
あまりの出来事に周囲は言葉を失ったようで誰もアビゲイルの暴走を止めようとしない。というか驚きすぎて固まったという方が正しい。そんな事は露知らず、異母妹は私を連れ戻そうとずんずん歩いて来た。流石にぺテリウスを含む王家側もこれ以上の失態はさせまいと取り押さえるように命令を下す。
「ちょっ! 何をするの!?」
「黙れ! 即刻その娘を連れ出せ!! ヘインズ伯爵、娘をコントロール出来ないなら連れてくるな!!」
「も、申し訳ございません!!」
「お前達もすぐに退室せよ!!」
「っいえ、しかしそれは……!」
いたのか。
謁見の間に通されたのは宰相と騎士団の精鋭。他に宰相の部下と思しき文官と魔術師団から数人と王家の影。そこにサンドラの出身であるブライアーズ公爵家の面々。関係者以外は通さないようぺテリウス辺りは徹底しているだろうと思っていたが……。
「思い違いだったか」
「申し訳ございません。如何様にも処分を受けます」
サンドラの幸せそうな顔を見れてこっちもウキウキ気分だったのに急降下だよ。はぁ~あ。……ムカつく。
「手引きしたのは魔術師団だな。いいだろう、全員纏めて葬り去ってやる」
「お、お待ちください! 何を根拠に我が魔術師団を!?」
「そんなモノ、副団長がヘインズ伯爵夫人の弟だという理由で十分。それ以外に理由があったとして私が聞いてやる義理はない。魔術を極める魔術師団が私の手によって殺されるなんて栄誉な事だろう、それに」
「「「……ッ!!」」」
あ~、イライラする。あの声、あの顔、あの口調、全てがあの女にそっくりだ!
憎くて憎くて堪らない、クソったれ聖女……! 私を処刑させた原因、私の大切な人達を奪った元凶……!
見の内から溢れ出す怨念の様などす黒い魔力。地獄の底から溢れてくるかの如く邪悪なオーラは謁見の間を中心に城を呑みこみ城下街を覆い、王都全体が包まれていく。空気中の魔素も私の魔力に反応し結合していく事で王都全体の魔素が全て私の力となる。目視出来る程濃密な魔素はそれだけで体に毒だ。魔力の波に乗り渦巻く魔素は凶器といえる。
「「「ぎゃああああぁぁぁ!!?」」」
魔力耐性の低い者ほど影響を受ける。この目視出来るまで濃密となった魔素を見たら発狂するのも当然だ。謁見の間、王宮、街から誰ともわからない奇声が響き渡る。その中には先ほどのアビゲイルも含まれていた。
「……かはっ」
「うっ……ぐぅ」
魔力の奔流の中心。謁見の間は地獄絵図に他ならない。辛うじて意識を保っているのはほんの一握り。予想通りだが魔術師団の人間ですら気を失っている。
「あぁっ忌々しい! 折角の気分が台無しだ! ぺテリウス! 貴様、知っていて放置していたな!」
「申し訳ございません。オルタナ様の苛立ちを少しでも感じれば、格が違う事を身をもって体験できるかと思い、敢えて止めませんでした」
「ハッ! こんな苛立ち程度で腰を抜かし気を失う者共めが! この私をどれだけ過小評価していた! どれだけ自分達を高く評価していた! 〝始まりの魔女〟であり魔法の深淵を極めたこの私が、この小僧共は下に見ていたのか!!」
「「「……ッ!!」」」
だんだん腹立ってきた。三百年も留守にしていた所為かどうも私の評価が下がっているように思う。恐れ慄けなどいうつもりはないが、こいつらに低く見られているのはムカつく!
「正気を保っているのは魔術師団長だったか。お前の息子は王太子の側近候補だったな」
「……っ、はい」
「今のお前程ではないがアレも今後次第ではお前を追い抜くだろう。安心して逝くがいい。そこに転がっている連中を供につけてやる」
「「「―――……!!」」」
抗議する間もなく彼らの命を摘み取れば、辛うじて意識を保っていた国王や騎士団長達が魔術師団長の名を口にしたようだった。肉体の一片、髪一筋さえ残さず燃やし尽くした事で遺体というものは存在しない。灰は残っていてもそれが誰のものなのかは誰にもわからないだろう。
国王、騎士団長、王太子、ブライアーズ公爵、サンドラ、ぺテリウス。そして何故かいる婚約者殿以外は昏倒し死んだように倒れている。さすがにぺテリウスは顔色が悪い程度だが他の連中は意識が混濁しているように見える。魔力が高いとされる高位貴族と王家の人間がコレだ。王都全体では死人も出ている事だろう。
「ぺテリウス。これで満足か」
顔色が悪かったぺテリウスだが、私が問いかければこれまで見たことがないような満面の笑顔を浮かべた。
「はい……! これでオルタナ様の偉大さを痛感した事でしょう! 愚かにも我らが偉大なる〝始まりの魔女〟様を相手に『大昔の古ぼけた魔女』などと抜かした魔術師団長への厳罰としては相応のものと考えます」
「その『古ぼけた魔女』にあっさりヤラれた小童め。コイツの魂、少し遊んでやるか」
魔素に中てられ死んだ者達とは違い、魔術師団の死は私の殺意によるもの。肉体を燃やした後の魂は回収していた。殺しただけではつまらないよなぁ?
「手足を欲しがっていたな。人間如きがどこまで役立つかは知らんが、役に立たんのなら腹の足しにでもすればよし。死ぬ苦しみなど一瞬過ぎた。甚振るのが得意な連中にこの者達の魂を預けよう」
「どなたにお預けになられるので?」
三百年。私が留守にしていた期間だがどこで何をしていたのか言ってなかったな。
「新しく出来た友人? あー……上司、んん? 戦友……ではない。弟でもないし……ペット。違うな」
なんだろ、あの子との関係性は。
そもそも私と関係があるかと言われればそうでもないし。私の中の人と関係があったから仕方なく出向いただけだからねぇ。
「ま、要らないならあっちで処分してもらえばいい。ぺテリウス、お前教皇だろ。王都は今じゃ発狂した人間で溢れかえってる。さっさと対応に回ったらどうだ」
「教皇の地位は本日付で放棄しておりますのでご心配なく。野心に燃える後継がどうにかすべき問題です」
「どうにかなると思うか?」
「無理でしょうね、野心はあっても実力は無いので。あっはっはっ」
いい笑顔でいう事じゃないだろうに。かといって私が手を貸す事は絶対にないから人の事は謂えないか。治癒魔法の上級者であるならどうにかなるだろう。
「さて、では魔王にこの者達の魂を預けに行こう」
三百年前に訪れたのは魔界。私がオルタナとなった時に取り込んだ悪魔の故郷。
「どうせ死んだ人間だ。必要なければ魔族共の玩具になるだろうよ」
使えない人間に出来る、有効な使い道だろう?




